読書ブログ

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読書で幸せをみつけましょう

『すべては導かれている 逆境を越え、人生を拓く 五つの覚悟』(田坂 広志)の中で

著者は

 

現実の場面で、我々がめざすべき「無心」とは、心の中を「私心」が支配していない状態のことであり、 心の中で「小さなエゴ」が騒いでいない状態のことです。 

 

そして、「直観」は、その「無心」のときに閃く。  

 

それが、真実なのです。

 

と述べています。

 

著者のこの一節を読むと、「無心」という言葉に少し違った光が当たるように感じます。


無心とは、悟りをひらいた僧侶のように雑念ゼロの状態になることではなく、むしろ私たちが普段抱えがちな 、私心 や 小さなエゴ に振り回されていない状態。


誰かに評価されたい、失敗したくない、得をしたい、そんな気持ちが一度静まったとき、ふっと湧き上がる考えこそが「直観」であり、真実に近いというのです。

 

実際、迷いながら考え続けるほど正解が見えなくなり、肩の力を抜いた瞬間に答えが降りてきた経験はないでしょうか。


歩いているとき、風呂に入っているとき、早朝にぼんやり空を見上げているとき。


気負いを手放した瞬間、心の奥に沈んでいた答えが浮かび上がるような感覚。


それは、まさに著者のいう「無心」に近いのかもしれません。

 

今の時代は情報も刺激も多く、常に正しさや成果を求められることで心が騒ぎやすいものです。


だからこそ、意識的にエゴを脇へ置き、「今の自分」にすっと立ち返る時間を持つことが、大きな決断や創造の源になるのでしょう。

 

自分の内側に静かな空白が生まれたとき、その空白にこそ直観が宿る。


答えを外に探し続けるだけでなく「聞こえてくる声を待つ」姿勢もまた、人生を進むための大切な技術だと感じました。

 

 

 

『弘兼憲史流「新老人」のススメ』(弘兼憲史)の中で著者は

 

年をとるほど謙虚な気持ちで他者に接する姿勢が大切です。

 

例えば、年上だからといって偉そうに話すのではなく、若者にも敬語を使う。

 

と述べています。

 

この言葉から感じるのは、年齢を重ねることを「立場の強さ」ではなく、「姿勢の美しさ」として捉える著者らしい人生観です。


年を取ると、どうしても「経験がある」「知っている」という気持ちが前に出てしまいがちですが、著者はそこに一度ブレーキをかけ、「謙虚さこそが大人の成熟だ」と語っているように思います。

 

若い人に敬語を使うという行為は、一見すると些細なことですが、実はとても象徴的です。


それは相手を年齢ではなく「一人の人間」として尊重する態度の表れであり、上下関係ではなく対等な関係を築こうとする意思表示でもあります。


こうした姿勢は、結果的に世代間の壁を低くし、会話を豊かにし、人間関係を長続きさせてくれます。

 

人は「尊重されている」と感じたときに心を開きやすくなると言われています。


つまり、年長者が一歩へりくだることで、若い世代から自然と信頼や敬意が返ってくる。


それは威圧による服従ではなく、人格への共感から生まれる、健やかな関係性です。

 

「新老人」とは、年齢を重ねても学び続け、相手から何かを受け取ろうとする人。


偉ぶらず、構えず、静かに敬意を示す、そんな姿こそが、これからの時代に最もかっこいい大人の在り方なのかもしれません。

 

 

 

 

『人づきあいはコスパで考えるとうまくいく コミュニケーションはスキルが9割』(勝間 和代)の中で著者は

 

親切は、自己犠牲を払ってまで行うのではなく、自分の余力の範囲で安全な範囲でできることを行うようにしましょう。

 

と述べています。

 

この一文は「親切=自己犠牲」という思い込みを、静かにほどいてくれる言葉だと感じました。


私たちは小さい頃から、「人には親切に」「困っている人を助けるのは当然」と教えられてきました。

 

その結果、いつの間にか自分の余力を超えて無理をしてしまい、心や時間をすり減らしてしまうことも少なくありません。

 

著者の言う親切は、冷たさではなく持続可能性を大切にする考え方だと思います。


他者のための行動がストレスになりすぎると、共感疲労や燃え尽きにつながることが知られています。

 

無理な親切は、結局長続きせず、人間関係そのものを苦しくしてしまうこともあるのです。

 

だからこそ、「自分の余力の範囲で」「安全な範囲で」という視点が重要になります。


時間に余裕があるとき、気持ちに余白があるときに差し伸べる手は、無理をして出す手よりも、ずっと温かく、自然なものになるはずです。

 

