逆説の日本史 | One of 泡沫書評ブログ

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逆説の日本史 16 江戸名君編~水戸黄門と朱子学の謎~/井沢 元彦
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新刊が出ていたのでさっそく購入。買ったばかりでまだ未読なのだが、いい機会なのでちょっと井沢さんについて書いてみる。ちょっと長くなってしまったのだが、これでも一応だいぶ編集したつもりなので、できれば最後まで読んでほしいw


「右翼系」の作家


今まで恥ずかしかったので触れないようにしていたが、じつは、わたしはかれに相当影響を受けている。最初に知ったのはよしりん(小林よしのり氏)が、ゴー宣で朝日新聞とバトルしている際に出した「朝日新聞の正義 」という本だった。ほとんど活字を読まなかったわたしはこの本で完全に「覚醒」した。以来、渡部昇一氏、谷沢永一氏、そして西部邁(すすむ)氏など、いわゆる「右翼」系の言論人の毒にあてられてしまった。(池田先生の恩師が西部さんだった とは驚きだがwww)


話がそれたが、そんな経緯があってわたしは完全な井沢信者になってしまった。当然SAPIOは欠かさず買い、ノンフィクションだけでなく小説も買い、果てはなんと、かれのデビュー作 まで古本屋で探して手に入れた。そんな筋金入りの井沢信者であるわたしだからこそ、かれの書評をする権利があるだろうw


梅原猛の影響


日本における歴史観は色々あると思うが、戦前は「皇国史観」というやつだった。戦後は「マルクス史観」とか「岩波史観」とかある(あった)と思うが、今の読者になじみがあるのは「網野史観」や「司馬史観」というものではないだろうか。まあこのようなかたちで、一口に歴史といっても研究者の数だけ視点があるから、なかなか一筋縄ではいかないものである。


さて、そういう「史観」だが、かくいう井沢さん場合は、梅原猛氏に大きな影響を受けている。「怨霊」や「言霊」といった、日本古来のメタ言語的なエトスをキーワードに歴史を読み説いている。いわば「梅原史観」の延長と言っていいだろう。わたしは信者なので説得力はないと思うが、井沢さんの場合は梅原さんのように「詩的」でない分、梅原さん以上に説得的な気がする。


学会の定説に対する”逆説”


井沢さんの魅力は、権威におもねらないところだろう。かれが自ら評する通り、早稲田出身でTBSの政治部記者だったこともあり、常に在野の視点で歴史を紐解いている。もちろん個人の仕事であるから、思い込みはある。しかし、基本的には、「どうあるべきか」というイデオロギッシュな見方はなく、「何が真実か」という観点で研究を続けていると思う。そんな感じでやっていると、必然的に学会に対して挑戦的な「逆説」ばかり発表する、ということになる。これが「逆説」のゆえんだろう。


これは単にあまのじゃくなだけではないと思うかれのすごいところは、「気づき」があることだろう。ふつう、歴史をやろうと思っても、素人にはまず無理だ。なぜならプロは一次史料を読みこまなければならず、また多くの論文も読まなければならない。「新説」には、そういう基本的な仕事をした上での気づきが必要となる。だから素人は専門家にケチを付けることはできても、対案を出すことはできない。しかし、かれはその難しい仕事をやっている。(しかも、週刊連載である)


稀な「通史」


「通史」というのは、文字通り、ひとつながりの歴史のことを指す。通常、われわれが学校で習うのは「○○時代」とかいうような、ぶつ切りの時代にフォーカスを当てているものだ。井沢さんがよく指摘しているように、こうした専門分化が進むと、「木を見て森を見ず」状態になって、専門家が逆に隘路にはまってしまうことが多い。これを防ぐためには、全体を俯瞰することが必要なのだが、なぜか日本の歴史学会においては「通史」というジャンルがないらしい(わたしが知らないだけかもしれないので、詳しくはめいめいで調べてくれたまえ)。よくある「日本の歴史」とかのシリーズは、だいたいが各時代の専門家による分冊であり、これは通史とは言わない。


