年単位の準備段階を経て、

ようやく出雲のお家が工事に入りました。


ようやくここまで辿り着けた感満載。

人生あらよっとと180度変えるって大変だなーなんて呑気に思ってます。


計画始まってからの道のりの険しさたるや、

山あり谷ありドタバタの連続。笑

ま、人生そうだからこそ飽きずに過ごせて

懲りずに生きられる強さが育つものだろう。


うん。楽しい。


この2年。


家買うぞー!

よし明日買うための手付金…えっ!?

あの家じゃゲストハウスできへん!?

あかんあかん!家なくなった!!

どーすんのー!?


…ってなったら次の日には

買うはずだった家より良い家が

地元の方の紹介で買えることになったり。


再構築補助金申請に銀行か税理士か

商工会のバックアップいるってー!

出雲にそんな伝手などないやーん!

どーすんのー!?


…ってなった数日後には

地元の方から商工会繋いでもらって

事業起こしたら入会しますということで

バックアップしてもらえることになったり。


ぎゃー!不採択くらったー!!

やばー!次で通さなきゃやばーい!

どーすんのー!?


…ってなったら次の申請通す為に

商工会の方が事業計画書の見直しなど

様々なサポートをきめ細やかにしてくださり

何とか2回目で採択をいただけたり。


てか、融資どこから受けるのー!

この辺の銀行使ってないからやばーい!

どーすんのー!?


…ってなってる話を聞き、後日大工さんが紹介してくださった銀行の方が、

「あれ?前に一度お会いしたことありましたね!」という方でびっくり。

その後、何とか融資をしていただける運びになったり。


…と、まぁ、問題勃発→地元の方の手助け

→何とかなるのおかげさまの繰り返し。


出雲の皆様が本当に何から何まで

色々とサポートしてくださり、

ここまで辿り着きました。


出雲の皆様が心優しい方ばかりで

毎度毎度感謝しかないです。

出雲に行って過ごして何と無くでもイヤな人に

1人も会ったことがないのってすごいと思う。


みんな、心根の優しい人達ばかりで

どうやったらこんな風にあたたかい心の人たちばかりが育つのだろうと感動しっぱなしです。


私はただただ出雲大社に行っていつも通りに祈りを捧げてた……だけだったな、うん、間違いない。


相方さん&皆様、それを百も承知なところが素敵。

そして私に現実的な何かができるとか多分誰も期待してないところがまた素敵。


出雲でも認知されてるできない奴感、万歳🙌


君、何もしとらんがな!!


っていう明確な状態を怒らずニコニコとしながら

「あなたは大国主様に祈っといて」と言い放てる相方さんの心の広さに五体投地で感謝。


「あの人(私)だけ出雲に来ても困るから。誰が面倒見るの?」(出雲でもこの扱い素敵)

「…俺」(受け入れるんか)

