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チョコミントの部屋

日々の出来事や感じたこと、おすすめ情報など綴っていきます。

先日パパが会社の近くのお高いパン屋さんのセール品を買ってきたら、厚めの食パンが2枚入っていて、これでフレンチトーストを作るねと話しました。 


今朝はパパが休みなので遅めに起きました。


リビングに行くとなんともう出来てました。



あら、ちょっと コゲコゲ。
しかも、パパ曰く、裏はもっとコゲコゲ💔

しかも甘くない…と。

で、自家製いちごジャムをのせました。

食べてみました。

味は卵焼き(笑)

卵焼きにコーティングされた食パンでした。フワフワじゃなくて目玉焼きの白身の食感。
どうやら黄身だけじゃなくて白身も入れたっぽい。どこのレシピを見たんだろう。牛乳や砂糖も入れたらしいけど…

レシピ見ても慣れない人が作るとこうなるのか…

せっかくのお高い食パンが…(T_T)

しかし、チャレンジ精神には拍手。

お世辞にもおいしいとは言えず…

パパもリベンジを誓ったのでした。

あ~、自分で作りたかった( ̄。 ̄;)



ペースメーカーを入れることになったと言いましたが、実際には事後報告でした。


手術が終わってから報告がありました。


ペースメーカーという言葉は知っているけど、実際につけている人を知りませんでした。

だから兄嫁の話を聞いて少しずつ知っています。

まず、ペースメーカーは体内に癒着するまでは安静にしなければならないそうです。そして、胸の上から触って存在がわかるんです!なんかそれがお義姉さんにはショックだったそうです。


何故心臓の病気が発覚したかというと、久しぶりに献血に行って血液検査で異常値があり病院の受診を勧められて循環器科に行きわかったそうです。しかも、たぶん子どもの頃からのものだろうとの診断だったそうです。お義姉さんは3人子どもを産んでいます。よく今まで何もなかったねとみんなびっくりでした。

早く見つかってよかったねとは言うものの、お義姉さんはやっとできた孫と遊ぶことができず残念そうでした。ペースメーカーをつけているので左腕を上げることができないからです。


この手術があったのが母の1回目と2回目の間でした。


手術からしばらく経った頃パパのお母さんが亡くなりました。

その時に弔問に来てくれた姉がびっくりするほど痩せていました。


少し前から母の介護に帰るかどうか悩んでいたけど、お義姉さんの姿を見て心が決まりました。


この頃には母が2回目の入院をしてたかな。


兄もこの手術がきっかけで少し近くに異動することになりました。


兄にはお義姉さんのケアに力を入れて欲しいと 思いました。

(私とお義姉さんは仲良しです)


自分がくも膜下出血で倒れた後パパがいてくれることがとても支えになったので。


お母さんが亡くなったので、パパも私が1人で実家に帰ることに寛容になりました。 以前からパパが定年退職したら移住しようよと誘っていたのですが、お母さんが施設にいることが気がかりで前向きには考えてくれませんでした。しかも、ハードな職場から異動も決まりました。全ての環境がうまく進みました。


少し前までパパは出向先の仕事がハードで転職を考え始めていたので一緒に実家へとも考えたのですが、私の職場の店長が、そのパターンで老後貧乏になった人をたくさん知ってる。ご主人が継続雇用してもらえる間は働いた方が絶対いいよ!とアドバイスされとどまりました。私もその頃にはその方がいいと感じていたので、よかったです。


