此為豊浦池古豊浦之遺址也此土 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

長府毛利邸の入口横に池の跡と思われるものがあります。

 

 

 

その奥に、「此為豊浦池古豊浦之遺址也此土」から始まる

石碑が建てられています。

 

 

古くはこの地に池があったそうです。

 

豊浦池旧跡」の碑の地にあった池とつながっており、

仲哀天皇が舟遊びしたという説もあります。

時を経るに連れ、池の周囲が埋め立てられ、

両碑の辺りに2つの池として残ったとのことです。

 

もしこれが事実だとしたら、

長さ300m近い池が設けられていたということになります。

 

 

長府毛利邸入口横にあった池は、

そこで子どもが水死したことがあり、

それを受けて埋め立てられたそうです。

 

 

「此為豊浦池古豊浦之遺址也此土」の碑の場所はこちらです。