史跡の道3-3 梶栗浜遺跡、鷹伏掛用水路 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

一昨日の続きです(^∇^)

 

 

※地図は、画像をPCに保存すれば、拡大してご覧いただけます。

 

 

18の場所。JR梶栗郷台地駅です。

 

 

駅前に、航空写真を用いた、史跡の道の案内板があります。

 

 

以前もご紹介した土笛のモニュメント。

 

土笛(「弥生の土笛」)は、綾羅木郷遺跡から発掘されたものです。

中国古代の楽器・陶けん(「けん」は土へんに員)に類似しており、

昭和41年(1966年)に発掘された時には、

日本で初めての発見例でした。

 

モニュメントの背後には、親柱が埴輪になっているやよい橋の姿が。

 

 

19の場所。

↓この道、googleのストリートビューがありません。

 

 

国指定史跡・梶栗浜遺跡です。

 

梶栗浜遺跡は大正2年(1913年)、

長州鉄道(現・JR山陰本線)の工事により発見されました。

弥生時代の埋葬遺跡で、

南側から北側に徐々に広がっていった墓地だったそうです。

 

梶栗浜遺跡では、日本で初めて多鈕細文鏡が発見されました。

その鏡には、鈕(紐を通す穴の空いたつまみ)が3つあり、

それは、日本では3例しか見つかっていない珍しいものです

(鈕の数は2つのものが多いそうです。)。

また、日本ではあまり発見されていない、

古代朝鮮の青銅器も出土しています。

 

弥生時代の様々な埋葬の形態や墓標が残されており、

また、大陸との交流をうかがい知ることもできる遺跡で、

昭和55年(1980年)に国の史跡に指定されています。

 

現在、線路そばの台座の上に石棺が復原され、

隣に「梶栗浜遺跡」と記された石碑が建てられています。

遺跡に関する石を集めて造られたモニュメントだそうです。

 

 

碑は昭和33年(1958年)に建てられました。

 

 

20の場所。

ここはgoogleのストリートビューがあります。

 

 

史跡の道の案内板があります。

ここがゴールです(^O^)/

……いえ、本当はここがスタート地点で、

出発した秋根記念公園がゴールです(;^_^A

 

まあ、なにはともあれ、以上で史跡の道踏破ですo(^▽^)o

 

 

旧国道191号(県道248号下関港安岡線)沿いの21の場所。

地図の文字が拡大しても分かりにくくて、

申し訳ありません(>_<)

 

 

他の道標とは異なる、石製の標識があります。

 

 

最後に、22の場所。

 

 

鷹伏掛用水路です。

18世紀前半に、長府藩士の邨田(村田)重水と

水川信久の尽力により、完成したものです。

 

 

……スミマセン、今気付いたんですけど、

このシリーズで掲載していた全部の地図に

誤って「鷹状掛用水路」と書いておりました(/TДT)/

 

本項により、お詫びして訂正いたします。

申し訳ありませんでした(_ _。)

 

 

と、というわけで、史跡の道は以上です(;´▽`A``