どちらも人間、自分とは何ぞやという哲学的なお話です。
【我思う、故に我在り(デカルト)】
自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である。
【人間は考える葦である(パスカル)】
人間は葦のように小さくか弱い存在だが、思考力を持つ。
故に考えて出した答えがその人を表す。
本当は世界は存在しないんじゃないかとか、胡蝶の夢じゃないのか、とか証明しようのない難しい話に対して、何かを思考する存在があれば人・自我と呼んじゃえば良いじゃないって大雑把な話。
で、本題は自分を消したいって話です。
人は考えるからこそ人であり、考えることが存在証明であるならば、逆もまた真なりで考えることをやめられれば人でなくなれると思いました。
考えてみると確かに漫画なんかでも肉体の死後に幽霊になっても同一人物として扱われるし、逆に肉体はあってもモンスターかなんかにされてしまって自我がなければ別物として扱われますもんね。
つまり自分が消えるためには思考の停止もしくは自我の喪失が必要で、肉体がどうなるかはあんまり関係なさそうです。
やっぱり目指すべきは脳死なんでしょうかねぇ。