地域で生きる -建築家セミナー in SENDAI- | 東京から嫁にきました@白石(宮城県)
少し時間が経ってしまいましたが、2月18日に、JIA主催のU-40セミナーに行ってきました。

40歳以下の若い建築家を対象に3時間ほどかけて、独立するということについての講演会とパネルディスカッションが行われました。



パネルディスカッションに登壇したのは、東北圏で独立して事務所を構える3人の建築家。
そのスタイルは三者三様でしたが、とても面白いお話が聞けました。

そのうち、岡本真紀子さんについては、2月27日発行の「蔵王人」コラムでも触れさせていただいたのですが、同じ女性として、とても印象的でした。



岡本さんは、専門学校卒業後、いくつかの設計事務所や建設会社や工務店に勤務、2009年に地元秋田で岡本真紀子建築設計室を設立。

線の細い、可愛らしい方なので、その力強い経歴とはかけ離れたイメージ(失礼)。

岡本さんは、
「出産を考えると、それまでに必要とされる力を身につけなければその先は無いと思った」
「出産を30歳だとして、10年でその力をつけなければいけない。だから仕事をしながら、『今日はどれだけのことが学べるか』と毎日意識していた」
とおっしゃっていました。

その意識で卒業後の10年を過ごせるということが、まずすごい。
現実と、自分のやりたいことを見すえて、甘えることなく淡々と努力を続けてこられたんですね。

それでもこのご時世。
「この不景気にどうして独立なんかしたの?」
そんな風に聞かれることもあるそうです。

でも岡本さんは、
「今が不景気だからどうということではなく、20年後、30年後を見据えた時に自分が地域の中でどのように存在するのかということを考えれば、やるべきことは自ずと見えてくえる。」

故郷に戻ってみると、田舎の町で設計を専門にやれるような人はほとんどおらず、自分がその役割を担っていかなければならないと感じたのだそうです。



地域で役割を担う。
自分の故郷でそれをやるために、自立できる力をつける。

そんな人が地域の中に存在するということに、非常な力強さを感じます。




そうしたスタンスは、同じくパネリストをされた蟻塚学さんも同じ。

ホームページに、
「蟻塚学建築設計事務所では、地域の文化交流および人材育成の観点から、オープンデスク・スタッフ希望者を随時受け付けています。」
との言葉もありました。




基調講演をされた中村拓志さんはずっと東京ですが、
「建築家は独立したての時は当然仕事がない。だから、自分のネットワークがあるところで始めるのは非常に合理的」
とも。



岡本さんも蟻塚さんも地域貢献的な活動をされていて、たとえば駅舎の塗り替えや、お祭りでのかまくらの作り方に、地域のプロとしてちょっとしたデザインの提案をすることで質が高まるのには、たとえ無報酬の仕事でもやりがいを感じるとのこと。


「食えなくなっても隣のおばちゃんが野菜くれたりするから大丈夫」


これはまさに、地方ならではの感覚。
「関係資産で生きていく」というような。
そうだよね、そうやってみんなでつながり合って生きていけばいいんだよね。

もちろん現代の経済感覚ではそんなスタンスに不安はつきまとうのだけれど、
それは本質的な問題ではないと、お2人は言っているような気がしました。

岡本さんは、設計事務所での修行時代、
「小さな事務所だったのでお財布も管理させていただいていた。
入ってくるものが減る中でどうやって出る分を抑えるか、その時からシュミレーションさせていただいた」
とも(!)。



一方、デザインプラス(福島)の増子順一さんは
「ビジネスとして成り立つと思ったからやっている」
「150万とか300万あれば独立できるビジネスなんか他にない」
と、これまた別の角度から力強い。




方向性は違うように見えるけれど、どちらの在り方も、
建築家が、浮世離れした存在から一般の人にも身近なものになるためには必要で重要な取り組み。




仙台で行われたこのセミナーですが、宮城県にはU-40のJIA登録建築家は1人しかいないのだとか。
建築需要が大きく減っている現在の環境とはいえ、それでは未来が担えない。


今回の登壇者の皆さんに感謝を送るとともに、心から応援していきたいと思います。



ランキングボタン↓ もしよかったら押してください♪

にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