野の花を見よ。 | ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

だいじょうぶ。どんな時も守られているからね。

 わたしたちはみんな、神に愛されているのだから。

こんにちは、まどかです。




今日もここにきてくれて、ありがとう。





5月は大好きな季節です。
道東で生まれ育ったまどかにとって、
5月は長い長い冬が終わり、春がはじまる時。
雪が解けた後、地面からはたくさんの芽が吹いてきていて、
すべてが春の訪れをよろこび、
生きるよろこびに溢れている季節です。





まだ吹く風は冷たくて、
雪が降ることもあるけれど、
それでも、4月までとはまったく違う空気があって、
差し込む光がどんどん強くなって、
命の放つ躍動的なエネルギーが、
ただただうれしく、
ただただ楽しく、
ほんとうに幸せな季節です。






昨年もそうだったけど、今年もまた
人間の世界には、さまざまな問題があり、
たくさんの制限や制約があり、
日々混乱している状況だけれど、
自然界はそんなことはまったく関係なく、
命の息吹に溢れています。






わたしたち人間がどんなに傷つけても、
どんなに汚しても、
自然界は、健気に何度でも蘇ろうとしていることに、
ほんとうに頭の下がる想いでいます。






わたしたちが忘れてしまったこと、
自然界はいつも思い出させてくれるのです。
だから、しゃがんで足元の草花と会話をし、
花に顔を近づけて香りをかぎ、
木々に寄り添い、木肌に触れるだけで
人は元気を取り戻すことができるのです。






純粋に命を生きるということは
なんて美しいことだろうか。
無垢に命を放って生きるということは
なんて神聖なことだろうか。






自然界が常に美しいのは、
神という命を、ただ純粋に表現しているから。
神を生きること以外は知らず、
神以外の考えを持たず、
ただ、神を生きているからに他ならない。






かつて、チベットを旅した時に、
標高5000メートル以上の崖に、
美しく青く光るものを発見して、
車を止めてもらったことがあります。


崖を登って近づいてみると、それは、
青いけしの花、ブルーポピーでした。


こんなにも山奥に、誰が見るわけでもないのに、
まぶしいほど鮮やかな、
青い美しい花びらを風に震わせて、
神という命を放ちながら生きている姿に、
非常に感銘を受けたこと、今でも時々思い出します。






世界を旅しながら、訪ね歩く山奥で、
いつも、美しく咲いている花に出逢います。
誰かが世話をしているわけではなく、
もしかしたら、一生、
誰にも気づかれないかもしれないような場所で、
美しく咲き誇る花に出会う時、
それはそれは感動を覚えます。






かつて、北海道の山奥を一人歩いている時に、
緑から赤へと、姿を変えている最中のナナカマドに出会い、
「どうしてこんなにきれいなんでしょう!」とつぶやくと、
「自然にまかせていればいいのよ」と
ナナカマドが教えてくれたことがあります。






ああ、そうか。
あらがわず、あるがまま、「今」を生きていることが
神を生きるということなのだ。
だから自然界は、こんなにも輝いているのだ。
と、ナナカマドに教えられました。






わたしたち人間はどうだろうか?

人が見ている時は美しく装っても、
人が見ていない時はいい加減になったり、


評価されるならばやるけれど、
評価されないならば手を抜いたり、


お金をもらえることは一所懸命やっても、
お金にならないことはやりたくなかったり、



見られること、
評価されること、
価値があると賞賛されること、
お金をもらえること、


さまざまな価値基準があり、
物事を天秤にかけて、
常に頭の中で計算し、
損か?得か?と生きているのではないだろうか?






もし人間のように花や植物が生きていたなら、

見てくれるなら咲くけど、
見てくれないなら咲かない。

賞賛してくれるなら立派に咲くけど、
褒めてくれないなら咲かなくてもいい。

自分にメリットがあるなら咲くけど、
自分にメリットがないなら咲かない。

そんなふうになってしまうでしょう。






もしも自然界が、人間のように、
計算があり、
損得勘定で生き、
見られているか、見られていないかで
態度を変えていたならば、
地球はもっと早くに破滅に向かい、
今頃、地球はなかっただろうと思います。






人間は、命が神であることを忘れてしまって、
命という神に生かされていることを忘れてしまって、
「自分の考え」
「自分の損得」
という、人間だけの考えを創り出してしまって、
そして、この地球上で、人間だけが、
まったく、別の生き方、あり方をしてきたのです。






天変地異、天候異変などと大騒ぎしているけれど、
ウィルスの脅威に怯えているけれど、
そんなものは、本来、地球上には存在しなかったもので、
すべては、人間のあり方によって創り出されたものなのです。






