新年、最初のニュースは青春時代によく聴いた、ミュージシャン大瀧詠一さんの訃報。昨年も大事な方々を見送って、やっと喪が明けたというのに、自分の年齢が人生の晩秋に入ったせいか、嬉しい便りより、哀しい便りの方が年々数を増すのは仕方のないことなんだろう。
お正月は、子供達が台風の如く現れて去って行った。しんと静かになった夜に、久米宏の日本百年物語を観る。中でも5話、読売新聞の人生案内は面白かった。相談者は二十歳の大学生。回答者は岡本太郎氏。元旦にスタートを切るとはどのような心構えで迎えることなのか?の相談に、スタートを元旦に置くなど甘っちょろい。人生一瞬一瞬のパッションの積み重ねである…と一刀両断。いいですね~。
人生相談といえば、伊集院氏が担当する週刊文春の大人の人生相談が、一冊の本となり購入。正月にゴロゴロしながら読んでみたが、これもまた笑える。焼き鳥屋を経営している夫婦からの、いい店の条件とは?との相談に、それは、仲間を連れてって喜んでもらえること、美味いというのは主観、要は「ひとだよ。」と一言。勉強になります。
また、内田先生の元旦ブログは、母との葛藤で日々戦っている私へのご褒美だった。(以下抜粋)
今、世の中で必要とされているコミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときにそこから抜け出す力のことである。
説得するためには対面している相手の知性に対する「敬意」をどんなことがあっても手放してはならない。今の日本でのコミュニケーションの基本的なマナーは「自分の言いたいことを大声でがなり立て、相手を黙らせること」である。相手に「私を説得するチャンス」を与える人間より、相手に何も言わせない人間の方が社会的に高い評価を得ている。そんな社会でコミュニケーション能力が育つはずがない。
コミュニケーションの失調を回復するために私たちは何をするか。相手に近づく。相手の息がかかり、体温が感じられるところまで近づく。相手の懐に飛び込む。「信」と言ってもよいし、「誠」と言ってもよい。それが相手の知性に対する敬意の表現であることが伝わるなら、行き詰まっていたコミュニケーションはそこで息を吹き返す。
最後に、大瀧詠一さんと親交のあった内田先生は、彼の澄んだ曲はこれからも聴けるが、彼の話のつづきがもう聴けないと思うと失ったものの大きさに愕然とすると、追悼の言葉を添えた。

私は今まで、どこかしら、老いた母を敬うことより、蔑んではいなかったか?今年は、母と向き合い、語り合う時間を多く持とう。残された時間はそう長くはないのだから…
私はイブの朝から母と喧嘩。ほんと些細なことで。喧嘩と言っても…大声を張り上げて私に罵倒を浴びせる母を黙って見てるだけ。モンスターなら、尻を叩いて一喝するのだが。睡眠不足が続き、笑い飛ばせるほど心の余裕はなく、やるせなさが急に込み上げてくる。どうして、残された人生の時間を愉しめないのだろうか。老いるって、そんなにしんどいものなのか…遺影の父が私をじっと見つめる。
夕方になって、三人の子供達から次々写メールが。今の時代は面白いアプリがあって実に笑える。私の心に「元気」というプレゼントを届けてくれた。いつしかサンタクロースは代替わり、か。その昔のイブの夜、仕事を終えた私は、雪の降る中を、新品の子供の自転車引いて帰ったこともあったっけ。翌朝、サンタが来てくれた~と部屋中を駆け回る子供達の喜ぶ顔が見たくてね。ただそれだけのために、世の中の親は頑張る。年明けに子供達が喜んでもらえるような企画を…そう熱く語るのは、年の暮れに必ず顔を出してくれるグラッチェ。彼は、教育現場の最先端で日々闘っている。日本を変えるのは教育しかないと。それは私も同感である。来年8歳になるモンスターは、あと10年もすれば立派な?青年である。一人の人間がどんなに頑張っても、一生にやれることには限りがある。次世代へ何を託すのか。平和な国、日本で生まれ育った大人の責任として…
