「枠」にはまっていないか気づいてね。 | ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

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だいじょうぶ。どんな時も守られているからね。

 わたしたちはみんな、神に愛されているのだから。

こんにちは。まどかです。



今日もここにきてくれて、ありがとう。



今日は「苦しみ」シリーズはおやすみしようと思います。

文章に「知識」を入れるのには、
いろいろ思い出したりしなくちゃいけなくて、
いつも使わない、マインド(思考)を
ちょっと使っちゃったので、
今日はいつも通り、手が打つままに、書いちゃいます。



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ところで、みんなは、どんな時に
「息苦しいな」って感じるかな?




まどかはね、最近はあんまり感じなくなったんだけどね、
かつてはいつも、息苦しかったのね。




それは子どもの頃から、ずっとだったの。
とにかく息苦しいから、
自分の生きやすい場所を求めて、
生きてきたのが、まどかの人生でした。




なにが息苦しいかというと、
たとえば、子どもの頃や学生の頃は
教育とか、校則とかもあるし、
なによりも苦しいのは、
「あなたはこういう人」って決めつけられること。
しかも、それは、たいていの場合は違っているから。




なのに、どうしてなんだろう。
「あなたはこういう人」っていうふうに見られたり、
言われたりすると、
言われた通りの人を演じていたりするのよね。
そして、ある時、ふっと気がついて、
「それ、まどかじゃないな」って思ったり。




その人が望む姿になってみたり、
その人がイメージしている姿になってみたり、
その人が想像している発言をしてしまったり、
そういうことが、かつてはとっても多かったのね。
そして、とっても息苦しかった。




人の期待に応える生き方を、
わたしたちは知らず知らずのうちにやってしまうことが
とても多いのね。
それは、愛されたい、受け入れられたい、評価されたい、
などの思いがあるから。
これは、わりとわかりやすいよね。
どちらかというと、ポジティブな方向に
自分を演技させる感じ。




でもね、よく観察してみると、
よい期待というか、ポジティブな期待に応えるだけじゃなく、
よくない期待、ネガティブな方向の期待にも
応えちゃってることがすごくよくあるの。
これは、なかなかわかりにくいのね。




こういうことって、みんなにもあると思うんだけど、
まどかが感じてきたことは、
自分を、ある人の決めた「枠」にはめてしまうということだった。
相手に理解されやすいような、
相手が受け取りやすいような「枠」に
自分をはめてしまうのね。
そして、最初はその「枠」にはまっている自分に
気づかないんだけど、
ちょっとすると、「どうしてこんなに息苦しいんだろう?」
って思って、
気がつくと、「相手のイメージしているまどか」という
「枠」にはめて、それをやってしまっていたことに気がつくの。




これって、何回も何回も繰り返してきて、
だいぶ気づいているんだけど、
それでも時々、見破れなくなってしまうのね。
そして、「なんて息苦しいんだろう~」って感じて、
じっくりと自分の内側を感じてみると、
「あ、まどか、枠に入ってた。自分じゃないものやってた」
って気がついたりするのね。




「意識」ってつながっているでしょう。
わたしたちの「意識」ってほんとうはひとつだから、
わたしたちは、自分の意識で、自分の考えで、
生きているように感じているんだけど、
実は、そうではないのね。




「まどか」というものを見ている、相手の「意識」があって、
その意識が、「まどか」の中に流れ込んでくるから、
しらずしらずのうちに、それをやってしまっていたり、
その状態に合わせた、発言をしていたりするの。




これは、頭で考えても、ちょっと難しいかもしれない。
まどかも感覚的にわかってきたことだから。
だから、「ふうん」って感じで、
なんとな~く、読んでみてね。




出かけて誰かに会って帰ってくると、
「あれ? なんか変だな?」って感じることがあるのね。
なんかしっくりこなかったり、妙に疲れていたり。
あるいは「らしくないな」っていう感覚。
そういう時は、たいていの場合、
相手の見たい、まどかという「枠」に、
いっしょうけんめいに合わせて来た時なの。




これはね、無意識の領域でやっていることなんだと思うのね。
相手が見ている「わたし」を演じる。
相手が言って欲しいことを「わたし」が話す。




たとえばね、相手が、
「あなたって、小心者だよね~」なんて思ってたり、
そんなふうに言われたりすると、
気がついたら、「小心者のわたし」を演じていたり。




「まどかってこういう人だよね~」なんて言われると、
「そうかな?」って思って、「そうかもね」なんて
そのつもりになって話して帰ってきて、
帰ってきてから、
「ぜんぜん違うな~」って気がつくこともあるしね。




