あそ
みなさんは僕なんかよりも遥かに聡明でいらっしゃるので以下の文章はあなた方に何の感動も与えないだろうと思う。が、書く。
「人の気持ちを考えろ」と、小さい頃に一度は言われたことがあると思う。が、このセリフの唱えるものは果たして達成可能なのだろうか。
結論から言えば無理。分かるわけないじゃないの。いくら考え込んだ所で、「~かもしれない」の域を出ることは無い。不確定なものをどうして「こういう思いに違いない」と断言することが出来るのだろうか。断言してしまう事で、なんの価値も無い「知ったか」に陥っているとは思わないのだろうか。僕達が出来ることは「分かったフリ」にしか過ぎないのだ。どこまで行っても分かったフリ。"無限大"まで達成不可能であるから、理論上では「共感」までたどり着けるものの、現実では難しい。難しいというか不可能。無理。
「あぁ、この人は私を分かってくれている」等とほざく輩がいるけれど、何を勘違いしているのだろうかと思う。何故君もまた断言するのですかそれを。「完全な理解」というものは、妥協であり、見限りであり、自分の感情・思いに対する最大の冒涜であると思うのだけれど、人々は何を考えてこんな嘘臭いセリフを吐き散らすのか。
セリフを使いまわすのはあまり好きでは無いし、大して良いセリフだとも思わないが、"どうやらそうらしい"で形成されている世界で軽々しく断言をするな。まぁここで僕は断言をしている訳ですけれども。
何かを言い切るという事は、体力・精神力を削る行為である。あーでもない、こーでもない、とのた打ち回り、血反吐を吐いて立ち向かう必要がある。こいつは決して比喩では無い。死ぬ気で断言したい事があるのなら、実際その為に死ぬ必要がある。これは大袈裟だと思うか?僕は思わない。ひり出している。
まぁまぁ、あんまり堅い話は抜きにしよう。
「人の気持ちを考える」のはコミュニケーション時の心構えとして基本的かつ大切な事であると思う。がしかし、「あー、この人はこう思っているんだな」と易々と結論付けていいモノなのか?少しも苦しむ事無く得たモノは、「何も無い」よりも価値が無く、危険なものであると思う。このセリフは、「過程に重きを置くべき」と言っているのだと僕は思うよ。
まぁなんつーか、「君達、もっと外面に現れるくらい苦しみなさいよ」という事かしら。いや、実際は皆さん上手に隠していらっしゃるだけ、「表れて」いないだけなのでしょうけれど。単に僕が気付いていないだけなのかもしれないけれど、本気の苦しみを露わにしている人間が少ないようで、僕の頭がオカシイんじゃないかと心配しちゃうじゃないか。本当に気付いていないだけなんだろうけど。どいつもこいつも頭オカシイしね。もれなく。「自分は普通・正常だ」と言う人間が一番タチが悪いですけど。心底そんな風に思っている人間がいたら、ソイツは既に人間では無いと思います。そういうモノを「悪魔」と言ったりします。
やはり前提でしかないね、この話。なんにも感心する所が無い。
テストが終わりました。成績出たらまた晒してみようかなと思うけれど、なんでだろうね。メモ代わり?今回は"成績"、"良くない"と思いますよ。以前にも増して。公民がチキショ。
終わり。
だだだだ
明日、と言うか今日、期末試験なのだけれど、だからって何も書かなかったりするのは凄くツマラナイと思うので書く。と言って書き出してはみたものの、なーんにもネタになるものがないや。
明星(あけぼし)のアルバムが出たそうです。欲しいです。妹君が購入なされたようです。その内におこぼれに与りたいものです。おこぼれて。
電気×SDPが欲しいけれどもまだどうにもならんので、SDPの「the 9th sense」を久しぶりに聴いておりました。イエス、ノー。あー、あのね、この文章には虚偽が含まれております。どこかは言いませんけれど。
文具!
ジェットにんじんの方が好きかも。「ぢぇっと」だったかしら。GO!GO!7188の「虎の穴」にチューリップの曲が入ってるよね。何だっけ。「あーあー、だから今夜だけはー」ってやつだっけ?小さい頃にチューリップのアルバムを目覚ましにして起きていたのでそこそこ知っている筈なんだけれども、どうやら大分忘れているみたいだ。
あー、ホントに書くこと無いよ畜生。今日目が醒めてみたらば、ソレが張り詰めていたのかたわんでいたのか分からないんだけど、糸がプツンと切れてしまったような気がした。なんだろうな。
夢中遊行と宇宙遊泳はなんだか似ていないか?