「そう」(よく言えました感)の説得から

私の面倒を見るを一番のお役目としてあてがわれた相方さん。

この人多分菩薩の化身か何かに変化してきてんじゃないかと最近疑ってる。笑


そんなこんなで工事開始。


梁が太い、昔のお家だなぁ。



柱と梁だけの家から



セメントとか入ったり



床を張る為の作業入ったり



サッシやら壁らしきものができてたり、

瓦から軽い屋根に変わったり、

進捗を相方さんが写真を送ってくれます。


壁の色とかも決めてあります。


出来上がりは楽しみだけど

ローン支払い、激こわーい!笑い泣き


もう、なるようになる精神で頑張る。


多分、なんとかなるさ、

今までもなんとかなってきたから生きてんだ。


来年の春には神楽荘という名前のゲストハウスをオープンする予定で頑張っています。


ススメ ミライダ。



そんな私ですが、菩薩化してきた相方さんを笑顔にする為にたまにこんな風になってます。







サメー!!🦈






櫻井敦司さんがいなくなってしまった秋。


ずーっと大好きで

ずーっと大ファンで

これからもずーっとこのまま。


悲しいな。


35年間どんな時も聴いてきた歌声は

相変わらずここに在る。


櫻井さんの歌はなくならないけど

もう新しい歌声は聴けないんだな。


あっちゃん本人も突然過ぎてビックリだろうな。


亡くなったあとも


「みんなに心配かけさせてしまったな。

 これからのこと迷惑かけてしまうな。」


そんな風に気にかけていそうな優しい人。


どんな歌にも批判の言葉はなく

生と死、愛を時に激しく、

時に優しく歌う人だった。


すべてが美しい人だったな。


何もかもが綺麗な人だったな。


差し出す言葉の前に優しさを感じさせてくれる

そんな歌や言葉を紡ぐ人だったな。


なんて素敵な人に出会えた人生だろう。

なんて素敵な時を与えてくれた人だろう。


嬉しい時、悲しい時、苦しい時、切ない時、

愛に飢えてた時、死にそうだった時、

このまま死んでたまるかと肚に決めた時、

櫻井敦司さんの歌声が私を生かしてくれた。


本当に大好き。

たまらないんですよ。


何もかもが私の理想のままで。


名もなき花の一輪一輪を愛おしむように

私たちファンを愛してくれた。


今年LIVEに行って最後に聞いた

「名も無きわたし」


なんかまるで今このまんまを映し出す歌だなって

聴きながら涙が溢れてくる。


あっちゃん、最後まで

そこに在ろうとしてくれて

脳幹出血してんのに

最後まで歌ってくれて。


悔しかっただろうな、誰より。


あっちゃん、ありがとうございます。


私はあなたの歌に出会えて幸せです。

あなたの存在する時代のこの国に生まれてきて

あなたの紡ぐ言葉や歌やステージを

この目で、耳で、肌で感じられたことが

本当に本当に宝物です。


きっとあなたの歌はこれからも

またどんな時も私の心に寄り添い

この心を励まし、労り、発奮させ、

包み込んでくれるままです。


私はこの47年の人生の中の

35年ずっとそうして生きてきました。

どんな時もあなたの歌があったから

私は生きてこれたと言い切れるんです。


そんなファンが一人、ここにいたんですよ。


そんなファンがきっと

世界にたくさんいますよ。


そこから見えていたらいいな。


あっちゃんからしたら名前も存在も知らない

大勢のうちの一人のファンなんだけど

そんなファンをあなたは大切にしてくれて

「僕たちの宝です」って私たちに

その両手を広げて伝えてくれてきた。


神戸が震災に遭い、その神戸にきてくれた時


「がんばったね、神戸」


そう言ってくれたこと、うれしかったなぁ。


いろんなことがぶわぁぁって溢れて

涙が止まらなくなって

あっちゃんが見えなくなっちゃったなぁ。


もういないんだなぁ。


悔しいなぁ、もっと聴きたかったな、

あっちゃんが歌うこれから紡がれる優しい歌。


私が死ぬまでこの胸の中に在るから

この命はなかなか失くせなくなったな。


死ぬのも怖くなくなったな。

逝ったらあっちゃんいるんだなと思えて。


幸せだなぁ、本当に。

こんな風に泣けるほど

大好きなアーティストに出会えたなんて。


泣きひしがれる私を心配して

