サラリーマンの副業+在宅×必要悪ソフト -5ページ目

サラリーマンの副業+在宅×必要悪ソフト

人様から、お金を貰って提供できるだけの何かを形にするためには、最低でも10年は必要。確固とした専門スキルを持たぬ者が「大事なのはお客様」などと主張するのは持たざる者の言いわけ。それを、いかにして成すかを理解せぬ者が、何をするかだけを決めるのは間違いのもと。

私も─、



いつの間にやら世間で言うところの、
中堅と呼ばれる世代へと突入して久しいが、



これまで生きて来た中で、
それなりに色々な人にも出会って来たし、



こうして─、



ネットビジネスなんぞに取り組む仕事柄、



様々な事業家の方々と、お会いする機会にも、
ちょくちょく恵まれても来た。



そのような方々と話をしていると、
たいてい言葉の端々に垣間見えて来るのが、



その人の人生哲学だ。



哲学などと言うと何やら小難しそうな話にも聞こえるが、
平たく言うと「 考え方 」の問題で、



私が─、



過去、拝聴して来た人たちの言葉を、
拝借してまとめるなら、



"自分の軸をブレさせないための、
生きて行く上での指針"



といったところか…。



昔から有名なもので言うと、例えば、
孔子の論語などは教科書にも載るほど有名だし、



以前では─、



ニーチェの哲学などが生きる上でのヒントとして、
リバイバルされた時期などもあった。



それ以前では─、



『 ソフィーの世界 』といった物語風の解説本が、
ベストセラーになったこともあったのではなかったか。



( 私は、いずれも読んではいないが… )



ただ─、



こういった話は往々にして、
胡散臭さと紙一重な部分があり、



人によっては─、



一切、受け付けないという人も少なくなく、
極めて相手を選ぶ話題でもある。



確かに─、



「 塞翁が馬 」などと言うと、
多少は相槌を打ってくれる人もいるかも知れないが、



「 起こることには、すべて意味がある… 」



であるとか─、



「 神は自分が乗り越えられない試練を、
お与えになることはない 」



などといった話を大真面目に語るとなると、
よほどこちらが相手から熱烈な支持を受けている、



有名スポーツ選手であるとかカリスマ経営者だと、
いうのでもない限り、ドン引きされるのがオチだ。



従って─、



哲学というのは、先にも述べたように、



"自分の軸をブレさせないための、
生きて行く上での指針"



として─、



身に付けて行く分にはいいが、



決して─、



人に講釈を垂れるために利用すべきものではないということも、
厳に戒めておくべきことだと言える。



まぁ─、



そのようなことで自分はというと、
あまり選り好みはせずに、



かつて─、



そういった分野で割りと名著と呼ばれるものから、
一見すると胡散臭そうな著書まで、



数十冊程度、
読み比べてみたことがあったのだが…、




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( 次回へつづく... )
『 人生哲学を語る時に避けては通れない少々厄介な、あの存在 』



前回の記事は、こちら─、
『 これぞ板挟み!誰も間違っていないもかかわらず何かがおかしい?』



思い返せば─、



こういう事例は私の祖母にも当てはまる。
私の母方の祖母は大正9年生まれで、



もう─、



他界して久しいが生前、
神戸に住んでいた祖母は、



年に何回か我が家に泊りがけで訪ねて来るのが、
毎年、恒例の行事で、幼少期の私と妹は、



毎回─、



お祖母ちゃんが来るのを心待ちにしていた。
そんな祖母の大好物は熱々のかす汁。



祖母の若い頃というのは、一体どういう時代で、
どんな生活環境であったのかは、



我々としても─、



もはや具体的に、
想像し得るものではないが、



母曰く─、



お祖母ちゃんにとっての最高の贅沢は、
先にも述べた、具だくさんの熱々のかす汁で、



とにかく─、



熱々でホカホカの、かす汁を息を吹きかけながら、
食べるのが幸せという人だった。



要は─、



そういうものが貴重だった時代で、
そういう生活環境の中で生きて来た人、



ということであろう。



そんなわけで─、



我が家へやって来た時などには、お袋と一緒に、
夕飯の支度なども手伝ってくれたりするわけだが、



私が初め見た時に驚いたのが、



まず─、



ご飯をよそう前に、あらかじめご飯茶碗に、
お湯を注いでおき茶碗を温めておくのだという。



そうしておくと─、



よそったご飯が冷めにくいのだという。



そうやって─、



うちの父に「 冷めないうちにどうぞ 」と、
世話をやいてくれたりするわけだが、



当の父はというと猫舌で、
それが食べられないのである。



もちろん─、



父も、義理のお母さんの、
気遣いであることは分かっているため、



特に何も言わず、
やり過ごしてはいるのものの、



「 あの人に、そんなことはしなくてもいい!」



と母が再三に渡り祖母に忠告しても、
祖母には、それが理解できないのである。



よかれと思ってやっていることが、
相手にとっては、



有難いどころか迷惑でしかないという、
残念な事例だ。



まぁ─、



人間、いかに相手のことをおもんぱかろうとしても、
そこには限界があり、



所詮は─、



自分というフィルターを通してしか、
世界は見渡せないものだ。



その事は常に、

心に留めておきたいものである。



さて─、



私が次世代の子供たちに、
押し付けている無理解とはいかに…!?




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前回の記事は、こちら─、
『 世代間のギャップというのは、こういうところから始まる…!?』



そんな中─、



私も塾に通うようになり、
夕方6時から始まる授業に合わせて、



母親が夕食を用意してくれるわけだが、



そこでまた─、



例によって「 ちょっと多い 」だの「 ぜんぶ食べなさい 」
だのといった、ひと悶着が始まるわけだ。



時間も差し迫って来る中、
やむなく渋い顔をする母親を振り切り、



食事を途中で切り上げて、
家を出ることになるわけだが、



そんな─、



出掛ける前に押し問答などしていては、
塾の時間に間に合うはずもない。



自転車で猛ダッシュで駆け付けるも、



結局─、



遅刻してしまい、ある日、塾に着くやいなや、
塾長のA村先生から教科書で頭を思いっきりしばかれてしまった。



当時─、



私が通っていた塾は、
この近辺でも厳しいことで有名で、



昨今─、



生徒の頭をしばくというのは、
さすがに問題視される部分もあるだろうが、



当時は─、



まだ、それが厳しさとして、
まかり通っていた時代だった。



実際─、



授業に遅刻したことは事実なわけで、
塾の先生としても、



遅刻して来た生徒に対して、
しかるべき指導を行ったというだけに過ぎない。



そして─、



母も母で塾に行く息子のために、
毎回、夕食を作ってくれているわけだ。



にもかかわらず─、



一体全体どうして、
こういう事態に陥ってしまうのか…。



結局─、



この憤りを、どこへぶつけることも出来ず、
消化できない不満だけが残った十代前半の出来事であった。




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( 次回へつづく... )
『 連綿と続く世代間の無理解!』