こんなふうに、ありとあらゆるところで、
わたしたちは、まわりの人の意識の影響を受けて生きているし、
同時にわたしたちも、まわりの人たちに影響を与えているのね。
それは、自分を拡大してくれるようなものならいいのだけど、
自分を萎縮させてしまうような時には気をつけてね。




これは、やっぱりエゴのゲームなのね。
相手が行うエゴのゲームでもあり、
自分もそれを受けてしまうという
お互いのエゴのゲーム。




これはね、エゴがある限りは存続しちゃうんだと思うんだけど、
なぜこういうことがおこるかというと、
「ありのままの相手」を見て、感じていないからなのね。
つねに、相手に対する評価が、
よくもわるくもあるし、
マインド(思考)は、なんとしてでも、
相手をわかりたい、理解したいって思うから、
そこに、相手に対する「概念」が生まれてしまうからなの。




相手をわかるということは、ほんとうは、
「ありのままの相手」を、
ただ、見て、感じるということなんだけど、
マインド(思考)は、なにかしら、決めつけたいのね。
それが、「枠」をつくってしまうのね。




そして、それはマインド(思考)がある限りは、
ある程度は仕方のないことなの。
マインド(思考)って、集合的なものだから、
その影響を逃れることはできないのね。
ただ、それに気づいているしかできないの。




ある程度は仕方ないとしても、
そのゲームに巻き込まれずに、
「ほんとうの自分」を発見していくためにはね、
相手と離れたら、もう一度、
自分自身の内側をちゃんと確認することなの。
ハートから心地よさを感じていない時には、
まずはゆったりとリラックスして、
自分のハート、内側に向かって、
「これって、ほんと?」って自分にちゃんと聞いてあげるの。




そして、たとえば、
「そんなふうに思っていないのに、
 うっかり言っちゃった感じだな」とか、
「ああいう態度をするつもりなかったのに、
 なんとなく、そんな態度をしちゃったな」とか、
「なんだか、これって、わたしらしくない感じ」とか、
そういう感じがあったなら、
つまり、幸せで心地よい感じじゃないものがあったなら、
それをちゃんと自分に教えてあげてね。

 「これ、違うよ。わたしのほんとうじゃないよ」って。




わたしたちはたくさんの人の間で生きているから、
いろんな人と関わりあっていて、
自分だけでなりたっていることはひとつもないのね。
たくさんの影響を受けているし、
たくさんの考えも自分の中に流れ込んでくる。




だからこそ、いつも自分の内側の状態を確認して、
「ほんとはどんなかな?」って感じてあげることが
とっても大切なのね。




ハートはセンサーになっていて、
あなたにとっての真実がわかるのは、
あなたのハートだけなの。
だから、いつも、あなたのハートのセンサーに敏感になって、
ハートのセンサーが心地よい自分、
心地よい態度、心地よい発言を選んでいってね。




夜、寝る前に、ちょっと確認してみる時間を
つくってみるといいかもしれない。
「今日のわたしの態度や発言は、心地よかったかな?
 それは、ハートからくる態度や発言だったかな?」って。




わたしたちは、自分で思っているよりも、
ずっと、ずっと、大きい存在なのね。
だから、自分自身を「枠」にはめたり、
人につくられた「枠」に入ったりしないように、
気をつけてあげてね。
それがわかるのは、ハートだけなの。




いつもいつも、それをちゃんと確認してあげているとね、
だんだんと、相手が自分につくる「枠」、
自分が自分につくる「枠」からはずれてきて、
「ほんとうの自分」が、発見されて、確認しやすくなるのね。




まどかは、人と会っている時も、なにかしている時も、
できるだけいつも、ハートの感覚を感じているの。
感じようとすればするほど、
はっきりといまの状態がわかってくるし、
なにか違うと感じても、修正が早くできるから、
できるだけいつも、ハートの中を感じていてあげてね。




ハートの中に「ほんとうのあなた」がいるから。





みんながいつも幸せでありますように。



最後まで読んでくださって、ありがとうございました。




                   まどか with LOVEドキドキ


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