私は職場には前もって母の介護が必要になったら急に辞めることになるかもと伝えました。

私は2店舗かけもちしていましたが、どちらの店舗も辞めないで休職にしていただけることになりました。


そして母が大腿骨骨折で入院。


この入院の退院が決まったら島に帰ると職場に伝えました。


そして退院が決まり、シフトのキリのいいところで休職に入ることになりました。


それから退院までの間に家の掃除をしたり、パパの一人暮らしがスムーズになるように体制を整えました。


そして退院の前日に実家に向かいました。


かなり覚悟を決めて実家に向かったのですが、10日お世話したころ、また心不全を起こして再入院になりました。入院したら介護の必要はないので、私は自宅に戻りました。


息子の帰省も予定していたので。


私の本分はパパの嫁ですから、パパの世話をしないと。それに時々まごたんもみてあげないと娘のストレスも溜まる。


 今度はいつ退院できるかわからないけど、最長3ヶ月しか入院はできないから、退院後のことも決めないといけません。また来月には戻って、話し合いをしたり実家の片付けをしたりする予定です。仕事もしないと私がボケそうだから仕事も探さないとな。


そんなこんなで、 母の介護はまだまだ続きます。

母の世話は未婚の長女がしています。姉は小学校の教諭でした。数年前色々あって母の世話をするために早期退職をして島に戻りました。


実家から徒歩5分くらいのところに家を建てて住んでいます。長年一人暮らしだったので、母との同居は拒否(笑)


当時はまだ母も身の回りのことはできるけど、少し認知が入ってきていました。


姉は食事と買い物と通院の世話をしていました。


島に戻った姉は結構社交的で、向学心に燃えるタイプなので、島の友人からの紹介であれこれ習い事やボランティアをして趣味が増えていきました。


それとともに母の認知が進んだり、骨折(この時は肋骨だったかな?)したりして少し手がかかるようになりました。


姉は趣味と習い事とボランティアと母の世話でいっぱいいっぱいになり、不満がつのって、他の兄妹にも世話をしてと言うようになりました。


私にはもう1人姉と、兄がいます。


もう1人の姉は父が癌で闘病中、近くにお嫁に行っていたので、子育てと仕事をしながら両親の世話もしてくれたので、母の世話まではしなくていいよと言っています。もちろんちょこちょこは気遣ってくれます。


兄は仕事で遠くに赴任していました。兄は4年前に定年退職しましたが、5年は継続雇用してもらえるので当然続けることになりました。

このタイミングで姉が爆発しました。兄が定年退職したら帰ってきて母の世話をすると思っていたからです。 


兄と私の旦那は同学年。継続雇用してもらえるなら働きたいのは当然。しかも遠いから母の世話はできない。


姉は母を施設に入れたいと言いました。でも島で入れる施設はありません。


わかった、私が近くに施設を探してそこに入所させて私が世話をするよと言いました。そしてあちこち施設を見て回りました。


姉が言う予算の施設は古い施設が多く、認知がきてるとは言ってもまだまだしっかりしている部分もある母にはかわいそうだなと思いました。


で、その金額を施設に払うなら私が仕事を辞めて自宅で世話をしようかなと姉に言いました。


その頃には姉も爆発してみんなが考えてくれることに少し満足して冷静になっていました。


私のその金額を施設に払うなら…という言葉にハッとしたらしく、しばらくは黙って世話をしていました。


当時まだ年金をもらう前の姉は仕事もしていないし、ちょっとしたボランティア収入程度しかなく、退職金や貯金を切り崩して生活していました。家のローンはないので年金をもらうまではそれでいけると思っていたみたいですが、趣味や習い事にお金がかかり、ちょっと金銭的なことも考え始めていました。


