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週1冊、地味に続ける読書ブログ

30年の読書が教えてくれたこと

『ドリルを売るには穴を売れ』(佐藤 義典)の中で著者は

 

TDRには「対価を受け取る仕組み」が多数存在する。事実、アトラクションやショー、物販店、飲食店の数は、それぞれほぼ30強ずつだ。つまり、アトラクションは全施設の1/3で、残りの2/3は物販と飲食店なのだ。こうなるとTDRは「テーマパーク」というより、巨大なショッピングセンターだといえるだろう。

 

と述べています。

 

ディズニーランドから帰る人の手には、たいてい紙袋がぶら下がっています。ぬいぐるみ、お菓子の缶、カチューシャ。「そんなに買うつもりはなかったのに」と言いながら、みんな笑っています。

あの場所で財布のひもがゆるむのは、値段を忘れているからではありません。買っているものが、商品ではないからです。

 

パレードを見た興奮の続きとして、ぬいぐるみを抱える。並んだ時間を分かち合った記念に、同じお菓子を選ぶ。人が持ち帰っているのは、モノではなく、その日一日の記憶なのだと思います。

数字を見れば、アトラクションは全体の3分の1にすぎません。残りの3分の2は、物販と飲食。冷静に眺めれば、確かに巨大なショッピングセンターです。それでも誰も、そこで「買い物をさせられた」とは感じない。

 

ドリルではなく、穴を売る。TDRが売っているのは、アトラクションでも土産物でもなく、「今日は特別な一日だった」という実感なのでしょう。

だからこそ、人は何度でもあの場所に帰っていくのだと思います。

 

 

 

『1985年の無条件降伏 プラザ合意とバブル』(岡本勉)の中で著者は

 

プラザ合意から30年という日本経済の興亡で、日本と日本人が失ってしまった一番大きなものは、たぶん、「明日は今日よりいい」という素朴な思いだ。そして、それが、長期の不況の原因でもあり、結果でもあった。

 

と述べています。

 

この言葉を読んで、胸に刺さるものがありました。

私が読書を始めたのは1990年ごろのことです。ちょうどバブルが崩壊し始めた時期と重なります。あの頃から今まで、日本全体に漂う「将来への不安」や「先が見えない重さ」を、肌で感じながら生きてきた気がします。

 

自分自身も、店舗経営がうまくいかず、事業資金の返済のためにサラリーマンに戻りました。そこから長い時間をかけて返済を続け、完済できたのは3年前のことです。振り返れば、「明日は今日よりいい」と素直に思えない時期が、確かにありました。

 

それでも返済を終えられたのは、少しずつでも前に進んでいれば、いつか終わりが来ると信じていたからだと思います。

 

そして今、高齢者と呼ばれる領域に足を踏み入れつつあります。雇用継続が難しくなる年代を迎え、最近では就職活動にも挑戦してみました。正直、この年齢での就活は簡単なことではありません。それでも動いてみようと思えたのは、完済という一つの区切りを経験し、「まだやれることがある」と思えたからかもしれません。

 

読書だけは、この30年間手放しませんでした。NISAでの積み立て、資格の取得、AIツールへの挑戦。どれも、「明日は今日よりよくなる」という思いがあったからこそ続けてこられたことです。

 

著者が言う「明日は今日よりいい」という素朴な思いは、経済の話であると同時に、一人ひとりの生き方の話でもあると思います。社会全体がその感覚を取り戻せるかはわかりません。ただ、自分だけは、その思いを手放さずにいたい。年齢に関係なく、そう思い続けられることが、何よりの財産なのかもしれません。

 

 

『本を読む人はうまくいく』(長倉顕太)の中で著者は

 

本屋での待ち合わせは、単なる時間調整以上の価値がある。それぞれが興味を持った本棚の前で出会うことで、「今日はどんな気分?」という言葉以上に、その日のお互いの心理状態や関心事が自然と伝わるものだ。

 

と述べています。

 

