排斥忌避を緩和したものみの塔協会重役統治体に盲従する平信徒エホバの証人の問題 | ものみの塔で聖書を学んだ元エホバの証人8ネコのブログ

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ものみの塔アンチにもエホバの証人の有様双方に忖度なく思ったことを書き綴る。別途ブログあり。アメブロは適当。

ものみの塔の重役統治体が排斥忌避を緩和すると発表すると各会衆の長老たちが盲従する姿勢を示し、各家庭の不活発になった人たちを来訪し煽ってるかのような対応をしているようです。これこそエホバの証人の根強い問題です。自分で考えず都合が良く立ち回るためにも統治体側は何か失態があれば平信徒側の独断や過失であるとし、逆も然りで平信徒側は統治体が間違えればエホバが裁きことを正されると互いに責任転嫁しているわけです。

七つの教会が黙示録に登場しますが、1900年代からはラオデキアの時代ですが、まさにエホバの証人ものみの塔はこの霊的状態と言えます。熱くもなく冷たくもない互いに教祖と信者が馴れ合いして利用しあっているだけの共依存状態です。排斥忌避というか食事も一緒に取るなとする聖句箇所も文脈を読めばコリント会衆では義理の父母との不道徳重婚、恐喝詐欺問題が生じて訴訟しあっているような未信者の有様より酷いわけですから、そこに同調するなの意味合いで「食事をするな、避けろ」と述べているのみで、それは各自が良心に則って判断すればよいだけです。

 

ここでも何やら「挨拶だけしたらいいの?何分まで話せるの?何単語まで?」とか何から何まで組織、統治体の判断を仰ごうとする有様のエホバの証人がいると聞きます。しかも長老たちも勝手に不活発になった人を訪問してくるキャンペーンが始まっているようです。しかしものみの塔に戻らなくとも神の是認は得られますので、わざわざ組織崇拝とか盲従を強制し当たり前のことすら思考できない長老のレベルに合わせる必要はないでしょう。

終わりは確かに聖書的にかなり近い時期に来ています。イエスの死と復活の二千年後に再臨があるわけなので2028年から2033年ごろをかなり注視しておく必要があり、「歴史に実は千年勝手に付けたされてました」的な陰謀論が事実でない限り後下手すれば数年と言うことになります。そして黙示録の解釈も歴史主義が正解で過去、未来主義だと再臨の時期を見誤ることになりますし、エホバの証人ものみの塔の赤い啓示の書の説明の本なんか読んでも全く無意味で寧ろ時間泥棒案件になります。

 

エホバの証人ものみの塔組織のこと等ほっておいて今を誠実に正直に神に感謝して生きて言葉で罪を犯さないように周りの人に親切にして生きることが大切と思います。それをするだけでエホバの証人平信徒よりもはるかに神の前に価値ある聖書的な生き方が出来ていることになります。

 

統治体と平信徒はどちらも共依存状態で同じほど悪質かもしかすると統治体に責任転嫁する気満々な平信徒の方が悪いかもしれません。マナセ王は悔い改め赦されましたがそれを放任していた国民は許されず罰を受けましたからね。考えてみれば統治体は豚とか散々言われたい放題ですが、平信徒は表に出ないで説明責任も逃れつつ最後の審判の日に「蛇です女です統治体が騙してきたのです」と言い逃れするつもりでしょうからね。しかしそれは神に通用しないでしょう。ちょうど反聖書主義者がものみの塔の「滅びは無になるだけ復活無」とか言われて騙されそう思い込んで周りを不義に誘い込むために大言壮語して承認欲求自己顕示欲嫉妬殺意憎悪むき出しにしても裁かれないと高を括っても現実的に裁かれるためだけの復活をして神に言い開きをすることになるのと同じです。

 

再臨や裁きの時期はエホバの証人やアンチjw反聖書主義の双方を見事に裏切り急に盗人のように襲い掛かる可能性があります。エホバの証人で長老として活動している人たちは「楽園に入るために統治体に盲従する」ある意味偶像崇拝者の可能性もあるためやはり大半が滅びることになるかもしれません。自発的に親切心を示すために不活発者の訪問をしているのではなくただ言われたからそうしているだけでそもそもそのような思考で生きているとやはり知能、人間性双方の面でいつしか変質して堕落してしまうのでしょう。

結果として人を心から思いやったり偽善の無い愛情表現をする訳でもなくただ言われたままに動くだけのラオデキア生ぬるい状態になり普通の未信者さんよりイエスから気持ち悪がられる体質になっているわけです。もちろん全員がダメで攻撃しろと言っているわけではありませんが。長老陣はやはり人格的に破綻しているケースが多いのは組織により盲従するよう思考を変質させていくからだと思います。私は統治体より会衆の長老にこそマナセ王を支持して責任転嫁できると高を括っていたイスラエル国民と同じく質の悪い人たちが多いのではないかと思います。