WAVE | One of 泡沫書評ブログ

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ドイツ映画。以前紹介した「es」に通ずるものがある。簡単に言ってしまうと、ある種の思考実験映画なのだが、なにを実験しているかというと、民主化された現代西欧社会において独裁制というのは発生しうるか? というなかなか深いテーマ。「PTA」とか、「良識派」といったマジメな人々は卒倒しそうな内容の映画。

内容はややグロいが、非常にわかりやすいのでお勧めである。

以下はややネタばれを含むので、観ようと思って未見の方はとばしてください。











ここで描かれている「独裁者」は、言うまでもなくヒトラーの寓話なわけであるが、ドイツの場合はこの行き方で先の大戦で大失敗したわけだ。こうした民族の傾向というのは、(経済の)状況が悪くなるとつい頭をもたげ始めてしまうものだ。作中にも少し触れられているように、現在のドイツでは経済的な地盤沈下にともない、それに惹起される形で、トルコ系移民の排斥というかたちで国粋主義(いわゆるネオ・ナチ)が台頭してくる動きこそがそれに相当するだろう。この映画は、「いつか来た道」に注意を払わなければならない、というメッセージというふうにも見える。

同じように、日本の場合はどうだろうか。日本人がこのドイツ映画にならって「いつか来た道」に至る思考実験をするとすると、どういうシナリオになるだろうか。民族の弱点を寓話化し、映画のようなわかりやすい表現で思考実験するのはなかなか難しいかもしれない。

非才を省みず考えてみよう。たとえばこういうシナリオはどうだろうか。まず「空気」が醸成され、異論が排除される。この空気はなんでもいい、「非正規雇用を守れ」「老人を守れ」「日本人の雇用を守れ」なんでもいい、表立って反論しにくいテーマなら何だっていいだろう。これに水をさすやつは「非国民」「売国奴」と倫理的、社会的に弾圧される。

また異物の最たるものである外国人は象徴的に排斥されるだろう。日本においてはネット右翼とよばれるような「一見普通のひとびと」が、率先して韓国人や中国人を排斥するというかたちであらわれるだろう。こうしてつくりだされた「敵」に向かって、内側の日本人はますます団結を強め、持ち前の同調圧力によってお互いがお互いを監視し、もはや誰が指導者かわからないような状況のまま、破滅へ向かうのではないだろうか。

…とまあ、無理やり先の大戦に結びつけて考えると、だいたいこうなるだろう。日本民族の一番苦手なのは、物事を相対化したり、多様性の生み出すコンフリクトを受け入れたり、進むべき方向性をドラスティックに変えるというところだからだ。




ところでわたしが一番面白いと思ったのは、序盤、「WAVE」としての一体感を作り上げようとして、ユニフォームを統一し、仲間内だけで通じるポーズを考えたり、シンボルを考えたりするところに心を砕く描写である。連れ合いとも話したのだが、「このへん、日本人だったらはじめから不要だよね」と。

そうなのだ。作中で描かれるような、一体感を醸成したり、仲間内だけで通じるような「サークル感」を作り上げるのは、日本人においてはそもそも不要のプロセスなのだ。なぜなら、初めから統一されているし、お互いに勝手に空気を読みあって一体感を生み出してしまうから。一面的な見方とはいえ、やはり一般に「個の強い」と言われる西洋人にとっては、没個性的で組織に忠誠を誓うような行動はなんらかの運動が必要なのだろう。この脚本を書いた方にとっても、スポーツでもないのに、統一的なユニフォーム等を着るという行為は「不自然」に映るということなのだろう。

そう考えると日本人は、この点で「独裁」に至る閾値が非常に低いと言える。しかし歴史を振り返ると意外にそうなっておらず、むしろ独裁者に近い人物はすぐ暗殺される傾向にあるというのがおもしろい。日本人のエトスとしては、やはり一体感の醸成は容易であるが、ある特定の人物に権力や権威が集中するのを極端に嫌うものがあるのだろう。