いまでこそ、ほとんどないが、
昔は、コンサート会場に入るときに
念入りなボディチェックがある会場があった。
腕やわきやポケット、そして足など、念入りに触られるのだ。
女性の場合は、女性のセキュリティがそれをやる。
それをやるけれども、女性の方が甘かった。
だいたい、テロ起こすのも、何か問題を起こすのも多くの場合男性だし
仕方ないと言えば仕方ない。
どの時点で、セクハラボディチェックがあることを知るのかと言うと
並んでいる間に知る。
明け方から並んでいるため、同じように並んでいる人たちとは
妙な仲間意識ができる。
いろいろな国から来ている人たちで、これだけの時間並んで、
スムーズに入場して最前列になれないならば、死活問題なわけで、
それは、全員同じということになる。
いろんな国のいろんな人種が集まっていて、
どこの誰かは、お互い知らない。
そして、同じような顔ぶれが、次の都市でも、その次の都市でもやってくる。
他に行くところなど、地球上のどこにもないかのように。
当時から、私は観光を否定していた。
そんな状況だから、見ず知らずの人が、身近な人に感じられるようになり、
助け合う意識が自然と芽生える。
これは、経験しないとわからない。
セクハラボディチェックがあると知った私は、
開場前に、トイレに行くと伝えて、その場を少し離れて、
トイレで、MDとマイクをパ●ツの中に入れるのだった。
パ●ツの中のどのあたりかは、あえて公表しないこととする。
しかし、そこを触るということは、本当にセクハラなので、
まず、そんなことを私にしたい人間はいないだろうという妙な自信があった。
そして、ボディチェックを潜り抜けて、走りずらいけどダッシュする
そして、最善列の柵に到達して、安堵する。
ああ、14時間並んだことが無駄にならなかったと、あのホッとした感覚は、
経験しないとわからない。
そして、その次の課題を解決しなくてはならない。
周囲の観客と特に柵とステージの間にいるセキュリティ、だいたい3人ぐらいいるのだが、
気づかれないようにMDと外付けマイクを、ジージャンの内ポケットに移動しなくては
ならない。誰にも気づかれないようにだ。
皆が、コンサートを楽しみにしている状態で、私は追い詰められている。
絶対に不審な動きをしているのだが、それに気づかれないように
気づかれていたかもしれないけど、MDをジージャンの内ポケットに移動するのだった。
そして、外付けマイクをMDに接続する。マイクはというと大事なことだから書いておくが、
ポケットにいれるべきではない。
ポケットに入れると音がこもるのだ。
では、例えば、外側のポケットのところにピン止めするとか、
それもダメだ。見つかるとすぐ没収される。
しかも、環境は、おしくらまんじゅうで、ダイブしてきた観客に
後頭部を蹴られるような状況なわけで、それこそマイクが外れたり、壊れたりしてしまう。
やり方は、人それぞれだが、ジージャンの内側に裸のままマイクをつけられるようにしていた。
同じことをしても、だいたいの人が失敗する。それは、マイクのインプットレベルを下げる勇気が無いからだ。
下げなくてはならないことは、わかっている。わかっていても、録音できないと嫌なので、
勇気をもってさげられないのだ。実際は、そんな下げるの?っていうぐらい勇気をもって下げる。
ここまで話すと、そんなことしないで、後ろから録音すればいいんじゃないのか?と思うだろう。
そんなことは、言われなくてもわかってるんだよ。
しかし、当時、私には目標が3つあった。
1.ステージに上がる。
2.ステージに上がるために一番有利な最前列に行く。
3.上の2つを達成しつつ録音する。
録音すれば、また、日本に帰って、寒いアパートで暮らしている時も
一人ぼっちでも、その音楽を聞きながら生きていけると思った。
当時、この3つの目標に対しては、純粋で曇りがなくて、必死な気持ちを持っていた。
だから、毎回、極度の緊張状態で精神的に追い詰められていた。
入場前にセクハラボディチェックが行われるときなど、
脳内で、クリムゾンのRedとか、One more rednightmareが鳴り響いていた。
開場前の1時間は、私の表情は、本当にクリムゾンのRedの音楽を表情にしたような
ものすごく声がかけずらい雰囲気になっている。
でも、なぜ、あんなに充実していたかというと
意志とか強い想いに一切の曇りが無かったからだと思う。
もう、そんな状況には戻れない。
今は、Youtubeでお手軽に動画が見られるし。
人生の残り時間、死ぬまでの時間を過ごしているような状況とも言える。
言い過ぎかもしれないが、実際はそんなところだ。
「簡単であるということは、感動が少ないということである。」by木端微塵