読書ブログ

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読書で幸せをみつけましょう

『新版 知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫)

の中で、著者は

 

戦費の調達に苦慮するリンカーンに対してロスチャイルド家は36パーセントという高金利の融資を持ちかけますが、リンカーンは拒否し、1862年に連邦政府自らの手による紙幣発行を決定します。

 

しかしこれは、政府が債務を負わずに通貨を発行することを意味し、民間中央銀行を運営して通貨発行益を得るという国際金融資本家の利害に反します。

 

リンカーンはその決定から3年後に暗殺されました。  

 

と述べています。

 

リンカーンが高金利の融資を拒み、自ら紙幣を発行したという決断は、単なる戦費調達以上の意味を持っていました。


それは「通貨発行権」をめぐる、国家と国際金融の利害が激しく衝突する瞬間でもあったのです。

 

そのわずか3年後に彼が暗殺されたことを、単なる偶然と片づけてよいのでしょうか。


歴史を振り返ると、国家の命運を左右する決断を下した人物の背後には、必ずといっていいほど「強大な経済的利害を持つグループ」の存在が浮かび上がります。

 

陰謀論とみなされる側面も確かにありますが、同時に「資金を握る者が政治の行方を左右しうる」という現実は否定できません。


リンカーンの物語は、まるで壮大な歴史劇の一幕のように、政治と金融のせめぎ合いのドラマを私たちに伝えているのではないでしょうか。

 

 

『2035  10年後のニッポン ホリエモンの未来予測大全』(堀江 貴文)の中で著者は

 

65歳以上の人は社会的責任の有無によって寿命が7~8歳も違ってくるのだという。

 

適度な張り合い、忙しさ、ストレス、責任感が健康に直結するのだ。  

 

今後、老人の定義は変わるだろう。

 

と述べています。

 

「65歳以上の寿命が“社会的責任”の有無で7~8年も違ってくる」という指摘は非常に示唆的です。

 

私たちはこれまで“老い”を年齢とともに衰えていく過程として捉えてきました。

 

しかし実際には、年齢そのものよりも「社会的な役割」や「張り合いのある日常」が健康寿命を左右していることが明らかになっています。

 

適度な忙しさや責任感は、ストレスとしてではなく“生きる張り合い”として作用し、心身を活性化させます。

 

つまり、「老化」とは年齢による自然現象ではなく、“役割の喪失”によって早められる側面があるということです。

 

今後、“老人”の定義は単なる年齢基準ではなく、社会とのつながりの質や担う役割によって再考されていくのかもしれません。

 

 

『人生100年時代の稼ぎ方』(勝間 和代)の中で著者は

 

健康を失ってしまったら、わたしたちは一切の幸せを感じることができなくなります。

 

そのことがあまりにも現代では軽視されていると、わたしは常に感じています。

 

と述べています。

 

健康を失うと、どんなに豊かな環境にいても幸せを感じられなくなる。

 

著者のこの言葉には強い真実があります。

 

現代社会では、仕事や目先の成果を優先するあまり、健康が軽視されがちです。

 

けれど、日常の小さな幸せも、健康という土台があって初めて感じられるもの。

 

私自身も体調を崩した経験から、「健康は当たり前ではなく、守るべき資産」だと痛感しました。

 

健康な状態を維持できるよう、運動等を習慣化してゆきます。

 

 

 

幸福論「しくじり」の哲学(中田 敦彦)の中で著者は

 

朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なりという孔子の言葉がある。

 

と述べています。

 

孔子の「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という言葉は、たとえ一日であっても、真理や正しい道を知ることができれば人生に悔いはない、という意味です。

 

情報があふれる現代では、知識を得ること自体は容易になりましたが、自分の生き方を変えるほどの「道」に出会う機会はそう多くありません。

 

著者もある一冊の本や出会いが、考え方や選択を大きく変えた経験があるのではないでしょうか。

 

そういった「道」にで出会う機会を求めて読書を続けてゆきたいと思います。

 

 

 

『読書する人だけがたどり着ける場所』(齋藤 孝)

の中で著者は

 

私が大学で教えるほかに、テレビでの仕事、書籍の執筆をしながら、毎日大量に本を読み、漫画を読んでテレビを見て映画を見ていると言うと、「どこにそんな時間が?」と驚かれるんですが、これも読書で培った集中力の賜物と言えるでしょう。

 

と述べています。

 

多忙な日々を送りながらも、本や漫画、映画、テレビまで楽しむ著者の姿勢には驚かされます。

 

その原動力を「読書で培った集中力」と言い切るあたりに、経験からくる確信が感じられます。

 

確かに、読書は長時間ひとつのことに向き合う力を育てます。この集中力があれば、限られた時間でも密度の濃い活動が可能になるのでしょう。

 

私自身も、読書を重ねることで、短時間でも深く没頭できる瞬間が増えたと感じています。

 

日々の中で集中力を鍛えることは、時間を増やすことに等しいのかもしれません。