だらだらしてみる。 -37ページ目

かにばさみ

「完全の不完全・不完全の完全」ってのをちょっと書いてみようかしらと思ったのだけれど上手く書けそうも無いので当面棚上げする事にした。そういう事を書いた本とか人とかを知らないので、何か無いか、という状態でもある。根本が『「完全?何言ってるの?」派』であったりするので中々難しい。いやでも、1年前、1ヵ月前とは幾らか考え方が変わってはいるけれど。

何だっけ。もう一つあったんだけど。忘れちゃったよ。

忘れたから別の事を。

世界の仕組みやら宇宙の怪奇やらにアプローチする方法は多々あるかと思いますが、僕のアプローチ方法は果たして実を結ぶのであろうかと時々不安になる。ごめん嘘だ。そんなもんもう考えてないわ。不安になるところは通り過ぎた。実を結ぶのかどうかも怪しいもんだけど、それももう考えていない。英雄になろうと思った瞬間に英雄になれなくなる、みたいなもんか?なんかズレている事もなくないが、まぁいいか。

一秒、一分という短いはずの時間では考えられない程に、入り組んだ、それでいて明快な、様々な自分の問いに対する答えのようなものをガツンと受ける事があるのだけれど、書き表してみようとした時にはF1マシンのように猛スピードで過ぎ去ってしまっていて、書ける事と言ったらその後の残り香でしかない。なんだか少し悲しい。「またここを通るだろう」と思ってみるのだけれど、中々かえってこない。そこでまた唸るわけだ。もう少し働いてもらい。この頭に。身体に。心に。でもまぁ、出来る範囲で精一杯やるだけだ。

一見して全く無駄な事をしているようで、実際は全くの無駄なのである。この書き方はわざとよ。

いやしかし、本当だね。そういうもんなのよ。何かになると思ってやっているわけでは無いし。『全くそうなのか』と聞かれたらすこし唸ってしまうけれど。意識・無意識下で飛び回ることが目的そのものになっている、というまでには至っていないとは思うけれど。やり始めたら案外面白かったから続けているような感じだろうか。うーん。何と言ったらよいのか。

語彙不足、それに伴う表現力の乏しさに苦しむ日々である。語彙不足だけがこの幼稚な文章を形作っているだけではないとは思いますが。


ちいと精進せねばなるまいねこれは。

うかがい

「そういえばRSSが変更とかどうとか言ってたな」

思い出して『きのした』の情報を弄くってみました所、お喋りしてくれなくなりました。憤慨。どうなのかよくわからないので数日様子見。


重いなあと感じるのは僕のPCの接続があまりよくないからなのか、アメーバさんに因る所なのか。これもよくわからないので様子見。


新規で始める人"だけ"URLが「http://xxx.ameblo.jp 」から「http://ameblo.jp/xxx/ 」に変わる、という話であった筈なのだけれど、ブログタイトルからリンクの貼ってあるページが後者であるのはどういうことなのかなぁ。後、まだ確認していないから何とも言えないのだけれど、CSSが微妙に変わっているらしいぞ。どういうことなのだろうか。



何がどうなってるのかよくわからないけれど、筋は通してもらいたいね。いい大人なんじゃないのかね。まだまだ様子見ですけれど。


もしも"いい大人"が筋を通さずに生きれるのであれば、クソガキの僕が核爆弾のスイッチを押す事になんのためらいを感じる必要もないのではないか、と書いてみたけれど話が変わっている。



兎に角、様子見。

王大人

兎に角感情的に。



7つの大罪で言えば、僕の中で抜きん出ているのは怠惰。その次は憤怒である。angerよりもwrath。なんか響きがいいからという中学生的思考。


どいつもこいつもが"太っちょのオバサマ"である、というフラニーとゾーイーに出てくる科白の真意は得たと思ってはいるものの、どいつもこいつもが下らない物事に"だけ"執着して生きているように見えて腹が立つ。所詮、他人から見えるものは上澄み液にしか過ぎないんだろうけれど、濃い灰汁の部分ばかり曝け出しているように見えてしまって腹が立つ。被っている仮面を何枚引き剥がしたら"本当の"部分が出てくるんだよ?考えれば考えるほどに自信が無くなるから出さないのか?「自信」なんてもの自体が上っ面なんだから、そんなもんを怖れたってどうしようも無いじゃねーか。わからない事があるからこそ外に出してみるんじゃねーか。アホと普通と天才がいて、アホと天才は貪欲なまでに物事を知ろうとするの。普通でいたいのかお前らは?これは論語に載ってたような気がするけれど、こういう風に書くと孔子に悪い気がするので各自読め。どこのどういう話だったかを憶えていないのに言うけど。高校の図書館にあった『図解・論語』は結構入り易いものだったよ。声を上げなくても魂でわかるとか思ってるの?あほか?攻殻機動隊みたくゴーストハックが出来る様になっても結局は上澄み液しか見れねえって。言葉や会話は確かに伝達手段としては不完全だよ。人間自体の思考も不完全だよ。だからこそ"本当に大事な事"を外に出していかないとどうしようもないんじゃねーのか。どうでもいいことを、"本当に"どうでもいいと思っているのならばまだ価値があるものだと思う。ツマランものをツマランと思えないくらいならやるな。ツマランものを「ツマラン」と言い切るまでにお前はどれ程頭を唸らせるよ?3年分くらい考えてるんだよな?平然とそう出来るからこそ、アホを装って生きているんだよなお前らは?全く頭が下がりますよ。僕は矢張り欠陥品ですわ。死ぬほど苦しんだ上での行動や言葉であって、それに付随する、僅かにでも起こり得る可能性がある事への責任を取れるんだよね?いやもうホント苦しいよ。そうした上で、君らはそれを微塵も見せないで暮らしているわけか。いやらしいなー。すげーよ。全くもって平伏。涼しい顔してばばんばん。



