桃鉄の後に、起きれなくなる | いつも木端微塵

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ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

景気が良い時に、飲食店で働いていた経験から

その後も、飲食店で働くことになる。

外苑前の近くにあるチェーン店の居酒屋でアルバイトをするようになった。

始めたときは、まだまだ、イケイケだった。

 

しかし、徐々に競争相手は増えていき、売り上げも落ちていき、

いろいろと工夫をしなくてはというような状況になる。

いつまでも良い時は続かない。

 

ティッシュに生ビール一杯サービス券をいれて、道で配ることになった。

段ボールをかついで持って行くのだ。

それまで、こういう仕事はしたことはなかったし、

配られていても受け取らないということがほとんどだったが、

この仕事をきっかけにもらうようになった。

配っている方は、ノルマがあって配り終えるまでは、配ることになる。

もちろん、時間の制約もある。

ティッシュだから貰ってくれる人が多い、チラシだとさらに厳しい。

 

その後、売り上げを増やそうとランチを始めたりしたのだが、結局厳しくて撤退した。

今のように、夜8時に閉店するのでランチを始めるは、選択肢としてあるとは思うが、

とにかく厳しかった。

結局、食材を効率化するために、夜のメニューにある食材を使う。

それを値段を下げて売る。競争力のあるランチ価格にしないと客は来ない。

そもそも、ランチをやっているとほとんどの人が知らない。

 

開店時間を例えば、11時30分にするとなると10時かその前に出勤することになる。

閉店も24時だとすると、結局シフト制を組まなくてはいけなくなったり、長時間労働になったりする。

そこまで人員確保に苦労して、じゃあ、どれだけ売り上げが伸びて、利益がでるかというと

かなり厳しかった。ランチに並んでいるような店に、挑んでも勝てなかった。

大ヒットメニューみたいなものがあれば、違ったのだろう。

そんな厳しい氷河期時代になるのだった。そこで危機感を持ったか??

いや、まったく持たなかった。危機感と言う言葉も、概念も当時の自分にはなかった。

今からしたら、一番嫌いなタイプの人間だ。目の前にその当時の自分がいたら、

「おまえなめてんの?」って長時間説教したくなるような気がする。

 

休みの日に、当時の居酒屋の店長と、バイトの同僚と、こんな話になった。

「桃鉄で負けたら、今夜の飲み代を全部奢ることにしよう」

店長の提案だった。

お金は、CDと飲み代に消えているぐらいだったため、そんなお金があるわけない。

どう見積もってこのメンバーだと、2万円は超える。下手したら3万円ぐらい行く。

さて、どうやって断ろう。

俺:「俺、金ないっすよ。」

店長:「貸してやる」

俺:「。。。。。。。。」

ここで、借金してこういうことをしてはならないということを学ぶのであった。

 

崖っぷちで桃鉄をやるのだが、桃鉄を当時やったことはなくて、

ゲームっ子というよりは、音楽にのめり込んでいたので、ルールも良くわからず、

中盤ぐらいまで、最下位になるのであった。

 

「あーあ、次の給料から3万円天引きか」と追い詰められて凹むものの、

キングボンビーが、店長にストーキングして、最後勝利するのであった。

 

勝ったので、調子に乗って、ただ酒をガブ飲みしたところ、

飲みすぎて、意識を失い、店長の家で気絶するのだった。

体が痙攣して起きれない。何度も吐いて、

24時間ぐらいそこで寝込むのであった。

 

思えば、あの時、寿命を縮めたように思う。

 

そんな、お金も知恵もない居酒屋で働くフリーター時代に、

モリッシーが、サウスポーグラマーをひっさげて来日するのであった。

 

キング・クリムゾンは、Thrakをひっさげて来日する。

 

金をつくらねばならない。見に行かないと、新作も買わなくちゃと、お金はすっからかんになるのだった。

もっと計画的に貯金しろよ。。。。。