運動会(私の昭和 その5) | MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

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陶芸家の夫である尾形香三夫は、2022年に他界しましたが、タイトルをそのままにして、今後も夫婦の思い出を交えて、書いていきたいと思います。

MIYUKIです。

 

運動会シーズンですね。

 

ここ最近の週末の朝6時には、あちこちで運動会の合図の打ち上げ花火が遠くからドーン、ドーンと聞こえてきます。

 

 

子供が小中学校を卒業して以来、運動会を覗いたことが殆ど無いのですが、やはり今でも子供にとっても大きなイベントの一つでしょう。

 

運動会の花形はやはり100メートル走やクラス対抗のリレーなのは、今もやはり変わりないのではないでしょうか。

 

走ることが苦手な私は、小中の運動会や体育祭よりも高校の球技大会が好きでした。

 

私の時代には、1~3位の子供にノートや鉛筆の賞品が出ていましたが、今それをやるととんでもない問題が起こってしまいそうですね。

 

当時、運動会と言えば「バナナ」・・・

 

そのくらいバナナと運動会は切り離せられないものでした。(と思っているのは私だけでしょうか?)

 

当時バナナ珍しく貴重な果物で、1年の中の一番の大イベントである運動会の時にしか食べられない宝のような存在でした。

 

競技よりもなによりも、お昼のバナナとのり巻き!

 

私にとって運動会とは、100メートル走でもリレーでもなく、バナナとのり巻きが全てでした。

 

ここまで書いてしまうと、ただただ食い意地だけがはっている子供のように見えてしまうので、もっと違う視点でも書くことにします。

 

運動会が近づくと、近所の子たちとかけっこの練習をやっていました。

 

クラス対抗の他に地区対抗リレーというものがあり、その種目が一番盛り上がったので、代表を決めたりすることもあり、練習しました。

 

今と違い車が走っている時代ではなかったので、道路や家の周りを使って、スタートやリレーの練習をしました。

 

どうしてあんなバカな事が言い伝えられたのか分かりませんが、タンポポの汁を足に塗ると早くなると言われ、みなでゴシゴシと足が黄色くなるまで塗りまくったものです。

 

一応、このように努力もしていましたが、私にとって大事なのはやはりバナナとのり巻きです。

 

 

 

運動会と言っても、楽しい思い出ばかりではありません・・・

 

小学4~5年生の時だったかと思いますが、悲劇的な運動会がありました。

 

母親が早起きして作ったお弁当を持ってやってくるのを、今か今かと待っていました。

 

今のように車はなく、1・5キロくらいの道のりを、当時は重箱にのり巻きやお稲荷さんを詰め、バナナや飲み物を抱えて持ってくるのは、一仕事だったと思います。

 

そして待ちに待ったお昼・・・が・・・突然の激しい雨、雨、雨、

 

運動会は中止になり、スピーカーから

 

「この雨により残りの運動会は明日に延期にします。お昼ご飯は各自家で食べて下さい。」

 

外で友達と一緒にワイワイとのり巻きとバナナを食べる事に意味がある運動会!

 

おかずを見せ合い、交換して食べる事に意味がある運動会!

 

全て失ってしまった悲しい運動会・・・

 

どしゃぶりの中、濡れながらすごすごと帰りました・・・悲しくって涙が出てきます。

 

でも悲劇はこれだけでは終わらなかったのです!

 

本当の悲劇がこの後に起こりました。

 

口惜しさと疲れで皆がうなだれている時、母親が叫びました!

 

「お弁当を校庭に忘れた~~~」・・・・ああああ・・・・