中学時代 病床で母にカミングアウト | 猫川怜のレイレイ伝説       だって!わたしはわたしなんだもん!  

猫川怜のレイレイ伝説       だって!わたしはわたしなんだもん!  

兵庫県神戸市在住
千葉県大網白里市出身
山羊座のB型

トランスジェンダー女性️‍の体験談や日常生活をエッセイにします。
作家、フリーライター
僧職系司法女子

中学生1年の2学期

体調不良


倦怠感があり食欲もなく、下痢や嘔吐、チョコレートを食べたら蕁麻疹等


そんな症状があり給食も食べれずクラスの友達に自分の給食をあげていたら友人のNからダイエットと勘違いされ「痩せ我慢」とか言われましたが本当に食べれなかったんですよね。

それに剣道はじめたのは当時流行っていた「るろ剣」の影響だろうとか言われたりしましたが、わたしが小学2年の頃NHKで「おーい竜馬」が放送されてからずっと竜馬みたいな維新志士に憧れて剣道やりたく中学になったら解禁ということが家族会議で決まっていたんですよね


中学になって解禁された大好きな剣道を続けてましたが、剣道部で稽古していて異変が!


わたしだけコテ打ちをくらうと他のみんなは平気なのにわたしだけ腫れ上がってしまったり



初めての町の試合に出て、昇級試験を受けるため発達障害のある中必死で、防具の付け方を練習してましたが、あまりに様子が変なので、隣町の病院に1週間ほど入院して点滴を打ちましたが、検査データを見た母方祖父が気になり家庭医学書で調べて子供病院へ


(妹が重度の知的障害のためわたしは母方の祖父母にそだてられました)


子供病院が満床だったため、その日の夜は祖母の同級生のやっている隣町の寿司屋に祖父母と行きいつものように上握りや手巻きのいくらにツナを粋に食べていると母から寿司屋に電話があり


なんか、祖父母の様子が変だと思いながらもたらふく寿司を食べ次の日には大学病院へ入院


骨髄穿刺(マルク)をやり無菌室に入りながらも白血病ではなく当時流行っていたO157とかの感染症ですぐに帰れるとなんとか自分に言い聞かせながらも、急性リンパ性白血病と告知を受けました。


傍にいた父は「男がないていいのは親が死んだ時だけだ!」と言っていましたが見事に号泣していました。


そして、治療が始まり、1年間入院、生の魚、生卵はも1年食べれないと(あの時の卵なし牛丼は味気なかったなぁ)


抗がん剤の副作用で、髪どころか全身の毛はなくなり、全身に関節痛の伴う薬、口や消化器にカビが生えないようにと飲む腐ったフルーツ牛乳のような味の液薬に後頭部レントゲン照射にIVHというカテーテルを入れるオペ、そして何よりマルクの痛みは、マルクの日が近づくために死刑執行をまつ死刑囚のような気分に(勿論、死刑囚の方は命がなくなるわけですからもっと怖いんでしょうけど)


そんな中、鬱になりそして自分の性別違和についてカウンセラーの前で母親にカミングアウトしました。


母親は一応は受け入れてくれましたが、地元に帰るときは派手な化粧はするなとかスカートでなくパンツルックが強制されるので


まぁ田舎だから、帰省する時は、仕方ないんですけどね……


とりあえずそんな感じで母親にカミングアウトして今は適切な距離をとりながらうまくやってます。


神戸と千葉で物理的な距離もちょうど良いし


精神的な距離もちょうど良いかもしれませんね。