<ж40ж 焼物の名産地                               おまけ Vol 29>

ж 9 ж 急行「東海2号」-昭和50年(2)

 投稿日時 2010/12/26(日) 午前 7:36  書庫 続、時刻表昭和史  カテゴリー 鉄道、列車
 


 その話を言い出したのは誰だかわからない。経緯も覚えていない。入学後1ヶ月。クラス担任引率のもと、数名で静岡県の登呂遺跡へ見学に行く事になった。覚えていないが、歴史史跡と鉄道の話に私が加担していないはずはない。なおかつ私は以前訪れた事がありその辺からも私と担任教師との計画であったと思われる。
 ルートは溝の口-大井町-品川-静岡。
 一度わざわざ品川へ出るのは目的列車の急行「東海2号」が品川始発であったからだ。5月連休中の事なので始発から乗らなければ座れないのではないかと危惧したからである。
 計画段階で私はこの品川発が気に入らなかった事は覚えている。東海道本線の列車であるならば当然東京始発であるべきだと。だから利用するのは「東海1号」にしようと主張した。
 しかし、「東海1号」の東京発車時刻は7:15。すると集合時間は6時前になってしまう。この時間では駅までのバスは無い。男子は魚釣りで早暁の自転車経験もあり不可能ではないが女子は無理だ。ならばその後の列車なら、とも言った。30分毎に出る急行は伊豆方面ばかりなので熱海で普通列車に乗り換えとなるがそれでも良いと思っていた。つまらぬ事にこだわった。次の「東海」は午後で静岡に着くのは夕方になってしまうのでさすがに問題外。往路は「東海2号」と決まった。
 溝口駅集合。男子はパンタロンにテンガロンハットとはやりの格好。女子は小奇麗に着飾っていて小学校の頃とは全く印象が違った。
 大井町で乗り換えて品川へ。すでに停まっていた列車は思いの外空いていた。それでも後ろへと進んでいくと次第に車内はガラガラになり、無人であった車両に陣取った。その後ろには御殿場行きの「ごてんば2号」が連結されている。時刻表の列車編成ご案内に「東海・ごてんば」の列車編成は記載されておらず、品川に着くまで「東海」と「ごてんば」のどちらが前かは判らなかった。
 品川を出ると横浜、大船に停車。次の停車は国府津だ。かつての東海道本線の要衝ではあるが急行で停まるのは「東海」だけ。「伊豆」(伊東・伊豆急下田行き)「おくいず」(修善寺行き)は共に停車しない。「ごてんば」を切り離す為だけの停車だ。
 東京~熱海間の急行停車駅は列車、時刻によって変わりはあるが、全ての急行が停まる駅は横浜・大船・小田原・湯河原の4駅だけで、(1978年時刻表より。1974年には大船に停まらない「伊豆」もあった。)特急「あまぎ」にいたっては横浜・熱海のみ。小田急利用者は乗せないぞ、と小田原を無視。新幹線利用者も拒否した熱海通過時代もあった。
 国府津から最後尾となったその車両に途中から乗ってくる客は無く貸切状態で列車は湘南を下って行った。快晴の5月初旬。気温は高めであったが窓からは爽やかな風が吹き込んでいた。
 いや、吹き込むではなく、吹きまくるであった。なにしろ貸切なので座っていたボックス以外の窓も開けてしまい、車内を風がビュービュー吹きぬけていた。特に上り列車とすれ違う時はすさまじく、爆風の様な風に襲われる。そんなすれ違う列車の中に時折ブルー1色のものが混ざる。ブルートレインだ。電車に比べて足の遅い寝台列車は通勤時間帯を避けて設定されている。よって、品川を9時過ぎに出ると続々と上ってくる寝ぼけ眼の列車とすれ違う事となる。
 小田原を過ぎれば列車は崖の上に出る。左眼下は相模湾。右眼上は青々と茂るミカン山だ。その急斜面に柵のような物が続いている。ミカン専用の農業用小型モノレールで、以前この辺りにミカン狩りで訪れた時に動いている姿を見た事がある。道路沿いにあった店から案内されて獣道の様な道を登り遮断機も何もない東海道本線の踏み切りもどきを渡ったその先の山の上でガーガーと音をたていた。真鶴半島の最先端にもそれがあった。そこのはミカンではなく崖下の売店へ商品を運ぶ為に設置されているもので、間近に停まっている姿を見る事が出来た。これに乗せてくれれば急な坂を上り下りしないですむと思ったが、細いレールの上に乗っているそれは人が乗るにはちょっと心細いような倒れないのが不思議な代物であった。
 熱海はこの列車での最大の楽しみであった。もちろん温泉にはまだ全く興味は無く、その先にワクワクが待っていたのである。
 それは丹那トンネル。詳しい事はさっぱりだったが、多くの犠牲者を出した難工事であったことは何かで読んで知っていた。そして一番の魅力は、くぐり抜けるのに8分くらいかかる、という国鉄でも5本の指に入るその長さであった。
 実は丹那トンネルをくぐるのはこれが始めてではない。それがいつの事だったか何の為に通ったのか全く記憶に無い。もしかすると以前の静岡訪問時に通ったのかもしれない。その時の思いは、ずいぶんと長くいつまでも続いて不安になってきた頃ゴーッとブレーキがかかりこのまま抜ける事無くトンネルの中で停まってしまうのかと引きずっていた不安が最高潮に達した時パッと外に出てすぐ駅に着きほっとした、というものであった。それからいくらでもない月日の流れはそのトンネルの再訪を楽しみへと変化させていた。
  熱海駅を出発するとすぐにトンネルに入る。つたない知識で
「このトンネルは長いぞ。8分かかるぞ」と廻りの友人に吹聴した。
 ところがそのトンネルはあっという間に終わってしまった。窓外にはビル群が見える。隣町に着いてしまったのか?小さな駅を通りすぎた。
 1人はしゃいでいた自分に少々ばつが悪くなり窓から顔を出すと次のトンネルが目前に迫っていた。入り口には「丹那随道」と書かれている。
 壁に当たりそうに思えたので半分だけ窓から顔を出すとずっと先まで壁面を照らす車内の明かりがあるばかりで出口は見えない。時折前の方でその壁面がバシッと青く光る。パンタグラフのスパークだ。湧水の多いトンネルなのでしばしば水滴が当たる。ビシッと痛いほどの粒であったり、霧状であったり。もっとも、当時使用されていた急行列車は全ての車両に便所と洗面所を設けるというポリシーの元に作られたものであって、まだその処理装置は一部の車両に付いていただけなので、当たった全てが湧水とは限らない。
 楽しみにしていたせいか、思いの外あっさりと丹那トンネルを抜けてしまった。その余韻と拍子抜け感が感覚を狂わせたのであろうか。列車は間もなく三島駅に着いた。函南通過は気づかなかった。よってしばらくの間私は、熱海を出てすぐの駅が函南、丹那トンネルは函南~三島間にあると勘違いをする事となった。時刻表の地図では伊東線は熱海からすぐに別れてしまい、来宮駅が東海道本線と接しているとは判らない。
 開け放った窓を閉めたくなるくらいの異臭が入り込んで来ると吉原。田子の浦公害を実感させられる。
 その臭いが薄れてきて、いつもは丹沢の上にその嶺だけを覗かせている富士山が覆い被さる様に見えると富士。
 富士川の長い鉄橋を渡って油井。線路脇に防波堤のコンクリートが続いているがその役目は自宅近くから続く東名高速道路が担っている。
 海から離れ左手に日本平の山が見えてくると終点静岡。あっという間の3時間であった。
 駅前からバスに乗る。この辺りもかなりおぼろげな記憶になるが、駅北口から出たバスは駅西にあった陸橋に登って東海道本線を渡り、新幹線に突き当たるとカクンと曲がって陸橋を降りた。陸橋その物が新幹線で断ち切られた様な形になっていたのである。
 静岡駅から約15分。登呂遺跡着。バス停は少し離れた所。
 すでに学校で習っていてその様子は写真で見ているがやはり実物を見るのはいいな、と思う子供は少なかったであろう。事実、その目的で来たであろう復元竪穴式住居や水田跡、資料館などの見学はさらりと終了。昼食は列車内で持参の弁当を食べたような気がする。
 まだ時間が早いので徒歩で海へ。約2キロくらいだ。しばし波とたわむれた後バスで静岡駅へ。そして新幹線で帰路に。「こだま」は30分毎であったが、連休中は臨時が運転され本数はその倍になっていた。よって帰りの列車の時刻は大まかな予定しか立てていなかった。
 「こだま」は静岡から新横浜まで約1時間。所要時間は「東海」の3分の1であったが乗客数は反比例して3倍どころではなくかなりの入り。バラバラにならなければ座れなかった。途中で「ひかり」に抜かれる。「ひかり」は名古屋から東京までノンストップ。静岡や新横浜に停まるものはなかった。