待ち合わせの場所として本屋を選ぶ人は、それほど多くないかもしれません。しかし著者は、本屋での待ち合わせには、カフェや駅とは違う独自の価値があると言います。

 

どの本棚の前にいるか、どんな本を手に取っているか。それだけで、その人が今何に関心を持ち、どんなことを考えているかが、言葉を使わずに伝わってくるというのです。

 

「今日はどんな気分?」と聞かれても、なかなか正直に答えにくいことがあります。しかし手に取った本は、そのときの自分の心理状態を、自然と映し出してしまうものかもしれません。

 

本屋という空間が、人と人との距離を縮め、言葉以上のコミュニケーションを生む場になり得る。そんな視点を、著者はさりげなく教えてくれています。


 

『AGELESS「老いない」科学の最前線』(アンドリュー・スティール)の中で著者は

 

おそらくもっとも意外で、なおかつ納得の老化のバイオマーカーは「外見」だろう。

 

年齢を重ねても、ハリやつやのある顔を維持している人をうらやむには、虚栄心以外の理由があるらしい。見た目が若いというのは、どうやら生物学的に若いことを意味しているようだ。

 

2009年の調査では、顔写真からその人の年齢を推測するよう評価者に頼んだ。その推測を集計して平均した「見た目年齢」を算出したところ、実際の年齢を考慮した後でさえ、死亡率の正確な予測になることがわかった。

 

と述べています。

 

この言葉を読んで、「見た目」への意識が少し変わりました。

外見に気を使うことを「虚栄心」だとどこかで思っていましたが、著者によれば見た目の若さは生物学的な若さの表れだといいます。顔写真から推測された「見た目年齢」が死亡率の予測にまでなるという調査結果は、驚きと同時に深く納得しました。

 

振り返ってみると、私は自分なりに体と向き合う習慣を続けてきました。毎晩9時に就寝し、朝4時30分に起きて20分の自重トレーニング。通勤では1万歩を意識して歩き、エレベーターより階段を選ぶ。食事は「まごにやさしい」を意識して、豆・ごま・野菜・魚・きのこ・いもなど、いろいろなものをバランスよく食べるようにしています。

 

体だけでなく、気持ちの面でも前向きに挑戦を続けています。オフ会などで様々な年代の方と交流する機会を大切にしているのも、新しい刺激が心と体の若さを保つと感じているからです。

 

おかげで体調はよく、細胞レベルで若くいられる実感があります。

著者の言葉は、こうした日々の積み重ねが、見た目にも生物学的な若さにもつながっているという、科学的な裏付けを与えてくれました。見た目を整えることは虚栄心ではなく、健康への投資だった。そう確信できた一冊です。

『お金の不安という幻想』(田内学)の中で著者は

 

6歳未満の子どもを育てている家庭では、妻が家事や育児に使う時間は、1日7時間34分。一方、夫はわずか1時間23分だ。日本の女性は、他の先進国の女性よりも1~2時間長く無償労働を担っており、男性は逆に1~2時間も短い。この差は1日当たりのものだ。1年続けば膨大な時間になる。

 

「もっと女性に働いてもらう」と言う前に、すでに多くの女性が〝働いている〟事実にまず目を向けるべきではないだろうか。

と述べています。

 

1日7時間34分と1時間23分。この数字の差は、言葉で説明するより、はるかに雄弁です。

 

著者が指摘するのは、「無償労働」という視点です。家事や育児は、お金として換算されませんが、れっきとした労働です。それを日本の女性は、他の先進国の女性よりも長く担っているという現実があります。

 

「女性にもっと活躍してもらいたい」という言葉をよく耳にします。しかし著者は、その前にまず、すでに多くの女性が家庭の中で長時間働いているという事実を直視すべきだと言います。見えていないだけで、労働はそこに確かに存在している、ということです。

 

社会全体の生産性や働き方を語るとき、こうした「見えない労働」をどう評価し、どう分かち合うかという視点が、これからますます重要になってくるのだと感じました。