おはようございますせしるです。

すっかり日にちが経ってしまいました。


去る4/14に開催された拙歌集『ミントコンディション』の批評会の内容を一部ご紹介いたします。

多くの方のご参加に感謝申し上げます。


パネリストには

結社外からは憧れの佐藤弓生さんと今を時めく土岐友浩さん、かりんからはやはり憧れの梅内美華子さんと今を時めく川島結佳子さんをお迎えし、

ゲストには角川『短歌』編集長の北田智広様をお招きいたしました。


ちなみにこんな歌作りました。


「冬の午後大温室に佇みて歌集批評会ひとり演じる」光野律子/かりん2024. 5月号


何ですかこれは? と聞かれましたが、歌集批評会って、かつてはたまに恐怖の批評会に出くわしたこともあり、酷評を受けた場合のシミュレーションしてたんですよね。 かと言って褒められるのも慣れてなくてモジモジしそうでとにかく不安だった。何しろ主役はしたことないから。


そのわりにド派手な衣装着て行ったものだから笑いをとれました。

さて内容に入ります。


1. 川島結佳子さんの歌評から

他者について

特に男については、人生の背景を面白がってる視線を感じるというものがありました。鋭いな〜と思いました。一方で女性に関してはざっくりしてるというのがありこれまた鋭いな〜と。私は三姉妹育ちなので女性は知り尽くしているというか、ついつい観察が大味になってしまいがちなのかもしれません。

川島さんが引いて下さった歌より


「革命とう名のスナックの扉開き小鉢並べる痩せ男見ゆ」/光野律子『ミントコンディション』p.12


自歌自註 になりますが、 これは韓国語を習いに通っていた西蒲田の小さなスナック。その名も〈革命〉。まだ昼間でしたが扉の隙間から見えたのは痩せ男でした。これは能面の「痩男」にかけてみました。その男は本当に垣間見えただけの一瞬の関係ですが何か印象深かったのです。男のことはどこかまた斜めに見がちなとこもあるかもしれないですね。



2. 土岐友浩さんの歌評から

土岐さんはタイトルの「ミントコンディション」をとりあげてくださり、ヘミングウェイの『移動祝祭日』の一節の紹介から始まり、それが大層嬉しかった。

私は主に翻訳文学で育っていたのです。

そのシーンは、サンミッシェル広場の気持ちのいいカフェです。

私も昔はパリに行きました。サンミッシェル広場から少し行ったところのサンジェルマン・デ・プレのホテルに泊まったことなど思い出しながら。


そのカフェの窓際の席に腰をおろした若い女性の描写です。

「新しく鋳造した貨幣みたいに新鮮な顔」


これです。これぞまさしくミントコンディション。


そんな場面があること気づかずにいて、批評会のあとあらためて『移動祝祭日』読んだのです。

この土岐さんの導入は印象深くありがたかった。

そして土岐さんは この歌集を笑わずに読める人がいるだろうかとおっしゃって下さった。


そうなのです。実はですね、この歌集読んで大笑いした人が何人かいるという報告を受けています。

全体に何せ失業してるから悲しめな歌集なのですが、従姉妹の部屋から笑い声が聞こえたとか、大学の友人も、笑いが抑えられなかったとか。

具体的にどの歌かわかりませんが。

私を知ってる方ならわかりますが、土岐さんは歌集でしか私を知らないのに笑ったのはすごいな!と思いました。


「わたくしが私でありたくない時にウツボ見に行くドン・キホーテの」/光野律子『ミントコンディション』p117

 

職安通り沿いのドン・キホーテの入口の水槽にいつもいます。あんな狭い水槽なのに何か笑ってるんだよね。幸せそう、深海魚だからですか?

私いつもウツボみたいになろうと思うのです。


3. 佐藤弓生さんの歌評から

「私」も登場人物のひとりである。自分自身も風景となっており、私を彼女と言い換えても読める、ということ。

これは自分でも気づいていなかったことで新鮮でした。

そう言われてみたら

これは歌集には掲載されていない最近の歌ですが


「どことなくフェイクの似合うわれなればおもちゃのツリーをAmazonに買う」光野律子/かりん2024.2月号

という歌があります。

要は私には本当の樅ノ木(子どものときは父にせがんで本当の樅ノ木を買ってもらった)よりあの、白いプラスチックのまがい物のツリーが似合う、なぜなら私がフェイクなんだもの という歌なんですが私には私が私を生きているという実感が乏しく、全体に物語の中のひとコマな人生な気がするのです。


そのあたりを佐藤さんはやはり私をご存知ないのに歌集一冊だけでなぜわかるのだろう!と本当に驚きました。

そして人々の描写に関しても、みな等感覚で詠んでいると。

それも本当にそうかもしれない。誰かに思い入れがあるわけではない。そのかわり悪意も無いのです。


このことに関しては、のちのみなさまからの発言のなかで松村由利子さんが 作者はクリスチャンだから神の前に人はみな同じなのではないかと発言して下さった。


佐藤弓生さんとは懇親会で 中川多理の人形作品の話になり小さな箱入りの人形お持ちとのことで私も欲しくなった次第です。

弓生さんの引いて下さった歌より。


「蝉穴に人差し指を入れし刹那少女期の虚無蘇りたり」/『ミントコンディション』p.246

異世界に飛ぶ感覚と評してくださりそこを詠みたかったので伝わってるんだと思い嬉しかった。


4. 梅内美華子さんの歌評から

梅内さんには私の勤務先ギャラリー廃業の顛末やらあれこれLIVEでお話を聞いていただいていた。

そんなこともあり職場の歌の深遠まで読んでくれていて、文化と売買という、私は美術館ではなくあくまでも画廊勤めであることのややこしさを解いてくださっていた。


ギャラリーはただ絵を飾るところではなく(厳密に言うと、貸画廊と企画画廊で異なり、スペースを貸しているだけなら売れても売れなくても構わないのだが、企画は売らなければならない。自費出版との違いみたいなものなのか?)、また、普通に仕入れて販売している店は正に売らなければ生きていけない)、何しろ自分たちの給料だって絵が売れなければ出ないわけです。


「ひさかたの月の光に照らされて運ぶ彫塑は両性具有」/『ミントコンディション』


梅内さんが引いて下さった歌より

これは 当画廊の企画作家だった小鉢公史彫刻展の搬入のとき作った歌です。

彼は舟越桂さんのお弟子さん。


梅内さんは、他になかなか拾ってもらいにくい告白の歌

「思春期にジッドの妻を憐れみて白い結婚をおそれていたり」光野律子

「更年期に矢川澄子を哀しみて七十の自死に怯えるわれなり」同

を引いて下さったのもありがたかったです。


以上パネリストの歌評でした。

もちろんこれは一部でもっと多くの大事なことを語ってくださりこれほど嬉しいことはありませんでした。


つづく


ここまで読んでくださりありがとうございます。

あらためて歌集批評会開催してくださり感謝します。