「まさかうちの子が」
「あんなにいい子がなぜ」
「理想の家庭なのに」

一見何の問題もないように見える家庭で起きる

ボタンのかけ違い。

親がよかれと思って発する言葉が、

子どもの未来を壊す「呪いの言葉」になるそうです。

例えば、


・「みんなと仲良く」が個性を破壊する
自己決定する力が弱い。合わない人と仲良くする必要はない、心理的距離の取り方を学ぶ、「嘘でした」言えたら勇気を褒めていい、ダメ出ししたら必ずフォロー

・「早くしなさい」が先を読む力を破壊する
事前予見能力は発達の中で身につけていくもの、日常で逆算して考える練習を、バリエーション豊かな先読みができるようになるために体験・読書

・「頑張りなさい」が意欲を破壊する
子どもが言葉をどう受け止めているかに配慮、プロセスを褒める「頑張っているね」、スモールステップ学習、いきなり自己実現に向かえない(欲求の5段階説)、アスリートはレジリエンスが高いのは失敗と乗り越え経験が多いから、希望の光を示す

・「何度言ったらわかるの」が自己肯定感を破壊する
本人なりの努力や成長を認める、観察(変化に注目するのがポイント)、謙遜しちゃったらあとからフォロー

・「勉強しなさい」が信頼関係を破壊する
過度の期待が子どもを追い詰める、青年期特有の心理的視野狭窄、他の選択肢があることを一緒に考える、リスクとコスト、勉強以外の話題を持つ

・「気をつけて!」が共感性を破壊する
失敗経験から学ぶ、親の考えを言うのではなく本人に考えさせる、過保護・過干渉になっていないか(サイモンズの4類型)、難しい問題は専門家に相談(法務少年支援センター)

 

子どもは思っていることの1%も口に出せない、常に観察。

1万人の犯罪者・非行少年の心理分析で得た知見から、

親が自身の子育ての方針や子育て観をふりかえるヒントを事例とともに解説しています。

 

 

 

1944年に結婚したドン&ミミのギャルビン夫妻は

十男二女に恵まれたが、

子どもたちは次々と統合失調症に罹患し、

最終的に男子6名が診断を受けることになります。

 

病を引き起こしたのは遺伝か環境か。

 

現在は環境がトリガーとなって

活性化する潜在遺伝子が議論されている、という事ですが、

 

普通に考えて夫婦2人だけで

12人もの子のそれぞれに目を配り、

世話をするのは不可能に近いのではないか。

 

喧騒と混乱の毎日、

プライバシーも持てずに落ち着いた暮らしなど望めない。

 

ましてや力関係で弱者となる末の2人だけ

女の子という痛ましさ。

 

兄達から性的虐待まで受けながら、

その苦しみを乗り越えて母や兄達に気を配り続けた末子リンジーには感嘆する。

 

答えはないが、とてもとても重い一冊、

深い喪失感と悲しみと、微かな希望が入り混じる読後感。

 

 

 

主人公の女性は「母性がない」のではなく、「母性はあったかもしれない、でもそれ以上に子どもでいたい気持ち、母親に依存する気持ちが強い」性質を持っているのだと思う。

 

だから、自分の子どもへは本当の愛情も興味も寄せられない。


今の世の中(に限らないのかもしれないが)、こういうケースはけっこうあるのだろう。それをえぐり取るように深く描いているという意味では、非常にうまい。

 

相変わらず、読んでいる最中に砂を噛むような厭な気分になるというマイナス面はあるが、これは湊作品を読む時には覚悟しなければならないことなので驚きはしない。


ただ、あまりにもドラマティックにすぎる演出が途中にあるのは(メロドラマ的といってもいい)、いきすぎかなあと思う。

 

章ごとに添えられる詩のようなものも、思い入れが強すぎて浮いているのでないか。