1年前に、勝山~川中~安岡に広がる
「史跡の道」をご紹介しました。
その際、みばやし古墳群をご紹介したのですが、
古墳群の付近までは行っていなかったので、
このたび行ってきました。
※地図は昨年6月掲載時点の内容です。
※画像をPCに保存すれば、拡大してご覧いただけます。
※「鷹状掛用水路」とあるのは、「鷹伏掛用水路」の誤りです。
↑の地図の9の場所。
東側から撮影しています。
左折(南下)して、道なりに進みます。
林に入ります。
みばやし古墳群の手前にある岡古墳。
みばやし古墳群とは別の古墳だそうです。
岡古墳の辺りから、本格的に竹林に入っていきます。
お地蔵様があります。
この先に墓地があります。
みばやし古墳群です。
1枚目の写真は墓地の手前、
2・3枚目の写真は墓地の周辺です。
1枚目の写真の場所はともかく、2・3枚目の写真の場所は
土地が隆起しているから、ここが古墳かな~くらいの感じです。
みばやし古墳群は6~7世紀頃に造られた
10基ほどの小規模な古墳が集まったものです。
詳細な調査はまだなされていないそうです。
ところで。
※地図は昨年6月掲載時点の内容です。
※画像をPCに保存すれば、拡大してご覧いただけます。
※「鷹状掛用水路」とあるのは、「鷹伏掛用水路」の誤りです。
↑この地図の21の場所にある、
「梶栗浜遺跡入口」と記された石標。
以前掲載したものと同じ写真ではあるのですが、
今回改めて掲載させていただきました。
というのも、改めてこの碑を石碑として
ご紹介しようと思ったからです。
案内標識は原則碑に含めないと整理しているため、
前回↑この写真を掲載した時は碑としてご紹介しておらず、
タイトルにも含めておりませんでした。
しかし、古い案内標識を碑に数えたこともありますし、
この碑は、「史跡の道」が整備される前から
設置されていたことが確実であることから、
改めて碑として掲載いたしました。
梶栗浜遺跡は大正2年(1913年)、
長州鉄道(現・JR山陰本線)の工事により発見されました。
弥生時代の埋葬遺跡で、
南側から北側に徐々に広がっていった墓地だったそうです。
梶栗浜遺跡では、日本で初めて多鈕細文鏡が発見されました。
その鏡には、鈕(紐を通す穴の空いたつまみ)が3つあり、
それは、日本では3例しか見つかっていない珍しいものです
(鈕の数は2つのものが多いそうです。)。
また、日本ではあまり発見されていない、
古代朝鮮の青銅器も出土しています。
弥生時代の様々な埋葬の形態や墓標が残されており、
また、大陸との交流をうかがい知ることもできる遺跡で、
昭和55年(1980年)に国の史跡に指定されています。