スキー遊び(私の昭和 17) | MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

陶芸家の夫である尾形香三夫は、2022年に他界しましたが、タイトルをそのままにして、今後も夫婦の思い出を交えて、書いていきたいと思います。

MIYUKIです。

 

この近辺の小中学校は、そろそろスキー学習が始まる頃でしょうか。北国ならでは・・・なのかな?

 

当時スキーを得意としていた私は、上級クラスに振り分けられ、得意満面でした。今風にいうと「ドヤ顔」?で滑っていました。

 

スキー大会もあったのですが、いつも風邪が流行して中止になっていたような記憶しかありません。

 

今は若い人はスキーよりもボードの方が人気があるようで、思えば娘も、高校の時にボードを買っていましたね。

 

派手なスキーウエア―に、スキーの長さも太さも私たちの時代とはかなり変わってきています。というより、あの時代にスキーウエアなんてありませんでした。いつも雪遊びをする服がそのままスキーウエアに。たしか「アノラック」とか「ヤッケ」と言ってました。

 

スキーの長さは、自分の背丈よりも更に腕を伸ばした長さが理想と言われてましたから、結構長いスキーを使っていました。

 

当然自家用車などある時代ではなかったので、皆長いスキーを担いで行くのです。

 

スキー学習の第1番目は、転び方ではなく、スキーの担ぎ方(笑)

 

エッジの付いたスキーを買ってもらったのは、高学年か中学に入ったあたりだと思います。

 

先生が

「エッジのないスキーはスキーではない」

 

と言い放った言葉が、今でも覚えています。

 

スキー場には当然まだリフトなどという洒落たものはありません。

 

横並びに一歩一歩登っていくのです。

 

だから、てっぺんにまでたどり着いたら、とてもとてももったいなくって、下まで一気に滑り降りるなんて出来ません。

 

途中まで滑ったら、またおっちらおっちら登っていくのです。

 

登るだけでもかなりの体力を使います。

 

父親と一緒に行くときは、ポッケの中に必ずミカンとかチョコレートを入れ、登り終えた後の、頂上からの景色を見ながら、ミカンを食べるのがとても気持ち良かった・・・

 

当時のスキーには、ストッパーが付いていなかったので、転倒してスキーが外れてしまった時、とっても悲惨な光景が繰り広がります・・・

 

スキー靴から外れたスキーが、ものの見事にどこまでもどこまでも‥下界を目指し、跳ねながら滑り落ちて行く・・・

 

全員の「ア゛~~ア゛~~」という叫びが、山にこだまする・・まさにムンクのあの叫びです。

 

この時代の大きな問題のひとつに、ワックスがあります。今風にワックスと言いましたが、「スキーロウ」とかだだ「ロウ」とか言ってました。

 

きちんと塗ってあると問題ないのですが、その手入れをしていない人のスキーは、ものの見事に雪がくっつき、雪の下駄を履いたような状態になってしまいます。

 

ころんころんに雪がくっついてしまって、滑るどころか歩く事さえ難しくなります。

そんなスキーは、外れても滑り落ちていく心配は無いのですがね・・(笑)

 

 

こういう時代ではありましたが、スキーのリゾート地で有名な、あのニセコは、既に全てを兼ね備えたゲレンデでした。

 

今こそ、冬になるとここは外国か?と思うほど海外の人たちに大人気のスキーのメッカなっていますが、私の子供時代にも、リフトやロッジが完備されたスキー場でした。

 

スキーの大好きな父親に連れられ、姉と一緒に一度行ったことがあります。

 

母が、汽車に乗せるためにと、手作りでスキーを入れる袋を作ってくれました。

 

スキーを縛るベルトなんて気の利いたものはありません。その辺の紐でしっかりとスキーを縛り、リュックを背負い、自分の荷物は自分で責任を持つ事を約束させられ、大冒険でした。

 

初めてのリフト。

 

乗り方を教えてもらいましたが、上手く乗れずに、惨めに前につんのめってしまう人を見ていると、もう心臓はドキドキ!

 

今まで経験した事のないスロープの長さ!

 

息が詰まりそうな急な斜面・・・林道の中のスロープ・・

 

夢のような世界でした・・・

 

 

 

スキーを担ぎながらスキー場に辿り着くのも、山の頂上に登っていくのも大変な時代・・・しかしそれらの苦労が、今の時代なかなか味わうことの出来ない達成感を、味わう事が出来たのかもしれませんね。

 

不自由は、子供をたくましくしてくれます。