初めての海外旅行の思い出(パート2) | MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

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陶芸家の夫である尾形香三夫は、2022年に他界しましたが、タイトルをそのままにして、今後も夫婦の思い出を交えて、書いていきたいと思います。

MIYUKIです。

初めての海外旅行は、20数年前に行ったパリですが、フランス語は勿論、英語もろくに喋れない状態で行きました。

行く前に読んだガイドブックに

「フランス人は気位が高いので、英語を喋らない」

と書いていたので、旅行英会話を勉強しても無駄だと思い込み、最低限の英会話学習もしないまま出発。

後に、これは完全に間違った情報であることが分かりましたが・・・

ツアーであれば、語学が出来なくても問題はありませんが、私たちが選んだのは、よりによって、航空券とホテルだけが用意されている中抜けパック。

当然色々なハプニングが起きて当たり前です。

パリは、市内を縦横無尽に走っている地下鉄を利用すれば、殆ど行きたい所へは行くことが出来る、観光にはとても便利な乗り物です。

しかし私たちは、是非ゴッホの晩年を過ごした部屋と、ゴッホが描いたオーヴェルの教会を見たいと思っていました。その町に行くためには、地下鉄ではなく、列車を利用しなくてはなりません。

北駅(だったかな?)の構内、一応ガイドブックで予習はしたのですが、現実は予想をはるかに超えて、何が何だかさっぱり分からない状態に。

近くにいたツアー客の一人が、困っている私たちに気が付いて近づいてきました。

「○、△、∵、&、*、×・・・・」

韓国語で話しかけてきました。

「顔は同じでも、私たちは日本人です、韓国語が分かりません・・・」

となんとか伝えたのですが、とても人のいい韓国人だったんですね、一度は離れていくのですが、再びやってきて

「○、△、∵、&、*、×・・・・」

フランス語どころか、韓国語にも対応しなくてはならなくなり、余計に混迷を深めてしまいました。

ここで今回のパリ旅行のハイライトである、ハンサムで優しい駅員さんの登場となりました!

こう言っちゃなんですが、パリ市内を歩いていて、アランドロン(古くてすみません・・)のようなハンサムさんは殆どいなく、その代わり美しい女性は沢山いました。それもスッキリとしたファッションで。

頭の上から足のつま先までブランド品で着飾って歩いているのは、間違いなく日本の女性でした。(当時は。)

話を元に戻しますが、その美しすぎる駅員さんは、私の目をじっと見て(と、思いたい私・・)サッと指を自分の左胸に当てました。

その左胸には数カ国の国旗が縫い付けられていました。

つまり、これだけの外国語が通じますよ、というサインです。

勿論日本の国旗はありませんでしたけど。

恐る恐る

「ジャパニーズ・・」  と一言。

そうです、余りにも美しいお顔のため、半分以上私の頭のほうが働かない状態に陥っていました・・・

「英語は喋れないのか?」

みたいな事を言われ、

「ノー ・・」   と一言。

「オーマイガー!」

みたいな顔をしながら、とどのつまり英語で乗るホームと乗換えが必要なことを、身振り手振りを加えながら、必死で伝えようとしています。

今回のパリ旅行、夫婦で役割分担をしていました。

地理に関しては主人、方向音痴の私は語学担当。

そう、私は語学担当であったにもかかわらず、旅行英会話もしてこなかったツケがここにきて回ってきました。

ハンサムな駅員さんにボ~っと見惚れている私から、持っていたカードをサッと取ると、さっさと切符を買い、私たちをホームにまで連れて行ってくれました。

「とにかく、○○駅で乗り換えろ!」

みたいな事を必死で身振りと英語で伝えながら、列車に乗せてくれました。

いやはや、言葉が通じないという事は実に余計なエネルギーが必要になってくることを身をもって感じ取った一幕でしたが、でも考え方によっては、喋れなかったからこそ、あのような素敵な駅員さんを巻き込むことが出来た、と考えた方が良さそうです
(=⌒▽⌒=)

その後どうなったのか?

ラッキーな事に、車内で同じところに行く若い日本人女性と一緒になり、パリ市内に帰るまで同行してもらいました。

南仏を中心に旅行している彼女は、フランス語を話すことが出来たので、ゴッホの最期を過ごした場所は勿論、ガイドブックに乗っていたレストランにも行くことが出来ました。

このように私の海外旅行のデビューは、少々辛口のスタートとなりましたが、ツアーを利用しなくてもなんとかなるもんだ、という変な自信と、やはり英語は勉強しておこう、という思いが強くなりました。