この年、国鉄財政再建問題検討委員会と新国鉄経営計画推進委員会が発足し、
国鉄諮間委員会から赤字ローカル線の地方移管もしくは廃止などの国鉄再建提案が出され、
藤井国鉄総裁からは国鉄再建計画が提された。 


--第40号(平成20年10月5日)--

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コメント(4)

 

 

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登呂遺跡。
鉄道も歴史も大好きだけど、ここは行ったことがありません(自慢?)
キレイな復元遺跡なんて(そろそろ汚くなったかな?爆)  
2010/12/26(日) 午前 10:06  LUN
 
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LUNさん
当時からさほど立派とは言えないような感じだったとの記憶がありますので、今頃は登呂遺跡遺跡になっているかもしれません。(笑)  
2010/12/27(月) 午後 6:51  NEKOTETU
 
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ずいぶん後の1980年代ですが、東京から草薙にある静岡の野球場へ何度か行ったことがあり、同じような体験をしています。いつも3月だったので、一足先に春を感じられる旅でした。  
2011/1/9(日) 午後 7:26 [ オータ ] 
 
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オータさん、
静岡県内の東海道線でゆったりのんびり季節と風景を楽しむのも過去の話になってしまいましたね。
東京から乗り換え無しのクロスシートが懐かしいです。  
2011/1/10(月) 午後 6:34  NEKOTETU