講習先まで、定禅寺通の並木道を遠回りして向かう。見事な枯葉の舞は芸術作品である。人間と違って自然は自らの散り期と散り方を弁えている。その美しさに見惚れながら昨日のことを思い出す。
高校時代の友人であるカズエとは、そう深い付き合いでもないが人生のピンポイントになぜか居合わせる。振り返ると、あの宮城沖地震のとき、二人で学校をサボって映画を見てたっけ。そのカズエと先週バッタリ街で会う。カズエは私に連絡を入れようとしていたらしく、その偶然にひとり驚いていた。聞けば、昨年父が他界、一周忌を終え父の遺品を一つ一つ整理していたら、ある酒場での写真やそこの店主からの年賀状の束が出てきたという。父以外の家族はみな酒を呑まない。父の行きつけの店があることなど誰も知らなかったという。その酒場が私の店の近所にあるので、一緒に付き合って欲しいというのだ。なんと、そのお店とは、私も長いことお付き合いをさせて頂いている、あの「わが家」だった。
昨日、店の開店を遅らせて、カズエと共にわが家へ。わが家の親方は彼女の訪問に驚き訃報に涙した。こういう商売は、体調を崩されているのかと心配はしても、こちらから安否を尋ねるわけにはいかないからね、と。カズエのお父様とは30年のお付き合いだそうな。震災で親方が荒浜のご自宅と奥様を失ったとき、カズエのお父様はじめ店の常連さんに励まされ店を再開できたこと、その後も以前と変わらずお父様は焼酎三杯と好きな歌を二三曲唄って帰ること、他の常連さんにとても慕われてたこと…カズエの知らない父のお話を親方がとつとつと話してくれた。カズエは、ここ数年母が認知症になり、その世話で大変だった父が、ホッとできる場所があったことを知り感謝していると、涙した。そして、最期、自分の死を誰にも知らせないで欲しい、家族だけで葬儀をして欲しいとの遺言だったので、ご報告が遅れましたと。お父様らしい…この店では、一人娘に婿が入って孫と同居できて幸せな老後を送っていると語り、奥様の介護の話など知らなかったと、親方。
私も父を看取り、父を想うときに辛い心を癒してくれるのは、父の行きつけの寿司屋。誰しも順風満帆とは言えない人生の中で、自分のホッとできる居場所があったのは幸せだったということ。酒場は、時にそんな役目を果たすこともある。
吉田類の「酒場歳時記」の冒頭にもこうあった。
本来、酒は人の心を鼓舞するために飲まれるもの。酒場はその舞台の一つにすぎない。しかし、酒場は時には駆け込み寺のように、擦り切れた心を癒してくれる…
高校時代の友人であるカズエとは、そう深い付き合いでもないが人生のピンポイントになぜか居合わせる。振り返ると、あの宮城沖地震のとき、二人で学校をサボって映画を見てたっけ。そのカズエと先週バッタリ街で会う。カズエは私に連絡を入れようとしていたらしく、その偶然にひとり驚いていた。聞けば、昨年父が他界、一周忌を終え父の遺品を一つ一つ整理していたら、ある酒場での写真やそこの店主からの年賀状の束が出てきたという。父以外の家族はみな酒を呑まない。父の行きつけの店があることなど誰も知らなかったという。その酒場が私の店の近所にあるので、一緒に付き合って欲しいというのだ。なんと、そのお店とは、私も長いことお付き合いをさせて頂いている、あの「わが家」だった。
昨日、店の開店を遅らせて、カズエと共にわが家へ。わが家の親方は彼女の訪問に驚き訃報に涙した。こういう商売は、体調を崩されているのかと心配はしても、こちらから安否を尋ねるわけにはいかないからね、と。カズエのお父様とは30年のお付き合いだそうな。震災で親方が荒浜のご自宅と奥様を失ったとき、カズエのお父様はじめ店の常連さんに励まされ店を再開できたこと、その後も以前と変わらずお父様は焼酎三杯と好きな歌を二三曲唄って帰ること、他の常連さんにとても慕われてたこと…カズエの知らない父のお話を親方がとつとつと話してくれた。カズエは、ここ数年母が認知症になり、その世話で大変だった父が、ホッとできる場所があったことを知り感謝していると、涙した。そして、最期、自分の死を誰にも知らせないで欲しい、家族だけで葬儀をして欲しいとの遺言だったので、ご報告が遅れましたと。お父様らしい…この店では、一人娘に婿が入って孫と同居できて幸せな老後を送っていると語り、奥様の介護の話など知らなかったと、親方。
私も父を看取り、父を想うときに辛い心を癒してくれるのは、父の行きつけの寿司屋。誰しも順風満帆とは言えない人生の中で、自分のホッとできる居場所があったのは幸せだったということ。酒場は、時にそんな役目を果たすこともある。
吉田類の「酒場歳時記」の冒頭にもこうあった。
本来、酒は人の心を鼓舞するために飲まれるもの。酒場はその舞台の一つにすぎない。しかし、酒場は時には駆け込み寺のように、擦り切れた心を癒してくれる…