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読書で幸せをみつけましょう

『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』(八木 龍平)の中で著者は

 

挫折知らずのエリートたちではなく、日本の神さまは「これでもか!」というくらい徹底的に挫折した存在。

 

だから、人の弱さ・痛みをいちばんわかっている存在。

 

あなたのことだってきっと理解してくれる。だから神様になっているのです。

 

と述べています。

 

本書の中で著者は、日本の神さまの特徴について興味深い視点を示しています。一般的に「神」と聞くと、完璧で失敗を知らない存在を思い浮かべがちですが、日本の神話に登場する神々は、必ずしもそうではありません。

 

むしろ、多くの神々は大きな挫折や苦難を経験した存在として描かれています。失敗や葛藤、試練を経たうえで神として祀られているケースが少なくないのです。

 

著者は、こうした背景があるからこそ、日本の神さまは人間の弱さや痛みを理解できる存在として受け止められてきたのではないかと述べています。

 

挫折を経験した存在だからこそ、人の苦しみや悩みに寄り添うことができるという考え方です。

 

神社に参拝するという行為も、単に願い事をするだけではなく、こうした「人の弱さを理解してくれる存在」と向き合う時間なのかもしれません。

 

本書では、日本の神さまに対する見方を少し違った角度から考えさせてくれる視点が示されています。

 

 

 『勝間式 金持ちになる読書法』 (勝間和代)の中で著者は

 

情報強者になると何が良いか、と言えば、やはりいちばんは変化に強くなれる点だと思います。先ほども少し述べたように、今回のコロナ禍などがその典型ですが、ある程度、本を読み、情報を身につけて、より良い見通しを普段から持っている人は無意識に変化に対して耐性があります。

 

と述べています。

 

著者のこの言葉は、「情報強者」という言葉のイメージを、少し違った角度から捉え直させてくれます。情報強者とは、誰よりも早く情報を集める人でも、知識をひけらかす人でもなく、「変化が起きたときに慌てない人」なのだ、という指摘がとても印象的です。

 

コロナ禍のような出来事は、多くの人にとって予測不能でした。しかし、その影響の受け止め方や対応の仕方には、はっきりと差が出たように思います。普段から本を通じて世の中の構造や歴史、過去の危機に触れている人は、「想定外」ではあっても「想像の範囲外」ではなかった。だからこそ、感情的に振り回されにくかったのではないでしょうか。

 

ここで著者が言う「耐性」とは、知識量そのものではなく、見通しを持つ習慣のことだと感じます。本を読み続けることで、世界は常に変化してきたこと、そして変化には一定のパターンがあることを、無意識のうちに体に染み込ませていく。その積み重ねが、いざというときの判断を支えてくれるのだと思います。

 

情報があふれる時代だからこそ、断片的なニュースに反応するだけでは、かえって不安は増幅します。一方で、腰を据えて本と向き合う時間は、視野を長期に引き伸ばしてくれます。「今起きていること」を、「少し長い時間の流れ」の中で捉え直す力が養われるのです。

 

私自身、環境や立場が大きく変わった局面ほど、過去に読んだ本の考え方や言葉に助けられてきた感覚があります。それは具体的な答えというよりも、「変化は異常ではない」「慌てなくていい」という、心の余白を与えてくれるものでした。

 

情報強者とは、未来を言い当てる人ではなく、変化の中でも思考を止めない人なのかもしれません。その土台を静かに支えているのが、日々の読書なのだと、あらためて考えさせられる一節でした。

 

 

 

『採用基準 地頭より論理思考より大切なもの』(伊賀 泰代)の中で著者は

 

リーダーになるために、神がかったカリスマ性や生まれながらの卓越した能力、溢れるような人間的魅力が不可欠と言うわけではありません。

 

リーダーとは何をすべきなのか、そのためにどう振る舞うべきかを理解し、小さな場面でそれらを体験して成功体験を積み重ねることにより、ごく普通の人がリーダーとして活躍できるようになるのです。

 

と述べています。

 

著者のこの一文は、「リーダー=特別な人」という思い込みを静かに崩してくれます。

私たちはどこかで、リーダーとは生まれつき人を惹きつける力を持ち、圧倒的な能力や存在感を備えた人物だと考えがちです。けれども著者は、そうした“才能神話”を否定します。リーダーとは資質ではなく、役割であり、行動であり、習慣の積み重ねなのだと。

 

「何をすべきかを理解し、小さな場面で実践する」という言葉は、とても現実的です。大きな決断や劇的な変革よりも、日々の会議で方向性を示すこと、困っている人に声をかけること、責任を引き受けること。そうした小さな場面の積み重ねこそが、周囲からの信頼を形づくります。

 

実際の職場を見ていても、必ずしも声が大きい人や目立つ人がリーダーになるわけではありません。むしろ、自分の役割を理解し、周囲のために一歩前に出る人が、自然と中心になっていくことが多いように感じます。リーダーとは「選ばれる存在」というより、「行動によって結果的にそうなる存在」なのかもしれません。

 