何か中途半端やけど終わります。

攻殻とかゾーイーとか、リンク貼ろうと思ってたけどスロースが邪魔をしたので止めにすることにしました。



『メンドクサイ』ってよく書くけど、7つの大罪的、人間の本質的な「怠惰」と、ぐるぐるぐるぐる頭狂わして考えた上での『面倒』の両方、いや、二つ以上の考えで持って成している『メンドクサイ』ですんでよろしく。と言ってみても、みなさんからみたらばずっと前から「そうで然るべき」な事だったんだろうな。僕が遅すぎたってだけで。


大人はキタナイ。


終わり。

ゆゆゆ

リニューアル完了が思ってたより早かったです。完了じゃなくて終了なのかも知れませんけど。なんかいかんね。僕はイチイチいやらしいわ。

わからない事なんて何もありません。同時に、わかる事なんてのも何もありませんよ。「あ、そうなのか」と"わかった"時には既にわからなくなっているものなのです。君、何も僕は"問題の解き方"とかそういう事を言っているんじゃないぞ。いや、でもそれも"そう"なんだよ。宇宙だわ。

あのさー、『何も僕は~』って付けるの、本当に必要なのだろうかね。落とし穴が無いのに断る必要もない気がするんだけどな。いや、それが既に落とし穴か。

で、全てをわかっていて、全てをわかっていないのよ、僕達ってのは。メンドクサイ生き物ですが、これだからこそ楽しいんでしょうよ。

して欲しくない事は、「わかっていない」と言う事実に目を向けずに「わかっている」と言い聞かせてどーしよーもない枠内に留まってしまう事。いつでも、どんな状況においても、こういう事態に陥り易いですから。

なんかあれね。僕の中で、形而上と形而下は字面が違うだけだよ。その根に見えるのは同じものであるように思う。いやいや、誰でもそうなんだろうとは思いますよ。

全部繋がってるのなー。気持ち悪いよ、この生き物。ウキウキもしてくる。

具体例を挙げたら頭に入りやすくなるんでしょうけど。僕は教科書じゃないので、みんなも苦しめばいいと思います。ここ、これがまた楽しかったりするのよ。

なーんか説教臭い感じで嫌ね。

おめす

無知蒙昧であるからこそ白眼たることもなく白眉への道が開かれるのではないかと思ったけれども全くの白痴となることは中々にして難しい。


白痴という言葉は蔑称として使用されるみたいだけれども自嘲的な意味も込めてあえて使った。


なぜ完全な無知へ至れないかと言うと、第一に経験・体験の所為なのだろう。産声をあげると同時にそれが始まってしまっているからだ。何事に対しても、"こうすれば上手くいった"という経験的・体験的に得た知恵、逆に言えばバイアスがかかってしまう。第二位に値するのは自我や業といったものだろうか。成長し、"物事の分別が付く"ようになってしまうと、それを守りに入ってしまう。気がつかない内に自分で作った型にはまってしまうのだ。それは自分の世界では"前提"となってしまっていて、覆す事が困難である。


ではどうしたらいいのか。全てを捨て去る事は出来るのか。それが簡単に出来たら宗教はいらないんだろうな。うん。でもね、なんとか自分の力でもってそれにチャレンジするのは中々楽しいものがあるよ。本当に自分の力なのか、何者かの見えざる手によるのかを僕はまだ知りませんけど。宗教がこれだけ広くいきわたってるのには訳がある筈で、これがその一端なのかもしれない。なんて言う僕無宗教。



今回のこの記事、全くの私信であります。要点は以下。


吹き出しが犬の絵から出ていて、そこに「これから」と書いてあるからといって、「犬から出ているんですよこの吹き出しは」という事ではありません。鬱陶しい罠をはってみました。


それを見破るくらいの気概を期待したい。そして考えるのだー。