いろんな形でそばにいてくれた心友たち。

そんな母を心配して

抱きしめて慰めてくれた息子。

そんな私を心配して

思いをたくさん届けてくれた人達。


全部あっちゃんが

私の人生に与えてくれた

大きな繋がりの種が花咲いたもの。


悲しいだけじゃない

そんな時間にしてくれたから

私、大丈夫。


支えてくれた皆様、ありがとうございます。


私、この数日でものすごい勢いで

優しさに触れて救われました。


気になってたけどなんで声かけていいかわからなくてって。


私もそういう質だから、よくわかるの。

気になってるけどなんて言葉をかけていいかわからなさ過ぎて、ただ見守るしかできないって、

わかるから、そんな優しさも伝わってきてるから

本当にありがとうございます。




さぁ、これから天翔けるように生きよう。


青い空をどこまでもいこう。


魂 震わせ。



悲しくはない。


涙がボロボロボロ 溢れるけど。


青い空を どこまでも行こう。


私たちは自由だ。



こんな時もあっちゃんの歌の言葉の力借りて

私はやっぱり前を向いて泣いて

この足で立って歩いていくんだから、

もう、やるせない自分に身悶え。


けどこうやって生きてきたから

それもまた私。


今日を生きよう。

私のために、愛のために、君のために。


すべてのために祈りを込めて。








久しぶりすぎて文字を並べることに

色々と不器用になっている今この瞬間。


生きておりますし、生かされております。

出雲のゲストハウス「神楽荘」の計画も

出雲の皆様や相方の温かいご協力のお陰様で

来年2月には建物も完成して完璧移住です。


とりあえず相方には先に行って住んどいてって

今年5月から住んでもらってますけども。

私は半出雲、半神戸の生活です。


本当に出雲の皆様には何から何まで

優しく温かく受け入れていただき、

ご協力もご支援もご指導もいただき、

今まで以上に出雲が大好きとなり、

そして出雲の皆様が大好きになっています。


神戸の家族、全ての友人、関わってくださる皆様も、

この相変わらずでどないしょうもない私に

相変わらず優しく接して色々と与えてくださって

ますます大好きになっております。


幸せです。ありがとう。


コロナやら、戦争やら、物価高やら、インボイスやら、世間はあれこれありすぎですが、

風も涼やかに秋めいて、空の雲は高くなり秋の空となり、金木犀が香り始め、紫蘇の実は美味しく、自然は絶え間なく自然の営みを見せてくれる。


その自然の姿の中にこそ、命があるものが生きることの本質があるような気がする。


足るを知り、生み出した足らぬを減らせば

幸せなんてすぐ目の前にあるというのに

この時代の人間というのは強欲なもんだと

そよぐ風に葉を揺らす長き時を生きる樹々に

揶揄われている様な気さえもする。


自然はただただ偉大だな。


私が「私」としてここに在るのは

私が「私」としてここに在るということを知る

誰かがいてくれるからでしかない。


ただ私の命がここに在るというだけでは

そもそも「私」は存在していないのだ。


だから目の前に存在する人というのは

誰しもにとっても、どんな性質の人であっても、

「私」という存在をあらしめてくれる

ありがたい存在だなぁと思うばかりです。


「私」のことを嫌う人がいてくれるから

「私」はここに嫌なやつとして存在出来るし、

「私」のことを愛してくれる人がいるから

「私」はここに愛される者として存在出来る。


私は人に嫌われるのは別に嫌ではありません。

なので私自身は嫌われても悲しくはなりません。

「そういう存在として成り立たせてくれるのか」と感謝はします。


思い通りに打ちのめし甲斐のないやつで本当にごめんなさい。


その誰かの嫌いという感情に振り回されて生きられるほど、私は繊細に生きることはできない質のようなので諦めていただければ幸いです。


その分、愛してくださる方の優しさや温かさはものすごく心に響きます。

じんわりじんわり心に響いて、その想いのもたらす振動がじんわりじんわり心を温めてくれて、

そしてその方が今ここのこの世に存在して出会ってくれたという喜びに心が躍ります。


この目の前に存在してくださる方は