追いつけないよー。大人のくすりも好きですよ。考えごとも好きですよ。あんまり嫌いなものがないんだよ。その代りに「これが一番」ってのも無い。非常に平坦で平淡なんだろうね。同時にその真逆であったりもするんだけど。
話の途中に曲のタイトルを入れる事があるけれど、一体どれだけの人が分かるんだろう。僕ぐらいか?
ぱらっぱらっぱーらー。
パチンコ屋と違いますよ。でも、こんな名前のパチンコ屋があったら面白いかもしれない。
素晴らしくグダグダしているので終わりましょう。
サビオラに代えて今ラーション。
はい、何が嘘だったか分かるね、これで。分かる人には、だけど。深読み推奨。
終わり。
ごちゃごちゃと
なんだか失望した。
なんだよ。果たしてそれだけなのかいな。そうじゃあ無いよ。あれを書く事が出来ると言うのはすごい事なのだろうけれど、でもやはり、何故だか唸らずにはいられない。博士の研究内容等、誰しも一度は考える事なのだろうけれど。だからソコにコレと言って新しい発見は特に無かった。"分かり易く"書かれていたのは矢張り作家の腕であったりするのだろうか。探偵的な部分も、まぁ面白くはあった。エロであったりグロであったりの描写も面白かった。因果の記事を書く前に因果についてのなんやかやの部分をよんでしまって、書くであろう時分に「あーコイツは影響されているなぁ」と斜めに見られるのだろう。少し嫌だな。そんなんどうでもいいんだ。昨日までは、『この先どうなるのか、こいつは本当に幻魔小説なのでは』なんて思ってはいたものの、なんだか全てを打ち壊された感がする。疲れてる中で読んだ所為なのだろうか。でも確かに、怪奇小説ではありますよ。『瓶詰の地獄』と『氷の涯』の方が楽しめたような気がしないでもない。過度に期待をし過ぎたのかもしれない。鬱陶しい解説の所為でこんなに向かっ腹を立てているのかもしれない。ヒトは所詮ヒトでしかないのかね。もうちょっと"幻魔"なモノを期待していた僕がいるのだけれど。確かに、考え出したら至極面倒に為り得る話だろうが。まだたったの一回通して読んだだけだからだろうかね。一年後くらいにまた読んでみよう。「お前は読解力に欠けているんだよ」と言われたらそうなのかも知れぬとは思うが。書けと言われても僕には書けないので凄いモノだとも思うが。
見えないところに見えているものは掴んでいるとしても、そのまた奥に何かしら新しく掴めるものがあると思うので幾度か読んでみる必要がある思った。僕の考えが及ぶ程度のモノでしかないのならば、半世紀以上に渡って多くの人に読まれてきた、という事実が全くの無駄であり、つまらないものになってしまうしね。
と、ここまで書いて10時間ほど眠っておりました。色々な夢を見た。「自己」というモノについてすっかり分かりきったように感じていたのだけれど、シャワーを浴びると同時に流れていってしまった。後追い作業をしてみようと思う。
先に言っておくと、後追いをしたつもりがなんだか違った話になってしまっている気がする。兎に角、勉強サボって書いてみたものをここに載せてみる。
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「あなたは誰ですか」という質問をしたらば、帰ってくるのは「~です」という名前になるだろうと思う。名前とは何か。あなたに貼られたツマラナイ紙に他ならない。そして、あなたの事を「某である」と言っているのは、訳書に保管された紙切れと、不安定かつ曖昧な、あなた又は他者の記憶でしかない。"昔の思い出"を取り払い、戸籍を焼き払ったとしたら、「あなたは誰か」という問いにどう返すおつもりか?
「そんな事を言われても、私は私だ。私がそれを知っている」と返されるかな。しかし、どうそれを証明する?「ある」事の証明は、「ない」事を証明するのと同様に不可能であるとは思わんか?私達が世界としているモノの全ては、鏡にしか過ぎない。他に自分を映し込んで"在る"と言っているのだが、自分も一つの鏡にしか過ぎない事にお気づきか?気付いた時には二枚以上の鏡が互いに互いを映していた、そういう事である。虚像の永久連鎖である。実像はそこに"在る"か?