それは、目に見えるところよりも、
目に見えないところに原因があります。






人間は、心の中というのは「見えないもの」だから、
どのようであっても、バレるはずはない、
と信じているようです。


外側の態度だけ取り繕っていれば、
美しい見せかけだけ作っておけば、
心の中で、どんなに闇を放っても、
どんなにネガティブなことを思っても、
どんなに人を嫌っても、
どんなに怒り、憎しみ、嫉妬を持っても、
わかるはずがない、
バレるはずがない、
と信じているようです。






でも、見えないところにこそ力があります。
「見えないもの」と信じているのは人間だけであって、
すべては、この地球上に映し出されているのです。

なぜなら、地球という星は、
人間の心の鏡だからです。






これから世界はどうなるのか?
今年は台風が来るのか?
ウィルスはどうなるのか?
病気にかからないか?
経済はどうなるのか?
お金はなくならないか?
自分の地位は失われないか?


人は、毎日、毎日、自分のことを心配しているけれど、
これこそが、本来の人間の生き方、あり方とは
真逆にあることなのです。






神が人を創った時、
「この地を愛で統治せよ」と
地球をあずけてくださいました。


そして、この地上を神が歩き、神が生きるようにと、
すべてを整えてくださったのです。


自然界から教えてもらうのではなく、
わたしたち人間が、
自然界を愛で導いていかなくてはならないのです。






そんなことをすっかり忘れてしまった人間が、
いま、もう一度思い出すことができるようにと、
自然界は、懸命に、人間に語りかけてくれています。


「あなたは誰なのか?
 どうか思い出してください」


と、足元の小さな花が、街路樹が、雨が、風が、
常に、あなたに語りかけている声が聞こえるでしょうか?






ナナカマドが教えてくれたように、
「自然にまかせている」ということ。


あらがわず、あるがままに、
「今」という実在を生きること。


すなわち、神として愛生きることが、
すべての問題を解決し、
すべての不調和を調和へと導き、
神が創られたままの、愛の星へと蘇るための、
たった一つの道なのです。






新約聖書にも記されている、イエスの言葉で、
とても大好きな箇所があります。


幼い頃にこの箇所の美しさに
ハートが震えたのを覚えていますが、
いまは、ここでイエスが何を伝えているか、
はっきりと実感を持って、理解することができ、
いまこそ、多くの人たちに
このように生きてほしいと願っています。






「野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。


きょうは生えていて、
あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、
神はこのように装って下さるのなら、
あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。
ああ、信仰の薄い者たちよ。


だから、何を食べようか、何を飲もうか、
あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
あなたがたの天の父は、これらのものが、
ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう。

だからあすのことを思いわずらうな。」






この箇所は、イエスが山上で説いたお話の一部分です。


食べるもの、飲むもの、着る物、
つまり、どうやって生きようかと、
人生の心配ばかりしている人間たちに、
本来の人間の在り方、生き方を、イエスが説いた箇所です。






ここでイエスは、空の鳥と、野の花を例に出して、
神という命が、必要なものはすべてをわかっていて、
生かし、育ててくださること。
人間だけが、神を忘れ、信頼をなくし、
日々、思い悩み生きているということを
話してくれています。






そして、もっとも大切な部分は
「まず神の国と神の義を求めよ」
という部分です。


なぜなら人間は最初に神という命とつながるのではなく、
神を忘れ、命を忘れて、
自分でなんとかできる、
自分がなんとかしなければ、と、
どんどん、神が与えてくれる宝から離れ、
もがいて生きているからです。



でも、神と一体になれば、
何一つ、心配することはないのだということを
イエスは説いているのです。

そして、それが、自然界の姿なのです。






これを幼い頃に読んだ時に、
2000年前の人たちも、今の大人たちも
まったく同じなんだな、って感じたことを覚えています。


このことを、この世界の人たちに伝えたい、
神の愛の無限さを、
神の愛の偉大さを、
あなたがどれほど神に愛されているのかということを
伝えたいと思って、今日まで歩いてきたのです。







足元に咲く小さな花に、
街路樹の輝く木々たちに、
美しい声でさえずる鳥たちに、
どうぞ、教えてもらってくださいね。



自然界が願っているのは、
人間が、本来の人間に蘇ること。


人間という入れ物を通して、
この地上を神が歩き、神が生きていたあの頃を
どうか思い出してほしいと願っているのです。





美しき季節、5月。
あなたが忘れ去ってしまったことを
自然界に思い出させてもらえる時になりますように。
美しき自然に、心の目を向けてくださいね。






゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆



みんながいつもしあわせでありますように。

まどか芝生

                      まどか
                    愛とともに



今日のお話は、
「野の花を見よ。」

でした。読んでくれてありがとう。



゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


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