荒れる成人式 | One of 泡沫書評ブログ

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世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

今日は成人式。各地で風物詩となっている「荒れる新成人」→「最近の若者は…」が見れる日だ。


どうでもいいといいつつ食いついてしまうのは、やはり「成人式」という制度(?)のもつイニシエーションの特異性が際立っているからだろう。これは一種の社会的通過儀礼なわけで、無事に通過できたものだけが「社会人」という立派な称号を得ることができ、世の中に認められるようになるわけだ。だから、毎度のように現れる「荒れる成人」たちは、成人したという自覚が足りない「子ども」なわけだ。まあ、そんなわけで、この社会を映す鏡としてはこの上なく象徴的なイベントである。


成人式を荒らすような連中は軒並み馬鹿にされて「自覚がたんねーよ」「いつまでもガキのままでいるんじゃねぇよ」「社会はこんなんじゃ通用しないよ」と、「社会人」の先輩方から集中砲火を浴びる。また同胞であるはずの同級生達からもアホ呼ばわりされて、わざわざ式典に参加するという従順さを発揮したにもかかわらず社会から排除されるわけだ。つくづく同情する。どうせ結論がわかってるんだから、やらなきゃいいのに、と思うのだが、一方で、この閉鎖的な社会に対して楔を打つという観点では、成人式を妨害するというのはある意味で本質を衝いているような気もする。


世捨て人的にいえば、まあ普通は成人式なんかには出ない。同級生に会えるからというので会場に行くことはあるかもしれないが、わざわざ式典に参列したりしないだろう。神妙な顔して「社会人の先輩方」から「社会人たるものは・・・」なんていう、聞かなくてもわかる不愉快な訓示をわざわざ聞くなんてあほらしくてやってられないと思うのだが、どうだろうか。最近の風潮としては、「リア充」たちに会いたくないから欠席する、という「降り組」もいるような気がするが・・・。いずれにしても、荒れる成人だろうがなんだろうが、ちゃんと式に出るだけ従順なほうだと思う。むしろ重要なのは、そもそも始めから式に行く気のない成人たち(つまり伝統的な意味で思考停止に陥っていない若者と、絶望して社会と隔絶する若者)をどう囲い込んでいくかだと思うのだが、どうだろうか。


母国を救うための海外へ進学するキャリアパス

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こういうことを自信をもって言える人になりたいもんだ。

それにしてもコメント欄がひどいなぁ。。。