実は神様か菩薩様の化身ではないかと思うくらい

その存在そのものがありがたいと思います。


血のつながりがあるないに関わらず、

存在のつながりがあるという関わりがある。


そのつながりは無限であり、果てなどなく、

この人のその向こう側の人、そしてその向こう側にある人…というふうに、

つながりを思うとすべての存在に感謝が生まれる。


関わりがなくとも、なくなろうとも、

微かにでもどこかでつながりがあるとしたら、

「何があったか」や「どう思っているか」などちっぽけなものでしかなく、

今どこかで存在をあらしめる存在として互いがどこかで成り立たせあっている存在であることが、

互いの今を生み出しているということになるからありがたいものです。


直に関わり合い続けるも、

直の関わりが途絶えるも、

互いがそうでなければそれは成り立たない。


どちらかだけの在り方では

それは成り立たないのだから。


血のつながった家族と、血をつなげあっていく者、

そして血のつながらない者同士の、

「存在する」という共通点として得られる、

大きな一つの家族のような団体、

世界とはこの地球に生きている私たちすべてが所属する所。


生きてるだけで苦であり、諸々あれこれつらいのはつらいからできるだけお互い労わりあい、

生きることの苦から互いを救い合えるように生きていけたら奪い合うことなど必要なくなりますのにね。


物質社会が行き着く先がどんなものであるか、

その為に本質的なものが見えなくなってるというならば

物質社会のとどのつまりを否応なしに見せられて、

人として豊かに生きることの本質を取り戻させられるしかないのか…と思ったり。


そんな遠くない未来にそうなるのかもしれませんがね。

どうなるかはなってみなきゃわからんのが実際のところですし。


人の根っこは在り方に繋がる。

特別な才能も能力もいらない。

どんな存在も凹凸があり、得て不得手があり、

ちゃんと支え合わねば生きていけない仕組みになっている。


そのことがどれほどありがたいことなのかということ。


何者にもならなくとも、そこにいて誰かにその存在を知ってもらえていたなら、

その人はその人の持つ何かを誰かに手渡している存在であり、

その人を存在たらしめる存在としてそこに在るのだからそれだけで素晴らしいこと。


私はそもそもが無であるなぁと。


その無を無としても、在るとしてもあらしめてくれるのは、

そこに存在してくれているすべての存在だなということです。


ありがとう。


終わり。




ハローヾ(@^▽^@)ノ愛しき皆様ラブラブ
女神の知砂ですドキドキ

女の子は女神していますか?
男の子はスーパーヒーローしていますか?

しぶとく生きております。

あ〜、さてさて。

取り留めなく書きますけど。

ブログも書く事なく過ごしておりまして
そろそろ忘れ去られていいくらいになったので
そろそろ近頃起きた身の回りの変化でも書こうかなと。

そんなに驚かせる事ではないんですが何事もなければ来年冬か再来年春に移住する事となりました。

やっと、神々様からお許しが出ました。
神戸での学びはここまでというラインにたどり着いたそうです。

神棚の下で本気で祈ったら二日後に話がきて
その二日後には住む家も用意して頂ける事となり
あれよあれよという間にそうなりました。

そうなりたいと祈っておきながら
あまりの展開の速さに呆然とする私。

何はともあれ。

我が身や相方や移住先に何事もなければ
夏の終わり頃から本格的に出雲移住に向けて、
その家の片付けやリフォームをどうするか…、
さまざまな打ち合わせや行動をあれこれ…と
ゴソゴソと始めていく感じです。

息子が高三で受験を今年度に控えてますから、
そういうのがある程度落ち着かないといかんし、
大学か何かどこかに進学したとしても、
やりたい事やると社会に出たとしても、
とにかくある程度生活が落ち着かないと、
安心して出雲には移住できません。

何気に母でもあるので、どっちも大事。

そして出雲行ったら現実的に出雲に来られる皆様と関われるお仕事したいというのと、
社会的存在弱者に対しての「駆け込み寺」的な事はできないかという私のもう一つの夢を叶えるべく、
「オセルプロジェクト」というプロジェクトを出雲にてできる形で並行して行えたらと考えています。

