無知の知 | いつも木端微塵

いつも木端微塵

ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

Hatsは、素晴らしい。
80年代でしょ、もう十分聞いてきたから
今さら、そこまでの作品はないと思ったが、
予想を超えてきた。
 
手法が何であれ、素晴らしいものは素晴らしい。
 
つくづく思うのは、
最終的にはわからない。
究極とは何なのか?
わからない。
 
楽器を演奏すると明らかに自分より上手い人がいるし、
上達するということは確実に存在する。

でも、演奏が上手ならば究極の音楽を作れるかというと
何とも言えない。
 
できないことがあまりに多い人よりチャンスが多いのかもしれないと
思ったこともあったが、できないことが多いほうが、
余計なものがすべてなくなり、結果的に素晴らしいなんてこともある。
 
じゃあ、好き嫌いなのか?
純粋にそれだけなのか?
確実にそれはあるが、微妙に良くわからない。
 
何のために努力するのか?
みたいなことともリンクしてくる。
 
1つ言えるのは自分のことは自分でわかっているというのはある。
例えば自分が駄目なのは、自分でわかっているという時がある。
 
良くできた時に
誇りに感じたり、良くできたと感じたりすることがある。
これが大事なことだ。
 
膨大に音楽を聞き、いろいろな演奏を聞き、
演奏の素晴らしさなども感じるようになってくると
情報量が多くなるため、どこにでもあるようなものでは満足できなくなる。
どっかで聞いたことあるし、たいした技もない
などに満足できなくなる。
 
満足できなくても、他人は、目を輝かせて感動していたりする。
価値観の違いというやつだ。
 
モリッシー批判になるかもしれないが、
World peaceは、本当にあのバンドメンバーはこの作品を誇りに感じているのか?
本当に心から偉大だと感じられるものを自分は作ったと思っているのだろうか?
ギターもベースもドラムも本当に素晴らしいものを作ったのか?
 
微妙だ。
まあ、本人たちにとっては、
なかなかいいんじゃないってレベルなのではないかと思う。

結局すべての表現活動は、これなのではないかと思う。
会心の出来というのは、やっぱり自分で感じるはずだ。
 
31周年という意味不明なタイミングでリリースするということは、
The Queen is Deadは、会心の作品だったということだろう。
 
World peaceの31周年は存在しないだろう。
予言しておこう。
 
モリッシーがニューアルバムを出すならば、
何もしないよりは、作品が出たほうがいい。
そして、聞いて判断する。

しかし、かつてシングルのB面に度肝抜かれたようなことは
もう起きない予感がする。
この予想が覆ると嬉しい。