MIYUKIです。
ライラック、芍薬、ツツジと、沢山の花が一斉に咲き誇る季節がやってきました。
雪に埋もれ、花が無い冬の季節を数か月過ごした後に来る、この百花繚乱の季節へ、心からの賛歌を送りたくなります。
この花の季節になると夫婦で、同じ会話が繰り返されています。
あ、以前にもこんな事があった、あ、以前にも全く同じ会話をしている、とどこかで思いながら、相も変わらずやっております。
夫: 「お、ボタンが咲いたね」
私: 「なかなか花芽が付かなかったクレマチスに、今年ようやく蕾がついて、咲くのが楽しみ」
ご近所の、手入れの行き届いた素敵な花花を見ながら、
(ここから先の会話がここ数年繰り返されているのです)
夫: 「我が家にも我が家を代表するような、自慢の素晴らしい花や木が欲しいね」
私: 「目の前にあるでしょ~自慢の素敵なのが!」
夫: 「う!・・」 「そう、そうだね、忘れてた・・(汗)」
夫が同じことを言うので、私もついつい同じ切り口で応酬。
まぁ、どっちもどっちですが、多分夫の方は同じことを毎年言っている事に気が付いていないようです。
ここまできたら、私も、夫が毎年同じことを言っている事をわすれ、私が同じ切り口で応酬している事もわすれ、全て新鮮な気持ちで会話が出来るまでやり続けることにしました。
記憶力もまだバッチリの人は、同じ話を繰り返す老人力の増した人との会話は耐え難いものがあるのでしょうが、老人同士だと、そういういらいら感も失せ、前に聞いたかも・・・?と思いつつも、多くの事がその都度新鮮な話題になってしまいます。
「あら~、そうだったの~」
「へ~、すごいね~」
なんて具合に、会話がとてもスムーズに流れていくのです。
大きな変化も無く、多くの事が繰り返しとなる老年期、大した話題が生まれてこない日常においては、この忘れる機能は、日々を新鮮な気持ちで送ることの出来る、ひょっとしてありがたいものなのかも・・・
とは言え、現在まだその達人になるには、道半ば・・・
言った、言わない、聞いた、聞いていない、やった、やってない、のありがちないざこざは、まだまだ続きそうです。