姉は食事は母としてたので、食費は母がほとんど出している状態。

通院にも母はガソリン代と言って少し多めにあげてたはず。

それがなくなると困るということに私の言葉でハッと気づいたみたい。


そうこうしているうちに私がくも膜下出血で倒れて母を施設に入れる話しは一旦白紙に…

私も自分のことだけでいっぱいいっぱい。孫も私が倒れたすぐ後に産まれたし。


その後姉もしばらくは黙って世話を続けていました。


私の体調が落ち着いてきた頃、 またまた姉の不満がたまってきました。


なんとかしなきゃとは思うけど、母はまだ寝たきりでもないし、身の回りのことはできる。私たちが旦那や子どもの世話をするのと同じ程度のお世話しかしていない状態。

趣味や習い事が忙しくて母がじゃまに感じるだけだと思う。

そこで、他の兄姉と話して姉に報酬を払うことにした。


姉はモチベーションが上がると喜んでくれた。私たちはもう少し高額を提示したけど、姉は少しでいいと言って金額はまかせることにした。

姉が母の年金を全部使おうと、世話してくれるならかまわないとみんな思っているし、まあ姉はそんなことはしないと知っている。


それでここのところ文句なしだった。ただ 時々来て欲しいと言うので時々行くようにはしていました。


兄が継続雇用が終わったら、滞在はできないけど、頻繁に行くようなことを言っていたので、それまで私は時々行こうと思っていました。


ところが、兄のお嫁さんが心臓の病気が見つかりペースメーカーを入れることになったんです。





先月母の介護で実家に帰っていました。


半月か3年か…

全く先はわからないけど、母の最期までいようと思っていました。


結局10日ほどお世話をしたら母が3回目の急性心不全で入院してしまい、介護の必要がなくなったので私は自宅にもどりました。


 未婚の姉が病院とのやり取りや洗濯物の世話等をしています。


誰か身近な方が入院されたらご存知かと思いますが、今入院は最長3ヶ月(2ヶ月?)までと決まっています。(ちょっと曖昧な知識です💦)それを過ぎたら個人病院とか、リハビリ専門病院とか老人施設とか自宅とかに移動しないといけません。


3ヶ月というのも目が離せない状態の方で病状が安定したら出ないといけません。


母はこの1、2年で4回目の入院です。


1、2回目は心不全。1回目の心不全から2、3ヶ月経ってから2回目の心不全。両方とも2ヶ月くらい入院。


で、退院した途端に、自分が杖なしではちゃんと歩けないことを忘れてトイレに行こうとして転倒。大腿骨を骨折してしまいました。退院してすぐ姉が泊まり込んだらちゃんと杖をついてトイレに行っていたので、姉は大丈夫だなと判断して翌日はすぐ近所の自宅にもどったらしいです。


早朝、朝ご飯を作りに行ったら母がトイレの近くで動けずにいて、救急車を呼ぶことになりました。


大腿骨骨折と聞いた時は、あ~、ついに寝たきりかと思いましたが、なんと技術の進歩していることか、2時間の手術(麻酔してから麻酔が醒めるまで。施術は20分ですって!)で翌日からリハビリできる状態に。


でも心不全をしてるからあまりハードなリハビリはできず…介助がないと歩けないくらいで退院しました。


で、私が介護の手伝いに帰ることになりました。








パパより6歳年下だから、まさか私が先に死ぬわけないと思っていたのに、くも膜下出血で倒れ、私が先もアリなんだと痛感。


私が先に死んだらちゃんとパパがご飯を作れるように、夕ご飯を時々記録しています。


こんなんでいいんだって思えるように盛りつけにはこだわりません。(と言うのは言い訳の私の手抜きですがwww)



ワオ、右はスンドゥブですが、器の色のせいか、なんか黄色いな。

スンドゥブの素にとうふとFコープのエビ団子とえのきとほうれん草とネギと旨えびキムチを入れて溶き卵を入れました。

左はコストコのプルコギで作る肉じゃが。私はプルコギを買ってきたら、200~300㌘くらいに小分けにして冷凍してます。
お鍋に1~2カップくらいの水を入れてお酒を少々、これを沸かしてプルコギを投入。玉ねぎ、ニンジン、大根、ジャガイモを入れて煮込みます。投入した野菜の量で水加減を調節して下さい。
味付けしなくてもプルコギの味だけでもいい感じの薄味にできますが、足りない時はお醤油やお砂糖を投入して下さい。
姉からもらった自家製山椒を入れて山椒煮にしようと思ったのに入れ忘れました(T_T)

あと昨日スーパーで買ったししゃもフライをオーブントースターで温めて醤油マヨネーズで食べました。昨日買ったの忘れてたので、今日はおかず3品になっちゃった。

食べ過ぎた~