史跡の道3-2 若宮古墳群 | ねりえ日和

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昨日の続きです(^∇^)

 

 

※地図は、画像をPCに保存すれば、拡大してご覧いただけます。

 

今日ご紹介するのは17の場所、若宮古墳群です。

 

若宮古墳群は、史跡綾羅木郷遺跡の西端に位置し、

現在は、綾羅木郷遺跡公園として整備されています。

 

↑上の地図だけでは分かりにくいので、

もう1つ地図を作ってみましたo(^-^)o

 

 

 

 

若宮古墳(若宮1号古墳)です。

前方後円墳で、5世紀中頃に造られたものと推定されています。

現在は、元の形よりも若干大きく復原し、

墳丘を保護しているそうです。

周囲の砂利の部分には濠があったそうです。

 

 

6世紀後半に造られた若宮2号墳。

 

 

若宮3号墳。5世紀に造られたと推定されています。

原型は不明だそうです。

 

 

若宮4号墳。

写真手前向かって左側の、盛り上がっている部分です。

この古墳だけ説明板がありません。

 

 

墳丘墓。1世紀から4世紀頃に造られました。

弥生時代には貯蔵用のたて穴があったそうで、

それが埋まった場所を整地してお墓が造られたとのことです。

若宮古墳築造の際に、南側が削られたそうです。

5つの墓が集まってできています。

 

 

若宮1号石棺墓です。

説明板がないのですが、写真向かって右側

植栽のある場所の地下にあるのではないかと思われます。

 

それと、写真では分かりませんが、向かって左手部分に

 

 

石棺墓の一部と思われるものがあります。

石棺墓(多分)が見えているので、

これも石碑・モニュメントと言っていいかな?

 

 

最後に、若宮2号石棺墓です。

1世紀から4世紀頃に造られたものですが、

地下に保存されているそうです。

これはさすがに石碑・モニュメントには

カウントできませんね(;´▽`A``

 

 

ところで、若宮古墳群は6基の古墳が造られていたそうです。

園内には墳丘墓を含めて5基しかないよなあ……

と思ったのですが、

そう言えば、旧長府博物館に、

移設された若宮古墳南墳の組合式箱式石棺がありましたね。

若宮古墳南墳という古墳が、別にあったのでしょう。

 

綾羅木郷遺跡の南側大部分は、

珪砂採掘業者によって破壊されたそうなので、

そこにあったのでしょうか。

 

 

次回へ続く(^-^)ノ~~