この考え方は、年齢や立場に関係なく希望を与えてくれます。今いる場所で、小さくても責任を引き受ける。その経験を重ねることが、やがて自分自身の器を広げていく。

 

私自身、振り返れば、大きな肩書きを得た瞬間よりも、目の前の役割に向き合い続けた時間のほうが、結果として周囲との信頼を築いていたように思います。特別な能力があったわけではなく、「その場で何をすべきか」を考え続けただけでした。

 

リーダーとは、生まれ持った才能ではなく、日々の選択の積み重ねである。そう考えると、誰にでもその可能性は開かれているのだと感じさせてくれる一節でした。

 

 

 

『人生を変える読書 人類三千年の叡智を力に変える』(堀内 勉)の中で著者は

 

自分が誰なのかがわからず、ふわふわと漂っているような状態」から抜け出すためのひとつの手段として、読書があるのだと考えています。

 

それはいわば、自分が「正気であるため」の手段、つまり「自分が自分であるため」の命綱と言ってもよいでしょう。

 

と述べています。

 

著者のこの言葉には、読書を「知識を増やす行為」としてではなく、「自分を保つための営み」として捉える視点が込められているように感じます。

 

現代は、情報があまりにも多く、自分の立ち位置が簡単に揺らいでしまう時代です。ニュース、SNS、他人の成功談、それらに触れるたびに、どこか落ち着かない気持ちになることがあります。まさに「自分が誰なのかわからず、ふわふわと漂っている状態」とは、こういう感覚なのかもしれません。

 

そのとき読書は、単なる娯楽や教養の手段ではなくなります。本の中にある長い時間をかけて磨かれた思考や言葉に触れることで、自分の内側に静かな軸が戻ってくる。誰かの深い思索に向き合う時間は、自分自身と向き合う時間でもあります。

 

読書を「正気であるための命綱」と表現した著者の言葉は、少し大げさに聞こえるかもしれません。しかし、情報に流されそうになるときや、自分の判断に自信が持てなくなるとき、本を開くことで呼吸が整うような感覚を覚えることがあります。活字を追いながら、「自分はどう考えるのか」と問い直す。その積み重ねが、「自分が自分である」という感覚を支えているのだと思います。

 

読書は即効性のある処方箋ではありません。けれども、静かに、しかし確実に、内面の足場を固めてくれる行為です。外の世界がどれほど変化しても、思考する習慣があれば、自分を見失わずにいられる。

 

私自身、迷いが強い時期ほど、本に向き合う時間が増えていたように感じます。振り返れば、それは答えを探すためというよりも、「自分の輪郭を取り戻すため」だったのかもしれません。

 

読書とは、未来を変える技術である前に、まず「自分を守る力」なのだ、そんなことを改めて考えさせられる一節でした。

 

 

『マネジメントへの挑戦』(一倉 定)の中で著者は

 

“付加価値を一定の割合で労使に分配する”

のであるから、労使とも、もはや分配に対する争いはする必要がない。

 

そして労使とも、自分の有利になることは、付加価値そのものを大きくす

ることなのだ。

 

付加価値を大きくすることが、労使ともに自分の利益ならば、利害は完全に一致するのである。

 

労使は手をたずさえ、ともに付加価値の増大に専念すれば良いのだ。

労使の協働と相互信頼の姿が、ここから生まれてくるのである。

 

と述べています。

 

この一文には、経営や労使関係をめぐる議論で見落とされがちな「視点の転換」が凝縮されているように感じます。

 

著者が語っているのは、賃金や取り分をめぐる争いそのものを否定するというよりも、「争いが起きてしまう構造」に目を向けよう、という提案です。

 

付加価値を一定の割合で分け合う仕組みである以上、労使のどちらかが一方的に得をすることは本来あり得ません。それでも対立が起きるのは、「分配」に意識が集中しすぎているからなのでしょう。

 

視点を少し引いて考えると、本当に重要なのは「どう分けるか」ではなく、「そもそも何を、どれだけ生み出せているのか」という点にあります。付加価値そのものが小さい状態では、どれほど公平な分配を掲げても、不満や不信は消えません。逆に、付加価値が大きくなれば、分配をめぐる緊張は自然と和らいでいきます。

 

この考え方が示唆しているのは、労使の利害は本質的には対立していない、という事実です。付加価値を大きくすることが、労働者にとっても、経営側にとっても利益になるのであれば、目指す方向は同じになります。ここに気づいたとき、労使関係は「交渉」から「協働」へと質的に変わっていくのだと思います。

 

実際、現場で仕事をしていると、雰囲気や信頼関係が良い組織ほど、「誰がどれだけ取るか」よりも、「どうすれば全体が前に進むか」という会話が自然と増えていきます。信頼はスローガンで生まれるものではなく、同じ目的に向かって価値を積み重ねていく過程の中で育つものなのでしょう。

 

労使の協働と相互信頼とは、理想論ではなく、付加価値という共通言語を持ったときに初めて現実のものになる。そのことを、あらためて考えさせられる一節でした。