なので。

駆け込み寺機能付きゲストハウスでもしようと思っています。

なんやそれ??でしょうけども。

そこもまた案を色々練っていかねばいけないから
まだまだやる事はいーーっぱいあって。

1日が24時間では足りない。

出雲移住やらゲストハウスやらオセルプロジェクトやらの為の知恵とか知識とか色々必要です。
その為にまた度厚かましくお力添えをお願いする事もあるかと思います。

その時はどうぞお力添えをいただけるのならばよろしくお願いします。

出雲に行くと目に見えぬ幽世とも今まで以上に深く関わる事になるかと思います。

生きている人、亡くなった人、生死問わず大切な御魂様たち、ご加護を与えてくださる御神仏様、その使いとして在る存在たち、さまざま必要な点と点を結んでいく「みたまむすび」です。

2年前の神在祭の夜神楽にて頂いた言葉をようやく我が身をもって確かめながら学んでいく事になるようで。

私はまだまだ未熟なので出雲に住んだら、
また超スパルタなお導きにて鍛えていただけるそうでして…


「出雲に来られたら3年ほど
俗世間から離されると思いますよ」

「やっぱり来る事になりますかね」

「なります」

「抗えない…」


結論。
ミジンコみたいな私が神様の決めた事に抗える筈もなし。

覚悟するしかない。

いや、俗世間から離されたらゲストハウスどうなるの??

何とかなるのか、するのかはわからないけれど、
何せ心強い人間が一人ついて行ってくれるからその辺はお任せしよう(←鬼畜)

あ、話を戻しますけど。

出雲に行くまでがまた一山もふた山も…ははは。

どんな時も「在る」ということで背を正してくださる神様の尊さが好きでたまりません。

それでも、人はどうしても穢れるんですけどね。

だから、あれこれ穢れを祓うことを真摯に繰り返すしかないし、なるべく穢れないような心の在り方で日々在れるようにしなければいけない。

御神仏に祈りを捧げたからこそ得られたと自分が思うご加護や御恩があるならば、
そのご加護や御恩を何か現世の為に出来ることあらば形にして分かち合い、
またそのように生きる事を体現して生きている姿を見せていく事もしたい。

それが現実社会の中で私なりに与えられたつぼみを抱き咲かせ実を成し祈りを捧げるという日々がどんなものなのか、
その中で大切なものはどんなものなのかと示していく一つの事例になるのかしらと最近思います。

祝詞奏上を毎朝毎夕始めてからほぼ丸3年。

まだまだです。

ここから、これから。

兎にも角にも。


「出雲に住みたい‼︎」

そう言っていた願いは叶えられそうです。

女神、第二章の幕開けのために
これから苦手な事いっぱいがんばります。

相方が。


では。

今日もあなたの笑顔と涙がとても綺麗な日でありますようにキラキラ


またね〜ドキドキ

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ハローヾ(@^▽^@)ノ愛しき皆様ラブラブ
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…って書き出しも懐かしく思う。

あ〜、さてさて。


日々がそれなりにいそがしくて、ブログを書くまでに至らないままここまで。

いろんな思いや状況の中で自分なりにじっくり考えて過ごしてました。

その中で良くも悪くも離れていった人もいるし、その選択に対してどうこう思うことはない。
またご縁があれば近づくだろうし、なければそれぞれの場で生きるだろうし。

それがいい。

また逆に近しくなった人もいて、それはそれでとても幸せです。
今まで何か理由があって離れてた訳ではないけれど、それぞれの都合が合わないとかで、
何となーく疎遠になるとか、それもまたあることだし、また近しくなったならそれもまた素敵なこと。

本当にそれぞれの考えや感覚があるからそれでいいのかなと思います。

その先でそれぞれが心地よく幸せであるならば、それが何よりだなと思うし、
私がその人生の中で不要になったなら、不要なままに切り捨てられても仕方のないことだし。

それをどうこう思うことはないです。

またいつかどこかでお会いすることがあれば笑顔で会釈でもできればいいですねってくらいで、
それぞれの選択に於いて今があるのだから、その選択をどうこう思って何かをするとかはありません。

