イスラエルの地に平安があるように。 | ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

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だいじょうぶ。どんな時も守られているからね。

 わたしたちはみんな、神に愛されているのだから。

こんにちは、まどかです。





今日もここにきてくれて、ありがとう。






近年では最も大きな紛争が、
イスラエルの地で起こっていることに
非常に心が痛み、イスラエルの平安を祈る日々です。






イスラエルの地に平安がやってくることを、
イスラエル、パレスチナ、すべてのユダヤの人々に
本当の平安がやってくることを、
ひたすら祈っています。







2019年の11月、イスラエルへ旅に出ました。

長い間、訪ねたいと思ってきた地であり、
いつか訪れることがあるだろうと思ってきましたが、
予定を立てていたわけではありません。






その年の6月頃だったでしょうか。
ある時、突然、内側から「エルサレムへ行きなさい」
という声が響いてきました。

でも、その頃はあまりにも忙しく、
具体的な計画を詰める時間のないまま、秋を迎えました。






9月に、毎年行っている、南仏プロヴァンスの
サント・ボームで明想していると、
内在の神より「イスラエルへ行きなさい」と言われました。
そして、それは、とても急いでいるようでした。
「今年中に」と言われたのです。






9月にフランスから帰って、10月からは
全国でリトリートを行う予定があり、
12月は「インテンシブ•リトリート」があるので、
なんとか日程を組めるのは、
11月の限られたところしかありませんでした。






11月の中頃、日本はすっかり寒くなりかけていた頃、
イスラエルへと旅立ちました。


翌年にはコロナウィルスの流行で、
海外渡航の予定はすべてキャンセルとなり、
「今年中に」と急がされたイスラエルが、
最後の渡航となり、
なぜ「今年中に」と言われたのか、
その理由が後になってわかりました。






まどかは、観光旅行というものを
ほとんどしたことがありません。
旅というのは、いつも仕事でした。
旅をする仕事ばかりしてきたのです。






職業という意味での仕事だけではなく、
まどかが旅をするのは、
その地で祈り、明想し、
愛のヴァイブレーションを放つためです。
ですから、世界中を旅していても、
旅の多くの時間は、どこかに留まり、
祈り、明想をしています。






内在の神が「イスラエルへ行きなさい」と言ったのは、
その地で、祈り、明想をし、
愛の光、愛のヴァイブレーションを放つためです。






実際に、ベン・グリオン空港に到着した日、
イスラエルとパレスチナの紛争が勃発し、
テルアビブ周辺にはロケット弾が飛び交い、
シェルターへ避難するようにという警告が出ていました。






わたしたちはその頃、ガリラヤ湖畔にある
マグダラという街へ移動していている時だったので、
その影響を直接は受けませんでしたが、
このように日常的に紛争が起こっていることを
目の当たりにすることになりました。






外務省から入る情報を受け取りながら、
イエスが教えを説いていたガリラヤ湖周辺に滞在して、
祈り、明想を続けていました。

ちょうど、エルサレムへと向かう直前に、
紛争は停止となったという情報が入りました。
それは、ガリラヤ周辺を旅立つ前に、
湖畔で最後の明想をして、
エルサレムへ向かおうとした時でした。






イスラエルは、ユダヤ民族の地。
その始まりと2000年前までの歴史の記録は、
旧約聖書に記されており、
その後、イエスが生まれ、活動した期間の記録は、
新約聖書に記されています。






多くの人たちに知られているように、
イスラエルの都市、エルサレムは、
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の
三大宗教の聖地とされていて、
街を歩けば、少なくとも3つの宗教の人たちが
ともに生きているのが、すぐにわかります。






慣習も服装も違う人々が、それぞれの信仰を大切にしながら
ともに生きている姿は、
エルサレムの独特の風景なのだと思います。
キリスト教の聖地とされる聖墳墓教会の外で、
夕刻なると、イスラム教のコーランが鳴り響き、
周辺には黒い帽子を被ったユダヤ教の人々が歩いている。

それは今まで訪れた、どんな国とも違い、
もちろん日本では想像もつかない風景です。






イスラエルとパレスチナの紛争について、
よく日本人は
「自分たちには理解ができない、宗教戦争だろう」
という一言で片付けてしまうのを耳にするけれど、
現在起こっている紛争は、
宗教戦争とは、すでに言えないものだと思います。
ですが、戦争のはじまりは宗教にあるのだとも思います。






ユダヤの地、イスラエルにおいて、
長い、長い歴史の中で、
たくさんの戦いがあり、たくさんの争いがありながらも、
本気で平和的な解決を見出そうとしなかったことが、
これほどまでに長引かせてしまってきたのではないのだろうか。






旧約聖書にもたくさんの争いが記されていますが、
その多くは、この地が「誰のものなのか?」
ということが、根底にあるのではないだろうか。






イスラエルを旅しながら、
世界の様々な国を旅してきた時に感じたものとは違う、
ある独特の波動を感じました。

イスラエルは大変ヴァイブレーションが高く、
非常に強い光に溢れています。







紛争の多い地域ということで、
漠然と、暗い印象を抱いている人がいるかもしれませんが、
イスラエルは非常に光に溢れた、
美しく、神聖な雰囲気の場所です。

この非常に高いヴァイブレーションが、
この地に人々を惹きつける理由なのだろうと思います。






非常に美しく、言葉には言い表し難いほどの魅力があり、
とても高いヴァイブレーションの土地。
誰もが「自分の地」にしたいと願う場所、
それがイスラエルなのかもしれません。