鏡間に何も存在しないとしても、「では"鏡"はどこから来たのか」という疑問が残る。「いやぁ、生まれは東北でして」などとソレは言ってくれないぞ?「神の御手によるものだ」「宇宙の神秘にして真理だ」と言うのは下手な逃げ方にしか聞こえないが、そうする他に道がなかったからそうされているまでの事である。そんな、人間の力では証明出来ない、曖昧なものなのだよ我々鏡は。
いかん。これじゃあダメだ。いかんよ。嵌ってきた。世界を人間の認識し得る範囲で区切るからいかんのかね。
曖昧を曖昧とするべく書き出したものが曖昧自体の探求に入ってしまっているから"ハマッて"いるのだろう。"ヒト"の外から書こうとしたものがマンマと内側にハマッているわけだ。いやぁどうもやられた。"外にして内"ばかり気にして、"内にして外"がどっかへ行ってしまっている。
これをこうして書いている僕が"僕"である必要は全く無いと思う。なんだけども、そう思っていく程に僕は僕でなければならないような気がする。
我は我にあって我に非ざるなり。
この三つの「我」は同義でございます。
全ての溢れかえる「我」を統合した上でのモノでございます。
我、我にして全。
あー、全一に来たかよ。まーアレですよ。所詮この世は無限ループ。
頭の中でゴチャゴチャしていたことの半分も書けていないんだけどまあいいか。
「我思う、故に我あり」の「我」が何も個を指しているだけではないし、それと似たような。なんか。感じでよろしく。
個と全に収束したよどうも。
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タイプと同時に読み返しましたけれども、こりゃあ酷いや。「自己」消えた。いんや、消えたと見せかけて生きている筈なんだけど。書いている途中に見事に嵌りまして、かなーり危なかった感じ。ケンノン、ケンノン。
何やかや書きましたけれど、ドグラ・マグラは面白かったですよ。周りに広めて反応を窺いたいね。「伺う」では無く。この記事、書き出しから1日以上経っているのですよ。その間に色々あったりなんだりで、うん、失望したのも確かにありましたけれど、興味深い小説だとは思いますよ。読み終わった本に「興味深い」と言うのも変なのかもしれませんが。何度か読み直すにしては少々長い話ですけれども。
こんな感じでした。
終わり。
やおら
ちょっと顧みて見ますと、「20才の典型的な大学青年」ってのに僕はすっかり嵌っているんじゃないかと思いますよ。広義にしろ狭義にしろ。でもまあ、そうである事で頭を抱えてみてもどうしようもない訳で。単純にやりたいようにやるだけだわな。それしか出来ないし。
今更ですが、このブログは一人でやってます。書いてます。本当に今更だよな。僕自身、「こいつは本当に僕が書いたのかよ」と思う記事も多々ありますが。今の立ち位置から昔を見るのだから当たり前と言えば当たり前なのだけれど。昔の日記等を読めば、誰しもこういった感じを受けるのではないでしょうか。僕は日記を付けない人間でしたので、ココの存在によって現在と過去のギャップを痛感しておる訳ですが。"痛感"とまでは行かないかな。あんまり以前の記事を読み返さないし。読み返した方がいいような気もしますが。
あー。ちょっとね。どうしようかね。やめよ。うん。そのうちに。
↑
こういった独り言のようなもの、と言うかそれ自体を読まされるとちょっとムカッとされるでしょうね。うん、ごめんなさい。僕の頭の中での話です。こういう事すら書くのが僕ですから。
色々書こうと思ってみたものの、何にも思いつかないや。否、あり過ぎてどうしたらいいのかわからないのかも。もしくは本当に空か。いやいや、あるにはあるんだよ。だから独り言を止めろって?そうかスマナイ。僕が悪かったね。
今週一杯でサマー1の学期が終了する。来週月曜からはサマー2。休みは無い。サマー2ねぇ、授業が朝の8時からあるのよ。起きれますかね。ちょっとなぁ。どうだろうなぁ。何せ僕は遅刻魔だからな。うーむ。スマンね。独り言がちいと多いみたいだ。喋ってはいないのだけれどね。文章が勝手にブツブツ言ってしまっているようだ。スマナイ、スマナイ。
