優しさって加減が難しいです。

優しくすればするほど期待をされ
応えられなくなることもあります。

誰かに優しくすれば
他の誰かが傷ついたりもします。


優しさと傷つけることが
ある意味表裏一体なんですね。


でも

誰かの望む通りの形で
望まれるだけ優しくしようとすることは

何か違うように思うんです。


誰かにコントロールされた優しさではなく

自分の思う優しさを与えることが
本質なんじゃないかと思うんです。


心理カウンセラーのよしきです。
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優しさを出し惜しみするのは
本当はもったいないと思うんです。


でも
優しさに依存してしまう人や
他の人への優しさに嫉妬する人
優しさを受け取れない人もいるので

むやみに優しくできないところもあります。


うちの奥さんなんかは
私が両親や義両親に優しくすることも
快く思っていなかったようです。

息子に優しくしているのも
自分に対する態度と違うと
不満を漏らしていました。

ましてや
自分以外の女性に私が優しく接するなんて
本当に受け入れられなかったのだと思います。

(なのでカウンセラーになるのは大反対されていました)


当たり前ですが
誰だって優しくされたいです。

優しくされる人になりたいです。


でも
優しくされる人になるのは
なかなか難しいんですね。


優しくされていない
と感じたとき

不満を言う人がいます。


人に好かれるように頑張る人もいます。


可哀想な人になって
優しくしてもらおうとする人もいます。

拗ねて塞ぎ込んでしまう人もいます。


でも
どれをやっても
なかなか成果が上がらなかったりします。


ずっと優しくしてもらえるのか
いつまで経っても不安が消えなかったりします。


たとえ優しくされても

優しくされなくなったときのことを考えると
素直に喜べないんですね。


そして
優しくしてくれた人が
誰か他の人に優しくしたり

自分に優しくしてくれなくなったと感じた瞬間に

逆に不幸になってしまうんですね。




他人からの優しさって

自分からはコントロールできないものです。


コントロールしようとするほど
違うものに変わってしまいます。


だから

得ようとするよりも

あるものに気づくことが本質なんだと思うんです。


身の回りにある優しさに
気づいていくことが

優しさを受け取るということだと思うんです。


そして
優しさを受け取れるようになると

そこに優しさが
集まってくるんじゃないかと思うんです。


欲しかった人からの
欲しい形の優しさではないかもしれませんが

いろんな形の優しさが舞い込んでくることに
気づけるんじゃないかと思うんです。

だから
優しさを与える側も

思い思いの優しさを
与えていけばいいんじゃないかと思うんです。


コントロールされた
心のこもらない優しさよりも

自分の心を込めた優しさを
思い思いに与えていければ
いいんじゃないかと思うんです。



心理カウンセラーのよしきでした
  

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