先日テレビでALSの方の安楽死をとりあげた番組があったそうです。それに連れて自分の望みって何だろうと考えてみました。
一言に自殺といっても様々な方法や形がありますよね。
例えば切腹が分かりやすいですけど罪を犯して誰かに強要される場合、つまり生の強制終了。
はたまた何某かの粗相をして責任を取る形。これは強制と自発の両方。
あとは誰かに何かを訴える為の自発的な自決。
自分の場合はと考えるとどれにも当てはまらないなぁと。
そもそも死は手段の一つに過ぎないのでは?と思い至りました。そこで手段がそれなら目的は?となり色々思慮を巡らせてみました。
目的、望み。それってなんだろうと考えると一番望むものは思考の停止なんですよね。
周りから入ってくる情報や状況、それに対して色々考えなければいけない、あるいは考えてしまう事。最後に自分から周りへの出力。
この全てが辛い、止めたい。どうやらそれが自分の願望らしいです。
以前病院のカウンセリングで「病院で何もわからなくなる薬を投与されて拘束衣を着せられて入院する、それも幸せかも」なんて話したことがあるんですが、結局そういうことらしいです。
であるならば願望を叶えるために必要なのは脳の停止らしいです。生きてるか死んでるかは関係なくなってきました。
とはいえ一般人に突然脳を機能停止させる方法なんてないと思うので現実的には死ぬのが手っ取り早いんでしょうね。
さて、目的と手段がはっきりしたところで具体的な方法が必要になってきました。
前述したように人一人死ぬことは重大な責任が取れてしまったり、強烈なメッセージを送れてしまうことですが、どちらも自分の望むものではありません。
出来るだけ周囲に影響を与えず、ひっそりこっそり元々居なかったように消えてしまうことが理想です。
となると場所に困ります。自宅は事故物件になってしまうので家族に迷惑かかるし後片付けもトラウマもんでしょう。自分は車にかなり手をかけてきたのでどこかの山中の駐車場が適当かなと思いました。
具体的な方法も目的が脳の機能停止なので切腹だとか飛び降りだと確実性にかけます。確実なのは物理的な破壊か酸素の供給停止でしょう。
硬い頭蓋骨の中身まで壊すとなると銃でもなければ無理なわけで、酸欠にするのが妥当でしょうか。
首吊りで血流を止めるか、どこかの動脈を切って失血からの酸欠か、はたまた血中酸素濃度を下げる一酸化炭素中毒か。
首をつるにしろどこか切るにしろ恐怖は並大抵では無いでしょう。そう考えると睡眠薬飲んで練炭自殺ってのはかなりマイルドですね、自分でせーのという瞬間がなくて死ぬその瞬間に意識ありませんし。変な言い方ですけどよくある手法ってよく考えられてるんだなぁと思った次第です。