なんでしょうねこの書き方。意外と楽しいぞ。
送られてきた本を今夏に読みきれるかどうか不安だけれど、デカイの一つは数日中に読み終わりそうだ。面白いと思いますよ僕は。読み終わらないことには何とも、なんだけれど。何を読んどるのかと言えば「ドグラ・マグラ」なんですが。あと100頁ちょっと?200頁?位かな?中途感想としては、『よくもまぁアレを一人で描けますね』ですかね。「書く」よりも「描く」だろうな。まぁいいや、どっちでも。今あれ、博士が出てきた。このさ、未読者でも既読者でもなく、僕を相手にした話をしてどうするんかね。どうもせんし、出来んってのにね。うん。
電気グルーヴとスチャダラパーが何か一緒にやってるらしいじゃないですか。あそこ、仲いいの?昔々に同じラジオに出たとき、ボーズは電気と一緒なのがすごく億劫というか、あんまり好ましくなさそうな感じだったように思うけれど。電気が『丸裸のアリストテレス』と言ってた頃かな?『生ゴミOH2』?説明しなくちゃ最近の若い子にはわからないだろうから一応言っておきますが、スチャダラのボーズって人はポンキッキーズで『おはようさーん、みなさん準備はいいですかー?』って言ってた人、の筈、です。スチャダラのアニとシンコが実の兄弟。シンコ?シンゴ?まぁあれよ、僕の記憶力なんてこんなもん。今夜はブギー・バック。惚れたぜHarajuku。アルファって何してるの今?いやいや、活動されてらっしゃるのでしょうが。「アクティマン」位までは買ってた覚えがあるのだけれど。シングルね。お金が消えますよ。でもあれだ、入りは「サンオイル」だからね。アルファから宇多丸師匠を知りましてライムスに入りました私その頃中3かしら。もしくは高1かな。その頃に確かエミネムさんの「マーシャルマザーズLP」が出ていて、PVが面白かったりしたので買ってみましたらなんとまぁバカ売れしてましたね。既に米国ではそうだったんだろうけれど。EPだっけ?忘れたわ。マーシャルマザーズ買った後にスリムシェイディー買って、D12のも買って、その次の…何だっけ?あのアンコールと似たジャケットなんだけど青くなくて赤い奴を買って、お終い。アンコールは買ってない。「マーシャル」の綴りがパッと出てこなかったのでカタカナにしておいた。よってそれ以外もカタカナになった。読み辛い事この上なし。もうラップとかいいかなぁなんて思ってみたもののザマギも取りあえずラップだったりする。「取りあえず」ってのは大変失礼な表現でしたスマン。言葉遊びが面白いのだけれど、分からないのが嫌だったりするので日本のモノに偏りがち。ハッキリ言いまして、黒人の英語は僕には何やらよーわからん。女の子達を侍らせているPVとかも全く持って興味が湧かん。そういえば、50centを主役にしたゲームが出るみたいですよ。『だからどうした』と言ってやれ。
凄く読みづらい記事やねこれは。
まとめ。
漫画太郎先生のサラリーマン金太郎を茶化した様な漫画は本当に無かった事になっているみたいですね。世の中怖いわあ。
ピエール瀧繋がり、ということで。ちょー待て。どこが繋がっとるんじゃ。電気の話、全然してないやんけ。
あ、後、アドレス変わった(既存の『nemui.ameblo.jp』も使えるんだけど、システム側でまとめたりどうこうするアドレスは『http://ameblo.jp/nemui/
』)らしく、検索で引っかかりにくくなってしまうらしいです。そしたらば、「マイヤヒ」とかでタマタマここを訪れてみた人に僕の毒電波とも言える妄言であったりなんやりを伝えにくくなってしまうのでちょっと悲しい。『オナニーはオナニーらしくコッソリ・ヒッソリ隅っこでやってろ』って事なのかなぁ。やってる僕は凄く真剣なんだけどなぁ。そりゃあもう、笑っちゃうくらいにさ。何だか…まぁいいや。このままやるんだろうしさ。
はいはい、キリが無いのでそろそろ幕の中へ引っ込みたいと思います。
終わり。
今日は祝日
有って非ずは無きに非ず。
有って非ずんば無き。