親切とは、すべてを背負い込むことではなく、できることをできる形で続けていくこと。


自分を守りながら人と関わることが、結果的に良い関係を長く保つ近道なのだと、この一文は教えてくれているように思います。

 

 


 

『田中角栄 魂の言葉88』(昭和人物研究所)の中で著者は

 

角栄の尽力以来、雪国の住民は変わっていく。雪が降ったら1年の3分の1は閉じ込められジッと我慢する生活から、「雪が降ったら除雪する」に変わった。つまり、雪がカネになったのだ。

 

と述べています。

 

この一節を読むと、田中角栄という政治家の「現場を変える力」がどれほど大きかったか、あらためて実感します。


角栄は机上の発想ではなく、雪国の暮らしを肌で理解していた人でした。

 

冬になれば交通が止まり、物流が止まり、人々は家に閉じこもるしかないその生活の不自由さを、本気でなんとかしようとした政治家だったのです。

 

彼が推し進めた除雪体制の整備は、単なる道路対策ではありませんでした。


雪が「行動を奪う存在」から「取り除けば動ける存在」へと変わったことで、住民の生活が一気に前向きになり、地域の空気そのものが明るくなったと言われます。

そして重要なのは、この変化が 地域経済にも大きな波及効果を生み出した ことです。


除雪作業は多くの建設業者や関連企業の冬季の仕事を生み、新たな雇用や収入の柱にもなりました。これまで「冬は仕事が減る季節」だった地域で、定期的な業務が発生することで、働く人たちの生活も安定します。


つまり、除雪は単なる公共サービスではなく、地域の産業を支える経済活動へと成長していったのです。

 

「雪が降ったら我慢する」のではなく、「雪が降ったら動き出す」という発想の転換。


こうした大胆な視点の切り替えこそ、角栄の政治家としての真骨頂でした。人々の生活の痛みを読み取り、地域の未来像まで描いて政策を進める──数字では測れないほどの影響力が、そこにはありました。

 

政治が現実の暮らしを変えるとは、まさにこういうことなのだと感じさせられる一節です。

 

角栄の行動力と現場主義は、今の時代に読んでもなお驚きを与えてくれます。

 

 

朝イチの「ひとり時間」が人生を変える(キム・ユジン)の中で著者は

 

4時30分にアラーム音が聞こえた瞬間から5秒カウントダウンを始める。

 

その5秒以内にアラームを切り、目を擦ってでも起きるのが私なりの流儀だ。  

 

朝早く起きることに関して、残念ながら特別な秘訣はない。

 

ただ何も考えずに目を開け、体を起こす。このやり方がいちばん効果的で、たいしてつらくない。  

 

実際に睡眠の専門家であるニール・ロビンソンによれば、疲れたからもう少し眠るといってアラームを切り、寝直して数分後に起きる場合、睡眠サイクルがまた始まったところを急に中断されることになり、かえって一日中疲労感を覚えることもあるという。

 

と述べています。

 

早起きに関するこの一節は、「意志の強さ」よりも「行動のシンプルさ」が習慣を決めるという核心を突いているように思います。


私たちはつい、もっとよい早起きのコツや特別な方法を探しがちですが、実際には目が覚めた瞬間の5秒で行動が決まり、1日の質まで左右されてしまうもの。

 

著者のように、アラームが鳴ったら考える前に体を起こすというスタイルは、非常に理にかなっています。

 

人は眠気や感情を根性でねじ伏せるより、「判断の余白をなくす」ほうが圧倒的に成功しやすいと言われます。


5秒以内に起きるという小さなルールは、その余白をそっと消し、迷いのスイッチを入れないための仕組みでもあります。

 

また、アラームを止めて二度寝に入ると、ちょうど新しい睡眠サイクルが始まったところを突然中断する形になります。

 

これは脳に強い負荷となり、結局「もっと寝たのに朝からだるい」という逆効果を生むと言われています。


私たちが経験的に「二度寝すると余計に疲れる」と感じてきた理由が、科学的にも裏付けられているわけです。

 

だからこそ、「スッと起きる」という一見シンプルな行動が、実は心身にとって最善の選択だったりします。


早起きは特別な才能ではなく、ちいさな行動を毎朝積み上げることで誰でも習慣にできるもの。

 

こうした小さな積み重ねが、やがて自分の時間を主体的に使える人へと導いてくれるのだと思います。

 

朝の始まりは、その日一日の土台になります。


迷いを捨ててまず体を起こす、それだけで日常が少しずつ軽く、そして前向きに変わっていくのかもしれません。