昨日(3日)、白石の自宅へ戻ってきました。
3週間ぶりの我が家。
電気がついた。
ストーブをつけられた。
お湯が沸かせた。
感動。
地震の後、
寒くて、
日が沈む前にしなくてはならないことを必死で考えて、
ろうそくの明かりで家に残っていたメロンパンを食べて、
身体が冷えないようにとにかく着込んで、
体力と体温維持のために暗い時間はベッドに入って、
石油スト―プでなんとか沸かしてもらったお湯で娘にミルクを飲ませ、
息子に優先的に食事させ、
ペットボトルの飲み物をちょびちょび飲み、
事務所に向かった夫と連絡をとる手段が無いのが不安で、
メモ書きを残して家を出るという昔懐かしい行動をしたりした。
今日は、
家族4人で朝ごはんを食べて、
娘の保育園の入園式に行って、
事前にまるで準備できなかった保育園で使うものなどを買い物して揃え、
義母と子どもたちとで食卓を囲んだ。
日常が戻ってくる。
それでもまだ、片付けなくてはならないことがたくさんあって、
すっかり落ち着くには当分かかるだろうけれど、
帰る家があって、
普通に買い物ができて、
夫や子供たちに通う場所がある。
そういう私たちは、どれほど幸せか。
日常を取り戻そう。
まずは、日常を。
取り戻せる人から、取り戻せるものから、順々に。
それからもう一度、東北をつくろう。
今日は「蔵王人Vol.27」の発刊予定日でしたが、今回は発刊することができませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。
大変申し訳ありませんでした。
本来ならば、こういう時にこそ「蔵王人」を発刊するべきだと思いながら、紙の調達等が思うようにいかず、断念する結果となっていまいました。
準備が整い次第、再び皆さまのお手元にお届けしたいと思います。
それまで、そして、これからも、故郷再興の道を、どうぞ一緒に歩ませてください。
よろしくお願いいたします。
2011.3.27 谷津智里
大変申し訳ありませんでした。
本来ならば、こういう時にこそ「蔵王人」を発刊するべきだと思いながら、紙の調達等が思うようにいかず、断念する結果となっていまいました。
準備が整い次第、再び皆さまのお手元にお届けしたいと思います。
それまで、そして、これからも、故郷再興の道を、どうぞ一緒に歩ませてください。
よろしくお願いいたします。
2011.3.27 谷津智里
ご心配いただいたかもしれません。
私は今、子どもたちと東京の実家に避難しています。
家族はみな無事です。
この非常時でも、ブログを更新している被災地の皆さんに勇気づけられて更新してみます。
昼間は子供たちとベッタリで、自分のものではないパソコンの使用も思うようにならないので、iPhoneからの更新です。
谷津新聞店は、おかげさまで昨日から全面配達を再開することができました。
みんな嬉々として配達しているとのこと。自分たちの役割を果たすことで、どうか少しでも皆さんの力になれますように。
「蔵王人」も通常通りとはいきませんが、発行していきたいと思っています。
これを読んでくださった皆様がご無事で本当によかったです。
取り急ぎ。
私は今、子どもたちと東京の実家に避難しています。
家族はみな無事です。
この非常時でも、ブログを更新している被災地の皆さんに勇気づけられて更新してみます。
昼間は子供たちとベッタリで、自分のものではないパソコンの使用も思うようにならないので、iPhoneからの更新です。
谷津新聞店は、おかげさまで昨日から全面配達を再開することができました。
みんな嬉々として配達しているとのこと。自分たちの役割を果たすことで、どうか少しでも皆さんの力になれますように。
「蔵王人」も通常通りとはいきませんが、発行していきたいと思っています。
これを読んでくださった皆様がご無事で本当によかったです。
取り急ぎ。
少し時間が経ってしまいましたが、2月18日に、JIA主催のU-40セミナーに行ってきました。
40歳以下の若い建築家を対象に3時間ほどかけて、独立するということについての講演会とパネルディスカッションが行われました。
パネルディスカッションに登壇したのは、東北圏で独立して事務所を構える3人の建築家。
そのスタイルは三者三様でしたが、とても面白いお話が聞けました。
そのうち、岡本真紀子さんについては、2月27日発行の「蔵王人」コラムでも触れさせていただいたのですが、同じ女性として、とても印象的でした。
岡本さんは、専門学校卒業後、いくつかの設計事務所や建設会社や工務店に勤務、2009年に地元秋田で岡本真紀子建築設計室を設立。
線の細い、可愛らしい方なので、その力強い経歴とはかけ離れたイメージ(失礼)。
岡本さんは、
「出産を考えると、それまでに必要とされる力を身につけなければその先は無いと思った」
「出産を30歳だとして、10年でその力をつけなければいけない。だから仕事をしながら、『今日はどれだけのことが学べるか』と毎日意識していた」
とおっしゃっていました。
その意識で卒業後の10年を過ごせるということが、まずすごい。
現実と、自分のやりたいことを見すえて、甘えることなく淡々と努力を続けてこられたんですね。
それでもこのご時世。
「この不景気にどうして独立なんかしたの?」
そんな風に聞かれることもあるそうです。
でも岡本さんは、
「今が不景気だからどうということではなく、20年後、30年後を見据えた時に自分が地域の中でどのように存在するのかということを考えれば、やるべきことは自ずと見えてくえる。」
故郷に戻ってみると、田舎の町で設計を専門にやれるような人はほとんどおらず、自分がその役割を担っていかなければならないと感じたのだそうです。
地域で役割を担う。
自分の故郷でそれをやるために、自立できる力をつける。
そんな人が地域の中に存在するということに、非常な力強さを感じます。
そうしたスタンスは、同じくパネリストをされた蟻塚学さんも同じ。
ホームページに、
「蟻塚学建築設計事務所では、地域の文化交流および人材育成の観点から、オープンデスク・スタッフ希望者を随時受け付けています。」
