『すべては導かれている 逆境を越え、人生を拓く 五つの覚悟』(田坂 広志)の中で
著者は
現実の場面で、我々がめざすべき「無心」とは、心の中を「私心」が支配していない状態のことであり、 心の中で「小さなエゴ」が騒いでいない状態のことです。
そして、「直観」は、その「無心」のときに閃く。
それが、真実なのです。
と述べています。
著者のこの一節を読むと、「無心」という言葉に少し違った光が当たるように感じます。
無心とは、悟りをひらいた僧侶のように雑念ゼロの状態になることではなく、むしろ私たちが普段抱えがちな 、私心 や 小さなエゴ に振り回されていない状態。
誰かに評価されたい、失敗したくない、得をしたい、そんな気持ちが一度静まったとき、ふっと湧き上がる考えこそが「直観」であり、真実に近いというのです。
実際、迷いながら考え続けるほど正解が見えなくなり、肩の力を抜いた瞬間に答えが降りてきた経験はないでしょうか。
歩いているとき、風呂に入っているとき、早朝にぼんやり空を見上げているとき。
気負いを手放した瞬間、心の奥に沈んでいた答えが浮かび上がるような感覚。
それは、まさに著者のいう「無心」に近いのかもしれません。
今の時代は情報も刺激も多く、常に正しさや成果を求められることで心が騒ぎやすいものです。
だからこそ、意識的にエゴを脇へ置き、「今の自分」にすっと立ち返る時間を持つことが、大きな決断や創造の源になるのでしょう。
自分の内側に静かな空白が生まれたとき、その空白にこそ直観が宿る。
答えを外に探し続けるだけでなく「聞こえてくる声を待つ」姿勢もまた、人生を進むための大切な技術だと感じました。