サンタを卒業した私は、毎年お店でささやかなお祝いをする。一人きりのXmas救済活動のために(笑)いつもならアンディが三越の地下のオードブルを、閉店前に行くと半額なんだよと喜んで買ってきてくれたことを思い出す。今年のオードブル担当は三浦さん。少林寺の子供達との納会ではサンタクロースに扮するそうな。その後、駆けつけてくれた。今年はハワイの案件でやっと震災前に戻れたツッシー、水漏れ事故で大変な目に遭遇したはっちゃん、二週間前にお父様を看取ったケイコちゃん…仕事が決まったワガちゃん、また新しい恋に堕ちそうなシゲちゃん、いつも目一杯頑張ってるジュンちゃん。みんな楽しいことも辛いこともいろいろあったけど、こうして笑顔で集えることにいっぱい感謝して、メリークリスマス。あと一週間で、長かった2013年が終わる。
深夜、佐伯さんともう一軒梯子酒。八年間、お母様を介護して昨年看取った彼の言葉は、心打つ。とにかく、後悔しないことだと。子育ても、親の介護も、どちらもやり直しがきかない。
先週、久々に感じの悪い客に遭遇した。深夜のことで酒に酔ってきたからとの言い訳は聞きたくもない、どこのお偉い方かは存じませぬがとにかく態度がデカい。声もデカい。ダーウインの進化論的には、強かろうがデカかろうが、世の中の変化に対応できない種は滅びるのだが(笑)初めまして…の会話もなく、あんたはオーナーか、雇われか?何でこんな店をやりたかったのか?とスカッドミサイルをぶち込んできた。こういうおじさま、ホント疲れる。
夢というのは様々です。幸せの価値観も異なります。若い頃から、こ~んな店を夢見て、サラリーマン時代は沢山の酒場を巡り、酒を学び、コツコツお金を蓄えて、こ~んな私でも、いよいよチャンスが到来し夢を形にしたまでです。何かご不満でも?とパトリオットを返してやった。私もムキになってしまうのはまだまだ修行が足りないが、無礼には無礼で!幼少の頃、親から箸の持ち方を教わるように、学卒で入社してまず教えてもらったのは、社会人としての身のこなし方。古い時代ではあったが、女性社員は秘書課でなくともお茶の出し方から研修を受ける。会社の評価は、商品や資産だけではなくそこで働く人間の質が問われた時代でもあった。今思うに、所作、振る舞いや言葉遣いはその人間を知る上で一番の基準となる。思いが言葉となり行動となり、果ては運命を司るとマザーテレサも語っているではないか。酒場では、そして特にカウンターに女性が一人立つような処では、金を払ってサービスを受ける側のその本性が剥き出しになるので実に面白い。世の中はどんどん変わっていくというのに、女一人の力でお店を立ち上げるなんておもしろくないといった傲慢な幼稚な男も今だにいるからだ。そして、彼は先生とか呼ばれちゃってるから笑ってしまう。
そんな夜にはゴメさんに愚痴を聞いてもらったり、時間がある時には松島の小舟のお母さんを訪ね元気を頂く。小舟のカウンターでは、いつもダンディなお父さんが大好きな一ノ蔵を呑んでいた…あのお父さんが天国へ逝ってしまったと、突然の訃報を受ける。今春、仲間のアンディの死を共に涙してくれたお母さんへの恩返し、長い間お世話になったお父さんへ感謝の意を伝えるために…人の世の儚さを噛みしめながら、昨日松島へ向かった。
この本の著者、尊敬する内田先生は、本物とニセモノを見分ける能力を身につけることが大切、それが真の教養だと綴っておられた。また、相手の気持ちを理解できることも教養であると。
松島駅からお通夜の会場まで、ナビでは1キロとあったが、猛吹雪と街灯の無い道で方向感覚を失い、近くに居合わせた若者たちに道を尋ねた。なんと、その若者たちは、マッチ売りのおばさまを会館まで送迎してくれたのである。ナビは間違っており、歩けば恐らく30分はかかった。マッチは無くなっていただろう。
ブログ上にてあらためてお礼を申し上げます。辛く哀しい訪問ではあったけど、彼らのお陰で心の奥が温かくなりました。どうか、日本の将来を宜しくお願いしますね。
そして、天国のお父さん、父やアンディと一杯やっててください。暫しの間。