との言葉もありました。
基調講演をされた中村拓志さんはずっと東京ですが、
「建築家は独立したての時は当然仕事がない。だから、自分のネットワークがあるところで始めるのは非常に合理的」
とも。
岡本さんも蟻塚さんも地域貢献的な活動をされていて、たとえば駅舎の塗り替えや、お祭りでのかまくらの作り方に、地域のプロとしてちょっとしたデザインの提案をすることで質が高まるのには、たとえ無報酬の仕事でもやりがいを感じるとのこと。
「食えなくなっても隣のおばちゃんが野菜くれたりするから大丈夫」
これはまさに、地方ならではの感覚。
「関係資産で生きていく」というような。
そうだよね、そうやってみんなでつながり合って生きていけばいいんだよね。
もちろん現代の経済感覚ではそんなスタンスに不安はつきまとうのだけれど、
それは本質的な問題ではないと、お2人は言っているような気がしました。
岡本さんは、設計事務所での修行時代、
「小さな事務所だったのでお財布も管理させていただいていた。
入ってくるものが減る中でどうやって出る分を抑えるか、その時からシュミレーションさせていただいた」
とも(!)。
一方、デザインプラス(福島)の増子順一さんは
「ビジネスとして成り立つと思ったからやっている」
「150万とか300万あれば独立できるビジネスなんか他にない」
と、これまた別の角度から力強い。
方向性は違うように見えるけれど、どちらの在り方も、
建築家が、浮世離れした存在から一般の人にも身近なものになるためには必要で重要な取り組み。
仙台で行われたこのセミナーですが、宮城県にはU-40のJIA登録建築家は1人しかいないのだとか。
建築需要が大きく減っている現在の環境とはいえ、それでは未来が担えない。
今回の登壇者の皆さんに感謝を送るとともに、心から応援していきたいと思います。
40歳以下の若い建築家を対象に3時間ほどかけて、独立するということについての講演会とパネルディスカッションが行われました。
パネルディスカッションに登壇したのは、東北圏で独立して事務所を構える3人の建築家。
そのスタイルは三者三様でしたが、とても面白いお話が聞けました。
そのうち、岡本真紀子さんについては、2月27日発行の「蔵王人」コラムでも触れさせていただいたのですが、同じ女性として、とても印象的でした。
岡本さんは、専門学校卒業後、いくつかの設計事務所や建設会社や工務店に勤務、2009年に地元秋田で岡本真紀子建築設計室を設立。
線の細い、可愛らしい方なので、その力強い経歴とはかけ離れたイメージ(失礼)。
岡本さんは、
「出産を考えると、それまでに必要とされる力を身につけなければその先は無いと思った」
「出産を30歳だとして、10年でその力をつけなければいけない。だから仕事をしながら、『今日はどれだけのことが学べるか』と毎日意識していた」
とおっしゃっていました。
その意識で卒業後の10年を過ごせるということが、まずすごい。
現実と、自分のやりたいことを見すえて、甘えることなく淡々と努力を続けてこられたんですね。
それでもこのご時世。
「この不景気にどうして独立なんかしたの?」
そんな風に聞かれることもあるそうです。
でも岡本さんは、
「今が不景気だからどうということではなく、20年後、30年後を見据えた時に自分が地域の中でどのように存在するのかということを考えれば、やるべきことは自ずと見えてくえる。」
故郷に戻ってみると、田舎の町で設計を専門にやれるような人はほとんどおらず、自分がその役割を担っていかなければならないと感じたのだそうです。
地域で役割を担う。
自分の故郷でそれをやるために、自立できる力をつける。
そんな人が地域の中に存在するということに、非常な力強さを感じます。
そうしたスタンスは、同じくパネリストをされた蟻塚学さんも同じ。
ホームページに、
「蟻塚学建築設計事務所では、地域の文化交流および人材育成の観点から、オープンデスク・スタッフ希望者を随時受け付けています。」
との言葉もありました。
基調講演をされた中村拓志さんはずっと東京ですが、
「建築家は独立したての時は当然仕事がない。だから、自分のネットワークがあるところで始めるのは非常に合理的」
とも。
岡本さんも蟻塚さんも地域貢献的な活動をされていて、たとえば駅舎の塗り替えや、お祭りでのかまくらの作り方に、地域のプロとしてちょっとしたデザインの提案をすることで質が高まるのには、たとえ無報酬の仕事でもやりがいを感じるとのこと。
「食えなくなっても隣のおばちゃんが野菜くれたりするから大丈夫」
これはまさに、地方ならではの感覚。
「関係資産で生きていく」というような。
そうだよね、そうやってみんなでつながり合って生きていけばいいんだよね。
もちろん現代の経済感覚ではそんなスタンスに不安はつきまとうのだけれど、
それは本質的な問題ではないと、お2人は言っているような気がしました。
岡本さんは、設計事務所での修行時代、
「小さな事務所だったのでお財布も管理させていただいていた。
入ってくるものが減る中でどうやって出る分を抑えるか、その時からシュミレーションさせていただいた」
とも(!)。
一方、デザインプラス(福島)の増子順一さんは
「ビジネスとして成り立つと思ったからやっている」
「150万とか300万あれば独立できるビジネスなんか他にない」
と、これまた別の角度から力強い。
方向性は違うように見えるけれど、どちらの在り方も、
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今回の登壇者の皆さんに感謝を送るとともに、心から応援していきたいと思います。
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1/30、「蔵王人」Vol.24、朝刊に折り込んで発行しました!
12/26に発行しました「蔵王人(ざおうびと)」vol.24(バックナンバー)をアップいたします。
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