(1)成功、幸せ、家庭、学校
ブログをお読みいただいている皆様方には、
どうしてこの人はこんなに、この100編の詩とやらにこだわってんのだろうか?
と思われている方もおられるかもしれないですね。
なにせ、100ほど詩を載せたあとは、詩以外のブログで50近くも記事を書いて引っ張ってしまっていて、全く詩の欠片も載せてもいないですからね(笑)。
で、ちょっとそもそもの切っ掛けをもう一度よく振り返りながら整理してみました。
最初にこのブログを立ち上げた時は(あっ、これは少し前のブログ
でそこまでのいきさつを載せてましたね)、
とにかく詩だけを載せるブログを作ってみようかなって思っていた時にどこかで書いたように偶然ここアメブロに出くわしたので、丁度二年振りに新しくブログを開設することになって載せ始めていったんです。
でも、たどっていけば、二年振りと今書いたように、ここを開設する前の元々のブログ
において、約2年半前から詩やメッセージなどはいろいろ載せていました。しかしながら当初、詩に関して言えば、量的には全体の3分の1ぐらいでした。
そのブログを始めたのは2006年の夏頃からでした。
自分の一つの自己表現の場として、自分の感じてきたことや考えてきたことや味わってきたことなんかを載せていこうと思ったのでした。
もちろん、何かの出会いにもつながったりするかな、、、というこれまでにはなかった新しい世界への期待感みたいなものもありました。
それまで私は、別に自分自身が一般に言われる成功者という分類に当てはまる立場の人間では特にないのですが、
"成功"ということに対する一つのこだわりというか思いというのが強かったように思います。
でも、億万長者になりたいとか、お金持ちになりたいとか、そういった成功にはあまり、というかほとんど関心が向いてませんでした。
それは、以前の記事に少し書いていたかもしれませんが、父親からの影響が大きいのでした。
私の父は、本人の話からすると、
"頭が優秀だった"
"しかし、高校の時に病気をして思うところに進学できなかった"
"それで、地に落ちた周りの評価を取り戻したいという思いから、がむしゃらに働き、そこそこの地位や財を得た(バブルまで)"
"世の中は学歴や地位や経済力で決まっていくという考え、価値観を、人一倍持ってしまっていて、また子供にも押し付ける"さらには、
"自分のしてきた仕事そのものには誇りを持っておらず、仕方なくやってきたという思いでいる"
"長男(私の兄)に歯学部への進学を膝まづいて泣いて懇願したという"
"私の祖母が以前教師であったこともあってか、教育ママだったようである"
・・・こういったことごと、父のそういった姿、言動を見せつけられてきたので、私の中では、いくら経済的に満たされても、それだけではそこに何の幸せも、魅力も憧れも、あるいは夢も希望も得られないと純粋に感じていたのでした。
私の中には、そういった父の考えへの強い反発の思いすら湧いてきていました。
だから、私はそういったお金をたくさん手にしても幸せだとは最初から、ちっとも思えなかったので、
そうじゃない、もっと夢のある、やりがいや生きがいのある誇りある人生を送りたい、と父を反面教師にして思っていたのでした。
でも父ばかりではありません。学校においても、高校とかでは、有名大学への合格者数を伸ばすことに余念のない指導がなされ、点数や成績を競わされ、
先生は誰一人として、生きることの意味や素晴らしさや、仕事についてとか人生についてとか、多感かつ人生の重要な岐路に立っている私たちに語ってくれる方はいませんでした。
だから私はそういった本当に心から満足できる人生を送りたくて、それを求め続け、生き続ける人生を、気が付くと歩いてきたのでした。
~続く
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