能登半島震災・珠洲市の恩人の無事確認で、涙…… | 学校なんていらない~不登校小学生ちゃりこの父娘自転車旅行記

学校なんていらない~不登校小学生ちゃりこの父娘自転車旅行記

いじめにあって不登校になり、父とホームスクーリングですごした女の子、ちゃりこが日本各地を自転車で旅をして、たくさんの人たちとふれあい、成長していった記録。腐りきった学校、卑怯な教師、そんなものは捨て去ってもいい。人の優しさ、親切、は学校の外側に必ずある。

今日、珠洲市の恩人の無事が確認できた(涙)

うれしい……

不謹慎だけど、うれしい……

もちろん被災はしていて、金沢市の娘さんのところに避難していた。

私ができたのは、珠洲市役所の災害メールに、恩人の方の住所と名前を入れて、“恩人の方の無事の確認をしたい”と返信を待ったこと。

もちろん、返信にはかなりの時間がかかります、と断り書きがあり、そんな問い合わせには答えている余裕などないだろうことは容易に予想できた。

次に、災害伝言ダイヤルに恩人の方の家の電話番号を入れ、メッセージを録音、私の携帯電話の番号を入れた。

なかなか返事はなかった。

 

恩人の方は、ちゃりこと私が初めての自転車旅行で能登半島を一周したとき、道の駅すず塩田村で働いていた女性だ。

私より、6歳くらい年上かな。

旅行から帰ってきてからも、ちゃりこを励ます手紙やハガキを、頻繁にくださった。

16年間やり取りを続け、手紙やハガキは100通近くいただいたと思う。

自宅で収穫したお米を送ってくれたこともある。

私も、ちゃりこの大学入学式の写真、成人式の晴れ着写真を送ったりした。

彼女の存在が、ちゃりこにとっても私にとっても、励みになった。

毎年夏、今年はどこを走ってきたか、手紙で報告した。

そして、能登半島での出会いがなければこれだけ自転車旅行を続けることはなかっただろう、ということをこちらからは伝え続けてきた。

直接会ったのは、たった一度だけ、それでも、いつも傍にいて見守ってくれているような、そんな存在だった。

やり取りは、手紙やハガキ、家電だけ。

メールアドレスとか知ってしまうと、甘えて頻繁に連絡してしまうような気がしたからということもあった。

16年間のあいだに、彼女はおばあさんになり、三人の子供のところ、それぞれにお孫さんが生まれた。

 

元日の震災。

すぐに電話した。

これまでにも、能登半島で地震が起こる度に電話して、笑い声の彼女の無事を確認してきた。

今、思えば当然だけれど、今回は通じなかった。

夜になっても、翌日になっても、翌日の夜になっても、通じなかった。

情報が明らかになるにつれて、珠洲市の彼女の町に地震後すぐに土砂崩れが起こっていたことがわかった。

電話は通じず、避難所のこともいろいろ調べたけれど、わからなかった。

やがて、彼女の町で、生き埋めになった家族がいるニュースを見つけてしまった。

お正月に金沢から帰省した娘さん家族を含めて、11人が生き埋めになり、2人だけ助かったというニュースだった。

助かったのは、娘婿とその子供のうちいちばん下の男の子だけということだった。

私の恩人の娘さんも、金沢が嫁ぎ先と聞いていた。

やがて、助かった娘婿の名前と亡くなった奥さん、子供たちの名前が報道で明らかにされた。

家族を亡くした娘婿の姓はOさん。

私の恩人の姓はTさん。

でも、亡くなった奥さんの旧姓はわからなかった。

そして、私は恩人の娘さんが嫁いだ先の姓までは知らない。

もしかしたら、私の恩人の娘さんかもしれない。

そして、亡くなったお子さんの名前に、私の恩人の名前の一文字が入っていた。もしかしたら、命名のときにおばあさんの名前を一文字もらったのかもしれない……

この頃になると、私は感情崩壊、ぼろぼろ涙がこぼれてくる時間帯が繰り返されるようになっていた。

同じ町内で、安否不明の高齢者の名前も報道されるようになった。

Nさんご夫婦。

Nさんの姓と、Oさんの亡くなった奥さんの下の名前を組み合わせて検索してみた。

恥ずかしい限りだけれど……

珠洲市の高校出身で、私と同じ競技をやっていた女性が出てきた。Nが亡くなった奥さんの旧姓だった。

恩人のTさんの娘さんではなかった。

亡くなったご家族がいるというのに、ホッとしてしまう自分を恥ずかしく思った(蔑)

恩人の家族は無事かもしれないと……

ごめんなさい、Oさんご家族……

ただ、恩人Tさんの家も、土砂崩れの場所のすぐ近くのはずだ。

悶々として、ほとんど眠れない日々が続いた。

 

結果として、今日、私の携帯に着信、後にショートメールがきた。

恩人のTさんからの無事だという連絡だった。

災害伝言ダイヤルも、ご自分では聞けない状況だったらしい。

友人の方が、代わりに聞いて、「東京から心配しているメッセージが入っているよ」と言われたようだ。

その災害伝言ダイヤルで、私は初めて自分の携帯電話の番号を彼女に教えたのだった。

 

ホッとした。

元気な声だった。

元日は、やっぱり珠洲市の家にいたようだけれど、金沢市の娘さんのところに避難できたそうだ。

倒壊状況などは聞けるわけもなかった。

 

よかった!

うれしかった!

 

でも、亡くなったのが他のご家族でホッとしたなんて、自分の身勝手さ、醜さ、恥ずかしい限りだ。

ホッとしたのは、亡くなったのが自分の恩人ではなかったから?

 

同じことだよな。

ごめんなさい、Oさん……

 

恩人のTさんが無事でも、自己嫌悪……