さようならば、さようでありますな…です。

今年に入って何かが大きく変わったということはないこの数ヶ月ですが、
色々とあったのはあって、その都度「まさかのっ!?」って驚きと、
「このタイミングで!?」というある意味素晴らしく恵まれたタイミングでそれが起きたりと、
いくつか「救われたな」と思うこともありました。

あり得ない展開が連鎖して起こって、何事もなく無事にことが済んだとか。

神様に本当に「ありがとうございます」な展開に人間の私はその日その日で振り回されてもいました。

その中で忙しさやアレコレにかまけて不義理をしてしまったこともあって、連絡一つできずにいたグダグダな自分を振り返り反省したりもしています。

ようやく、何とか、心も平常時に戻って、文字を連ねることもできるようになったなってのが本音です。

見た目そんな風に私の心がなっているとかわからない様に過ごしてるんですけど、
それは私が日常的に自分の不安定さに周りを巻き込みたくないからというだけのことです。

そんなわかりにくい私を理解してそばで支えてくれている仲間たちには感謝しかありません。

そんな感じで落ち着きを感じ始めた今日、お誕生日でして。
落ち着きを感じ始めたと言いつつ、何かものすごい勢いで何かが大きく変わり始めてる感覚が遠くの方にあって。

あぁ、私のこの歳の一年はどうなるんだろう…って恐怖とほんの少しのワクワク感があります。

総入れ替わりが起きるのか、それともこのままゆっくり変化をするのかはわかりませんが、
今年の初めくらいからこのご時世に、あちこち行かされている事を思えば何か動くんだろうなと。

そんな私は今月末に出雲にまた足を運ぶのですが、出雲で出来たご縁と地元でできたご縁を重なり合わす機会も持てる運びになっていたりして、
それはそれで新しく広がっていくご縁としてそこに現れるのなら素晴らしい事だと思います。

結びがあれば、解きもある。
その繰り返しがあるからこそ、生まれる流れやご縁がある。

それは良いや悪いではなく、そういうものなのだから、その人の結びや解きにいちいち理由をつけてアレコレいうことも、思うこともなくていいなとこの歳になれば思います。

私の中で「これはお知らせだな」というわかりやすいお知らせの循環が毎日ありまして。

それは祝詞奏上をしている時に「あぁ、次はこのご縁が解かれていくのですか」と思うお知らせと
「そしてこのご縁と結ばれるのですか」というお知らせなのですが、
とある言葉の「その時」に不意に何の前触れもなく浮かんだ「顔」がそれぞれそうなるという運びです。

解きの方は見知った顔となりますが、結びの方は「誰??」ということもあります。

解きの方は「あぁ、さみしいな」と思ったりもしますが、その解きが必要だからどちらかにとって非情であったとて起こることであり、
お伝えすることは叶わなくともこれまでのたくさんの「ありがとうございました」と「色々お世話になりました」と「色々不快な思いをさせた時はごめんなさい」を思い、
結びの方はいつか出会う方なのだろうなと思いながら、その結びがどんな結びとなるのか少しドキドキします。

不思議だなと思うけれど、人一倍そういうことに対して「あぁ…」と思いやすい豆腐メンタルな私が日々重ねる拙い祈りに対しての愛であるのだろうなと勝手に思っています。

「まさかそこのご縁を!?」と血反吐吐きそうになる時はありますが、血反吐はいたとてそうなるのには何かきっと人間から見たら「こういうこと」っていうわかりやすい理由がある。

その理由にのみ自分の正当性や思考を注いでしまったら、その向こうにある人間には計り知れない理由が何かあることには心を向けることができなくなるので、
「目に見えない世界」のことは「目に見えずとも確かにそこに在る」存在に委ねるしかないと思って受け入れて色々感じることにしています。

その中でできることは自分の不甲斐なさや駄目さを「あぁ…」と知って、次に活かすことだなと。

今まで生きてきた時間の倍は生きることはできないでしょうから、残りの時間がどれだけあるのかわからないままに、今を大切にして生きていかなきゃここまで命を繋いできてくれたご先祖様にも申し訳ないことだなと。

