前回の記事は、こちら─、
『 私が会社で学んだ、社内で煙たがられる研究テーマ 』
結局─、
AI ( 人工知能 ) に関する知識は…、
一度、画像データのメモリ割り当て問題で、
遺伝的アルゴリズムを用いたシステムを手掛けたことがあった他、
本ブログでも紹介している、
アメブロの読者登録を管理するするソフト、
『 Ameba ReaderManager 』( 無料 )
において、
読者登録の際の画像認証を自動認識させる機能を、
ニューラルネット ( ディープラーニング ) を用いて、
実現したという経緯があるくらいで、
過去の十年以上に渡るの私の開発のキャリアにおいて、
利用回数が、上記の二件というのは、
極めて "打率の低い" 技術だったと言えるだろう。
しかし─、
それでは、AI ( 人工知能 ) の研究に取り組んだことは、
無駄だったのかと言うと、
やはり─、
自分が過去に取り組んだ研究分野への、
ひいき目を差し引いたとしても、そうは思わない。
プログラマーなどという人種は文字通り、
プログラムを書くことが三度の飯より好きな人種であり、
そういう点では、企業に入ってからの開発の仕事に、
苦痛や迷いを感じたことはない。
しかし─
そうは言っても、やはり仕事である以上は、
やりたいことだけを選り好みしていられるわけでもない。
そういう点では─、
自分が興味のある分野に、じっくりと取り組み、
自分が興味のある論文を、じっくりと読める時間というのは、
多くの場合、学生時代を除いて他にはない。
そして─、
直接的には利用価値はなくとも、自分の中に、
そのような「 奥行き 」があるというのは、
その後の、エンジニアとしての実業務にあたる上でも、
懐の深さには、つながって来るものだ。
もちろん─、
冒頭の例でも述べたように、それが、
いつなんどき、有用になるやも知れない。
そうなった時─、
自分に "奥の手" があるというのも、
なかなか、クールな話ではあるまいか?