(10)そして


自分の次の行動を決定づける出来事の一つは、
これも3回身に降りかかってきて、3度目にようやくそういう意味なんだろうと痛感させられたのですが、


既に前述したように、2007年の夏~秋頃にあっ
た、自らの心の根底の名誉欲を揺さぶる出来事、


すなわち共著という形ではあるのですが、本の出版を持ちかけられ、それに振り回されてしまったその遠因が実は父親の影響を無意識に受けて、そういう思いが自分の心の内に潜在し、そのことに気付かされたわけなのですが、


それでも、まだ微妙に、その後、自分の詩を一部の人に評価されたことで、魔がさし、勘違いして、自分の詩が本になって出版されたならという、もちろん、それを通して多くの人に勇気や希望を与えられたらという思いがあるのですが、


その奥にやはり自分の名誉欲がまだ見え隠れしていたのでした。



それで、なぜだか応募してしまった二つの詩のコンテストに、結局、11月、12月と、二つとも選から漏れ、


それを通して、これは少なくとも私にあっては、そういった名誉欲を満たすような形での出版は、もちろんそれに見合う内容でないことも当然あるのでしょうが、仮にその中見が伴っていたとしても、そうではなく、


自分の使命はそれを通じて地道に一人一人の心を真に満たしていく手助けをしていくことであろう、ということを改めて思わされることとなったのでした。


そして、なぜか2年半前のネット上のブログから
展開していったそれらの事々ではあるのですが、ネットでは対応しきれない部分、伝えたいことを伝えるのにどうしても限界を感じる部分、、、そのようなネット上のもどかしさに対して、リアルでの対応によってその部分をフォローしていく試みをなしていきたいと思うに至ったのです。



そして、そのためのスペースも整えて、、、というかまだ整理されきってはいないのですが、不思議に去年から丁度、小さいながらもうまく使えば活用できる場所が確保、、、というか偶然にも目の前に与えられたので、そこも"カフェ"とか"サロン"スタイルでリアル対応として活用していければと思っているところです。



せっかくなので、できあがっていった100編の詩を導入のテキストとする流れをスタイルの一つとしながら、また、それだけにとらわれずに、提供できることは、フレキシブルに提供していく形で、対応していけたならと思っているところです。



もちろん、それらを通して、実は私自身が多くを学ばせてもらうことになるのだと思っています。結果的には共に学び合い、共に成長していくことになるのだと思います。



メインは、心の完全なる揺るぎない境地の獲得への手掛かり、ヒントの提供と支援、フォローいうことになっていくと思います。



私は若い時から、いずれ理想の学校というものを創りたいという夢がありました。



それは、とりわけ私自身が、学生時代に受けてきた教育にうんざりする思いを強く抱かされてきたからでもあります。



本当に大事なことが置き去りにされ、多くの若者たちが、夢を失い、心を失い、そして大人になり、そしてまた子供達に同じように大事なものを見失わせる教育を今なおしてしまっているのです。



今大切なのは、心のあり方の教育です。私はこうした場を次第に発展させて、理想の学びの場、理想の学校の実現に何らかの形でつながっていけたならともおぼろげながら考えています。



私自身、まだまだ不足な部分はたくさんあるのですが、大事なことの幾ばくかを私なりの形で発信する使命を果たしていかなければならないのかと感じているのです。




いずれにしても、今の学校のような知識教育では
世の中は決してよくはなりません。



かといって、人間の心の根本の問題を扱っているところにあってさえも、現実には多くの争いの原因さえ作ってしまっているのです。



そのような人や組織、団体にすら残る課題すらも克服できる内容がなければこの世の中の根本が変わりません。



またいかなる他力本願的なアセンション思想もあてにはならないし、現実的ではありません。


でも、今もそこここで、こういう内容に共鳴される意識が育まれた方々や、ある程度極めようとしつつ行き詰った方々がかなり多くおられ、共にその出会いを魂のレベルで待っていると感じています。



その関わりから新たな良き展開がどんどん生まれていくことになると信じてやみません。


さらに言えば、もうこの時代は、

どこかの組織に入ったりとか、組織によって縛られたりとか、あるいは逆にどこかの組織を辞めたりとか、そういったことも必要ないのです。



それぞれがそれぞれに今の立場のままで、これまで学び得たことに足りなかった部分や整理しきれてない部分を付けたして学び、それを自らのものにしていきさえすればいいだけの話なのです

(表現は多少荒っぽいですが)。


そして本当の本質を追求していけば、最後は行きつく所に行きついて、あらゆる不必要な枠組みが消え去って、無理やりではなく、自然にそれぞれの個性を最大限に発揮しながら、そして調和を保ちながら、一つになっていけるはずなのです。



どこかに属しているからと言って、その人がそれ
ゆえに守られたり、幸福を得られることにはならないのです。


真に正しいものを求め、純粋に世のため人のために、例え小さな力であっても、少しでも貢献していこうとしている人であるのか、自分の名誉やご利益のために、一見正しく見えることをなしている人であるのかが問われ、それぞれの立場にありながらも二つに分けられていくことになるでしょう。そういう時代に突入したと言えるでしょう。


当然、私自身も問われてくることになります。



わがまま勝手な文を最後までお読みいただきあり
がとうございました。


なぜ100編の詩にこだわるのかは、決してこれらがすべてではありませんが、そんな流れの中で出来上がっていった、与えられていったという感覚のあるものであるために、思い入れが強く、こだわりがあるのです。




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100編の詩にこだわる理由