なんだか矛盾したこれらのフレーズが不意に浮かんだのだけれど、一体何なのだろうか。『非ずんば無き』ってのはちょっとおかしくないか?つーか、『有る』の反対が『無い』と言っているだけなのか?じゃあ、その上の『有って非ずは無きに非ず』ってのはどういう事なんだろうか。うーん。わからないな。
話は全然変わりますけども、『意味論』ってやつはこの学校で受講できたかしら。言語学のではなく数理論理学と呼ばれるモノらしいですが。でもまぁ、数学やるにしても言語学ってものの必要性を感じずにはおれませんけどもね。大学ってのは面白いね。
何をやるにしても、ビジネスにしろコンピュータにしろ西洋文学にしろアートにしろその他諸々にしろ、『哲の道』は避けて通る事の出来ないものなのね。だから「博士」ってやつは「PhD:Doctor of Philosophy」と言うのでしょうね。なんて事は今更書くまでもないことなのだけれどな。それをそうであるという前提に置いて「学問」というものをしない人はいないもの。それでこの煮ても焼いても食えない「学問」というモノが一体何の役に立つのかと言えば、何の役にも立つのです。「立たない」って言うと思った?数式を見て数式を見ている人には難しい、絵を見て絵を見ている人には困難を極めるものなのだろうけれど。だから、自分の一番取っ掛かり易い分野を知らないうちに選んで、そこを全てのスタートとしているのじゃないか。
この哲の道ってやつは、何も「学校に行かねばならない」等と言う決まりはない。世界にはヒントが沢山転がっていて、無数のヒントを数個に絞り集め、パッキングして配っているのが学校だという"だけ"である。ブラブラと町を歩いている時にもそこらへんにこのヒントは散らばっているのだ。君達が酒盛りをしてドンチャン騒ぎをしているその瞬間にすら、それは溢れているのだ。多すぎて気が付きにくいだけなのだ。気が付きにくくて嫌になっちゃうから僕は学校を選択したまでの事なのかもしれぬ。昔あった「ココが変だよ日本人」という番組内で、「袋詰めのまま『なんだこんなもの』と言って中身を取り出してみないようじゃあ、勉強なんてする意味ないよ」とビートたけし氏が仰ったらしいが(記憶が曖昧なので伝聞推量で勘弁してもらいたい)、怠慢な学生に喝を入れる的確な一言であると思う。そういう僕自身も怠慢学生の一員に過ぎないのだけれどね。
せっかくヒントをまとめて売っている「学校」に行っているのだから、それを存分に搾り取ってやらないと損だと思うよ。高い学費払ってるんだしよ。
『哲の道』なんて大言壮語も甚だしいのだけれど、間違ってはいないかなとも思うので大口を叩かせていただきました。不味くても美味しく頂いて下さい。いや、やっぱり不味いモノは不味いと言ったほうがいいね。
もう一つ。全く関係のないようなこと。
確立論を受ける前に、何とかして「必然」についての記事をまとめたい。出だししか書けていない。しかも、何故だか頭が働いてくれない。授業が始まるのは来週である。無理かな。この授業を受ける前と後とで、偶然・必然、運命や因果といったものに対する考え方がどう変わるのかを観る為にも書いておくべきだと思ったのに。
『伊藤の公式』や『伊藤のレンマ』ってやつは出てくるのかなぁ。日本人の名前を教科書や講義内で見ると何だか嬉しくなるのは僕だけだろうか。
定理ってやつは絶対正しい、そこから広がるものへの前提になり得るものであるのだけれど、そいつの全貌を掴むのは中々にして難しい。と僕は思うのだけれど、数学狂いの方々は何を思ってらっしゃるのかしらね。「絶対正しい」ってのは誇張でもなんでもなく、とある前提、"ある範囲内で"はそれは不変不朽の真理である、という事なのですよ。僕がいつも困ってしまうのは、それにすらも謎を抱いてしまう事なんだ。ライン引きが上手く出来ないんだな。幼子のように、歯止めをかけることなく「アレは何?コレはどういう事なの?なぜソウなの?」となるのは大変疲れるし、無駄な事のように思えてくるのだけれど、僕のやり方ってのはこういうモノだと思うのでこのまま行くしかあるまい。天地がひっくり返っても"学者"にはなれない人間なんだと思うよ。良くも、悪くも。
終わり。