したがって、日本では「通史」というともっぱら作家の手によって書かれることが多い。一番親しみやすいのが司馬遼太郎で、かれはいわば「司馬史観」というものをもって歴史の流れを描いているのだ。だから多くのファンが居るのだろう。わたしが知っている限りでは、「清張通史 」というのがあるが、これも作家の手によるものだ。しかし、こういうのは残念ながら、学問的な裏付けに欠けることが多いとの評が多い。作家は想像力がある分、「洞察」と「妄想」とが紙一重なのだろう。


しかし、井沢さんの場合は、その辺を相当意識していると思われ、かなりの量の史料を読みこんでいると思われる。プロを批判するのだから、理論武装に余念がないということだろう。ファンの贔屓目かもしれないが、かなり慎重に色々研究されている。


小説は下手w


ちょっとホメすぎたので、バランスを取ろうw かれは江戸川乱歩賞でデビューしたので、一応ジャンルとしては推理作家にあたる。記憶が正しければ、推理作家協会にも名を連ねていたと思う。また、過去にはライトノベルみたいなもの を書いていたり、ドラゴンバスターのノベライズ などもやっていたりと、結構柔軟に小説を書いているのだ。しかし、話題になるのはやはり歴史ノンフィクションだし、よく知らない人は、かれが小説を書いているなどとは知らないだろう。


これには理由がある。かれの小説は、なんというか、面白くないのである。歴史推理モノがほとんどで、登場人物が「取ってつけた」ような人ばかりなのだ。ストーリも、基本的には「逆説の日本史」で主張してるような話を説明したいだけなので、進行が非常にまどろっこしいし、会話もぎこちない。小説は向いてないと思う。体力に余裕がないなら、小説を書くのはやめて、ノンフィクションに精力を集中させてほしいと思う。


ライフワーク


このように多忙を極める井沢さんだが、これに加えてときどき書き下ろしを発表したりもする。実に多忙だ。どうやらそうした多忙が原因で目を患っているらしく、以前に一度長期の療養に入っていたこともあった。


かれがこのシリーズを始めたのは今から15年以上前になる。かれ自身も、そろそろ還暦を迎えるころだろう。自身がライフワークの一つと位置付ける本シリーズだが、16巻でようやく江戸時代が中盤を越えることになる。遅々として進まないという感覚である。(週刊連載なのに・・・) ファンとして思うのは「頼むから、途中で死なないでくれ」ということに尽きる。これから先、まだ明治維新もあるし、二次大戦もある。何より最もエネルギーを使うであろう戦前戦後のイデオロギー闘争がある。一番大変な時期に、おじいちゃんになってしまうのだ。本当に体が心配である。


井沢さんに求められるのは、何よりもまずこのシリーズを完結させることだろう。それまで、絶対に倒れないでほしい。ライフワークというのは「未完」で終わることが多いが、かれのプロ意識はそんな安っぽくないと信じている。最後まで読者の期待に応えてこそプロなのだから。尊敬する梅原さんも陳さんもまだご存命だから、井沢さんもまだまだ死ねないはずだ。


井沢さんへ贈るメッセージ


万に一つもないと思うが、もし廻り廻って本人がこの書評にたどりついたとしたら、わたしは次の言葉をかれに送りたい。「目に悪いから、こんなの読んでないで、続き書いてください」と。


井沢本の紹介


以上、わたしの拙い井沢評を読んで興味をもたれた方には、以下の本をお勧めしたい。


世界の宗教と戦争講座 (徳間文庫)/井沢 元彦

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非常に分かりやすい宗教講座。橋爪さんの本橋爪さんの師匠の本 と読み比べてみたら面白いかも。まさに入門編。

「言霊(コトダマ)の国」解体新書 (小学館文庫)/井沢 元彦

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こちらは初期の主著。かれの代名詞でもある「言霊」について書かれている。



穢れと茶碗―日本人は、なぜ軍隊が嫌いか (ノン・ポシェット)/井沢 元彦

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これも割と初期の主著。出版社がマイナーなのが時代を感じさせる。わたしはハードカバーでもっていたはずなのだが、引越しのときにどこかになくしてしまった。


古寺歩きのツボ―仏像・建築・庭園を味わう (角川oneテーマ21)/井沢 元彦

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こちらはちょっと異色の新書。高校の時から寺社巡りが趣味というオジンくさい著者の説く寺巡りの方法。マニアック。