考古博物館モニュメント、史跡が語る幕末の下関 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

 

 

下関市立考古博物館です。

国指定史跡・綾羅木郷遺跡に隣接しています。

 

 

 

博物館入口に建てられているモニュメントです。

おそらく鵜だと思います。

 

 

鵜は古くから日本人に馴染みが深い鳥であったようで、

神武天皇の時代の家畜や家禽は、

馬と鵜であったと言われていたようです。

 

また、山幸彦と豊玉姫との間に生まれ、

後に神武天皇の父親となる「ウガヤフキアエズノミコト

(鵜草葺不合命、盧茲草葺不合尊(※))」は、

茅の代わりに、屋根に鵜の羽を葺いていた途中の

産屋の中で生まれたと伝えられています。

 

※「盧茲」は、正確には

 「『盧』に『鳥』」+「『茲』に『鳥』」と書き、

 中国語で鵜のことを指します。

 ちなみに、中国語で「鵜」はペリカンのことを指すそうです。

 

更に、下関市豊北町の土井ヶ浜遺跡では、

鵜を抱いて埋葬されている女性の骨が発掘されています。

 

 

場所はこちらです。

 

 

 

考古博物館では、現在、明治維新150年記念企画展

「史跡が語る幕末の下関」を開催中です(^O^)/

 

 

〔追記(平成30年4月13日)〕

このモニュメントが、海鵜の彫刻であることが確認できました。

 

一方、土井ヶ浜遺跡で発掘された

鵜を抱いて埋葬されている女性の骨についてですが、

近年、抱いている鳥が鵜ではなかったことが判明したそうです。