ご先祖様にも過去生きていた時の中では様々な事柄が起きて、その時その時沢山のご苦労や困難を乗り越えたり、喜びに満ちた瞬間があったんだろうなと思うと、なんていうか、胸がシクシクしたり、キュンとしたりして、この体の中には結びの連続で繋がっているものが確かにあるんだなと感じます。

生きているっていうのはすごく素晴らしいことだし、
死ぬっていうこともすごく大切なことなんだな…とこ。

私は不老不死とかにはなりたくありませんし、
もしもなったところで幸せかと言われたらきっと「NO!!!」と答えます。

それなりに歳を重ねて年老いて老けていけることは幸せなことであり、それがあるからこそ人として大切なことをその歳で感じられるんだなとか。

いつか私がご先祖と呼ばれる日が来た時に私の名前も顔も誰も子孫が知らない時があるとしたら、
それはとても幸せなことだなと考えています。

そこまで結びと繋がりが脈々と続いているということだから、それは奇跡の連鎖がそこに起きた証でもあるから。

最近、こんなことばっかり1人の時間に考えています。
1人の時間ってほとんど祝詞奏上の時や読経の時、あとはお風呂からおトイレくらいしかないんですけどね。

それ以外何か考えることはないのか、
おい、暇なのか、おい、暇だろう…と言われそうですが…(¯―¯٥)…

手を合わすたびにここまで続いている命ってのを考えるのもまたいいことだなぁと。

何せ生きたまま45歳になれたことをありがたく思います。

そして44歳が終わるまでに出会った皆様が今日もこれからもどうか幸せであります様にと願います。

そしてこれから紡いでいけるご縁や、出会うご縁、解きを得るご縁、そのすべてに感謝を持って生きていこうと思います。

なかなか私から連絡とかすることはどれだけ仲良しの間柄でも性格的にどうしても無い方が多くなるのが私の欠点ですが、
それもおいおい無理のない範囲で直して生きていけよ、お前ほんまあかんぞ…と思っております。

その辺の苦情とか散々言われている私はその都度素直に受け入れてごめんなさいを重ね倒して過ごしたり、
「最近連絡してなかったから連絡し難いなー」とか思わずいつでも不意に「生きてるか?」と連絡くだされば「生きてまーす!」とお返事しております。

あぁ、45歳。
まだまだ、ほんま、未熟者。

いい歳なのに。

お恥ずかしい。。。

どんな日々になるかはわかりませんし、前みたいにこまめに文字を書くということもできそうにありませんが、
思い出した様にポロッと書いて、また「消えたな」と言われるくらいひっそり生きていきます。

最近よく言われる言葉は「もはや老後か」です。

ありがとうございます、そんな気もします。

最後に、

まずは、お父さんお母さん。
私に命を与えてくれて本当にありがとうございます。

今日を迎えられたこと、そして今もそこにいてくれることに感謝です。

どんな時もこんな手のかかる上に不思議なことばっかり真顔で言う娘を今この時まで見守り続けて支え続けてくれて本当にありがとう。

2人の娘として生まれてこれた45年前の今日、その日のことを話してくれる事が幸せです。

そして、沢山のお祝いメッセージやプレゼントをわざわざ届けてくれた皆様。

こんなに不義理を重ね続けている私への優しい思いをいつも本当にありがとうございます。

どんな時も付かず離れずそばにいて、何かあれば駆けつけてくれたり、言葉をかけてくれたり、
「そばにいるよ」という思いを与えてくれるその存在にいつも助けられています。

何かお役に立てることがどこにあるかはわかりませんが、いつでもお役に立てることあれば喜んで。

いつもありがとう。

これからもよろしくね。

愛してます。

では、また。


今日もあなたの笑顔と涙がとても綺麗な日でありますようにキラキラ


またね〜ドキドキ

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