<被災地を巡る>・・『復興』への空回り  | S-CRAFT®新原オフィシャルブログ「住み心地」の追求

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『にいはら工務店』 新原です。

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3・11
僕は晴れて40歳となりました。
40年生きてこられたことに感謝です。



東日本大震災の翌年から毎年3・11は被災地で歳を重ねています。

ボランティアで参加した岩手県大船渡市。
道中で立ち寄った陸前高田。
追悼式で参列した石巻市。





これまで訪れた街の復興、スピードは違えど毎年進んでいます。





今年、一番に僕が訪れた『女川町』は宮城県にあります。
女川原発、女川駅、、、聞いたことはあると思います。



街の主要部を津波で失ってしまった女川町。
(↑震災直後の女川駅)




今回訪れた目的はこちらでした。



新しい女川駅(↑)は温泉施設を併設した
大型複合施設で建築家が地域再生へと乗り出したプロジェクトでもありました。



女川駅から港までは1キロほどでしょうか。
駅から港までを新しい商店街『シーパルぴあ』が出迎えます。




詳しくはこちら






雑誌やメディアなどでも取り上げられ
建物の見た目、シーパルぴあのコンセプト・・
今日も多くの報道陣が来ていました。





地域復興のシンボルとなる女川町の主要部なのです。
逆を言えば、このエリア以外にお店などは無く
『復興』はピンポイントでしか進んでいないといった印象でした。






夜、、
この商店街には複数の飲食店があり
立ち寄った『居酒屋カフェエム』は、外観もオシャレで近代的なつくり。




メニューはごく普通な居酒屋メニューが手書きで壁に貼ってあり
外観のイメージとは大きく違います。





カウンターに腰を掛け地酒を飲みながら店主(ママ、娘さん、息子さん)から貴重すぎるお話を伺いました。





夜の女川駅の存在感は明かりの無い空間に浮かび上がります。





他の被災した街では津波に耐えることが出来る高さの
防潮堤を建造しています。






女川町は海と共に生きる街として復興を掲げています。
海が見える街で生きていく・・

巨大な防潮堤はいらない
津波の大きさなんてわからないのだから。そう言っていました。







復興の現状を聞きながら『復興と現実のギャップ』を聞かされました。
僕らが聞いている・見ている復興の現状とはだいぶ違う・・






自分の足で歩き
自分の目で見て
自分で聞く・・






それが真実であり現状だと実感。






地域に住む人たちと
行政との間にある見えない壁・・





望んでいない空間の提供、、、

先の見えない失望の復興計画・・







それでもそこに住み、そこで商いを続ける。

『来年はどうなるか解らない・・この女川にこの施設は合わないのですよ』
それが現地で生きる人の声でした。







さらに深い話を聞きました。


震災の当日から、先の見えない避難所生活。
念願の仮設住宅に移り住み、今もそこで暮らす事。



笑顔で話をしながら、時折涙をぬぐう姿・・

誰とも連絡が取れず、安否も解らない状況の中での避難所生活。
安否が解ったのは実に2週間後だったと・・・。





友人が石巻市にいるので女川の避難所からそちらに移ったそうです。
(石巻市でも津波被害を受けていないエリア)

自分は泥まみれの洋服で(女性でも男性用を着たりと選んでいる余裕はなかった)
友人宅へ向かうと、そこには綺麗な洋服を着た友人がいたそうです。

『なにこれ?同じ日本で起きたことなのに別世界の事みたい』
そんなギャップを感じたと話していました。






きっと、普段は震災当時を振り返ることは少ないのだろうと思います。
あの時を思い出すのならば、まずは前に進もう・・


でも、、3・11だけは違う。
普段は抑えている想いを全部話してくれた・・
そう感じました。






次回、続きを書きます。



PS:僕らが出来ることは被災地に足を運び
その事実を忘れないことです。



『何しに行くのか?』


そんな理由なんていらない、行けば解ります!