政治家の殺し方 | One of 泡沫書評ブログ
- 政治家の殺し方/中田 宏

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「民主主義は最悪の政治手法である。ただし、これまでつくられた政治体制をのぞいては」
一般にチャーチルの言葉と伝えられる冒頭のことばは、じつはチャーチルが発言したかどうかはっきりしないという。原典にあたったわけではないので確かなことは言えないが、これほどまでに民主主義の本質を言い表したことばはないだろう。チャーチル云々の是非はさておき、人口に膾炙するのも頷ける名文句である。
かつて数百年前は、政治力を行使する際は文字通り「命がけ」であった。政権には「野党」などという平和的な考えはなく、常に為政者は一人(あるいは一つの体制)であり、簡単にいえば「オール与党」しかありえなかった(つまり野党勢力は押さえこまれるか、殺されるかしていたわけだ)。ようやく民主主義の萌芽がみえはじめた明治期~昭和初期においても、行き過ぎた政治家は文字通り暗殺され命を落とすこともあり得た。あれからまだ100年も経っていない。そう考えると政治家が殺されない現在の政治体制は、それよりは多少進歩したといえるだろう。最近では「既得権益」との対決姿勢を明確に打ち出した橋下徹氏(前大阪府知事・現大阪市長)なども、世が世なら危なかったかもしれない。しかしあくまで「暗殺」などという前時代的な方法が初めから捨象されている現代政治というのは、まあその面だけ見ればいいものである。
さて、むやみに長い前振りをおいたが、むろん、中田氏は前横浜市長として「改革」を推し進めた政治家であり、「抵抗勢力」からの攻撃はものすごいものだったのだろう。かれは2002年、当時としては史上最年少となる37歳で国際都市横浜の市長に選ばれ、それ以来、2期にわたって市政改革を行ってきたわけだが、その間に受けた誹謗中傷、政治的な攻撃、スキャンダル報道は大変にひどいものであったらしい。本書はかれが現職市長であったときの回顧録であるが、内容のほとんどはこうした一連のスキャンダル報道に対しての弁明と、マスコミや反社会勢力などから受けた攻撃について生々しい報告がほとんどであり、どちらかというと「暴露本」に近いかもしれない。タイトルの「政治家の殺し方」というのは、「わたしはこれほどまで酷い目に遭った」という切り口で自らの体験を語ることで、転じて「こうすれば政治家生命を絶てる」というある種の諧謔でもあろう。
本書は政治家を志す人間が、政敵の手口を知るという目的で読むのが一番しっくりくるものだ。一般の読者にとっては、地方政治というものがいったいどのような形で行われているのかという雑学を得るための本、あるいはマスコミ報道というのがいかにして作られるのかを学ぶ「メディアリテラシ」の参考書のようにも使えるだろう。果たして中田氏の弁明がどこまで正しいのだろうか?という視点はもちろん必要ではあるが。記述は至ってシンプルであり、著者の率直で裏表のない(日本的には最悪な)性格がよく伺えておもしろい。「ああ、これは役人や既存の議員から反発されるだろう」というのがすぐわかる。逆にいえばこのアンチパターンでいけば地方議員、地方自治の首長としては「成功」できるということかもしれない(笑)。
一点だけ気になるポイントがある。著者は自ら率先して歳出カットに手をつけたことをアッピールするために、あまりにも安い報酬について開示しているが、これは後進のことも考えるといかがかと思う。実際、かれ自身、次のように語ってもいる。
―――世の中があまり理解していない現実を話せば、主張の退職金叩きは一見、留飲が下がるだろうが、それでは民間から優秀な人材を首長や副市長・副知事などの政治職に迎え入れることができなくなってしまう。
そもそも優秀な人材は民間分野ですでに活躍しているわけで、それを辞めて政治職に就いてくれる人は極めて稀なのだ。たとえ首長が民間人をヘッドハンティングしても、彼らの収入に見合う条件を提示することはできない。それでも引き受けてくれる人は、ひとえに社会に対する正義感によることが多い。そういう意味では、給与や退職金というのはトータルで考える必要がある。(本文178ページ)
このような奥歯に物が挟まった言い方ではなく、できれば莫迦な大衆にめがけて「いい仕事をする有能な人材を得るには金も必要だ」という常識をはっきり語って欲しかった。「清貧の政治家」を求める大衆心理こそ、まさに政治に人が集まらない最大の隘路でもあろう。逆に言えば、この部分だけは、さしもの中田氏も大衆心理に迎合せざるを得なかったということかもしれないが。。。
ところでわたしは中田氏が居た自治体に税金を納めていたこともあるのだが、中田氏がそういうスキャンダル報道をされていたことを本当にまったく知らなかった。当時は稀に日経新聞朝刊を読むことはあったが、週刊誌はもとより、テレビなどは深夜番組以外ほとんど見なかったからであろう。これは首長の政策や行政そのものをよく知らないという意味では、タックスペイヤーとして甚だ不見識だが、同時にくだらないレッテル貼りについてまったく関知せずにいられたわけで、精神衛生上大変ありがたいとも思う。政治家を志すならばこうした「敵情」を知る必要もあろうが、改めて一般のサラリーマンにとってイエロージャーナリズムに時間を浪費するのは無駄であると感じた次第である。
安易なメディア・公務員批判に走らず、”構造”に目を向けろ~中田宏インタビュー~