この地への愛が、
やがて、
この地への執着や、所有欲となり、
このように争いが続いているのではないだろうか、
と訪れた時に感じました。






でも、実際のところ、
この地球のどこかが、「誰かのもの」
になることはありません。

もちろん、「国のもの」「個人のもの」と、
土地に、所有やその権利が存在していますが、
それは人間が勝手にやっていることであって、
地球上のどの場所も「誰かのもの」
になることなど、もともとできないのです。






なぜなら、地球のすべては「神の体」であり、
この星を創られた、神ご自身のものだからです。






わたしたちは、この地球に生まれ、
肉体を持っている間、
この地球の一部分をお借りして、
あらゆる体験、経験を通して成長するように、
神から使わせていただいているのであって、
それを「私のもの」「誰かのもの」と
所有することなど、決してできないのです。






できないこと、あり得ないことを
「やりたい」「欲しい」という想いを持つことが、
真理とはずれてしまい、
法則から外れてしまい、
狂った状況を作り出していってしまうのです。






神はひとつです。
ひとつである神に、人間は名前をつけて
「自分たちの神」
「自分たちの宗教の神」
としてきたことが、
分離意識を作り、分離感を生み出し、
比較、競争、優劣を生み出し、
「勝ちたい」
「上に立ちたい」
「自分のものにしたい」
「支配したい」
という、エゴの狂った考えや欲望を作り出してきたのです。







ユダヤ教の神も、イスラム教の神も、キリスト教の神も、
すべてひとつです。
仏教の神も、ヒンズー教の神も、
すべてひとつです。

神とは根源のことであり、
根源はひとつなのですから、
違いがあるわけはないのです。







ひとつである神の、体である地球は、
ひとつであり、分断することなどできないのです。
地球を分断して、所有するという考え自体が、
神とはかけ離れた考えであり、
だからこそ、そこには調和が生まれることはなく、
争いが長く続く結果となっているのです。






イスラエルは、日本の四国ほどの面積しかない、
ほんとうに小さな国です。
小さいけれど、本当に美しく、
他には類を見ないほどの豊かさを感じる国です。

こんなに小さな国土の中で、
国境を作り、分断し、
自由な行き来を止め、
塀の外に出ることも入ることも
ままならないような状況を作り出し、
さらには、塀の内と外とで戦争をしているということは、
ほんとうに悲しいことであり、
胸が張り裂けるほど痛みを感じることです。







すべての民が真理に立つことができたら、
この素晴らしいイスラエルという国の
美しさや豊かさをともに分かち合い、
ともに助け合って生きることができるのに。






イエスはこの地を愛で導くために、
イスラエルに生まれたのです。
イエスの時代もまた、争いの耐えない時代であり、
真実の愛は理解されることなく、
真理は受け入れられることはありませんでした。






ユダヤ教も、イスラム教も、キリスト教も、
もとはひとつの神であり、
ひとつの神が、
この地を愛で導き、
愛で育むようにと、
天啓を与えたにもかかわらず、
それが、分離を作ってしまっていること、
ほんとうに悲しく、胸が痛みます。







でも、このような状況の中から、
新しい選択が生まれることを祈っています。
今までとは違う、
愛からイスラエルを守り、
愛からイスラエルを育み、
愛からイスラエルを治めていく、
新しい選択が生まれることを祈っています。






わたしたちの命はひとつです。
ひとつである命が、神です。
命は分断、分離することなどできません。
神を切り離すことなどできません。
わたしたちは最初から永遠にひとつであり、
それ以外の事実を持たないのです。






どうかイスラエル、パレスチナの人々が、
ユダヤの民が、
真理に目覚め、愛を生きることができますように。
わたしたちは世界から、
愛の光だけを、イスラエルに送りたいと思います。






イスラエルの人々の温かさが、
イスラエルの人々の陽気さが、
イスラエルの人々の明晰さが、
イスラエルの人々の真摯さが、
すべて、愛でイスラエルを統治するために使われますように。






2019年に訪れた後、
すぐに「来年も行こう」と決めていました。
渡航が困難な現在ですが、その想いは常に胸にあります。






イエスが生まれ、イエスが真理を説いたイスラエルは、
まどかにとって、とても大切な場所であり、
たくさんのことを思い出させてくれた場所です。
とてもとても愛しています。






いつかまた、ハートから溢れる愛を持って、
イスラエルの地を踏みたいと願っています。
それまでは、遠くから、ただひたすら祈ります。






イスラエルの地に平安がありますように。
イスラエルの地に愛の光が溢れますように。


shalom、shalom、shalom
シャローム、シャローム、シャローム


イスラエルよ平安なれ。




゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆



みんながいつもしあわせでありますように。

まどか芝生

                      まどか
                    愛とともに



今日のお話は、
「イスラエルの地に平安があるように。」

でした。読んでくれてありがとう。



゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


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