過去記事にもしましたケイジさんが精神医療に関わり亡くなってしまった事件について、
ご家族が、2014年7月に千葉中央警察署に告訴状を提出したが、警察は動かずいまだに起訴に至っていないとの事です。
警察とは検察とは法律とはいったい何の意味があるのでしょうか。
庶民を罰するのは進んでやり、庶民をニュースで晒し者にし、権力には屈する笑わせてくれますね。(笑えませんが)
庶民のいろんな法律を厳しくするということは、我々の首を絞めることになるのではないでしょうか??
最近そう感じます。
私たち一般市民は、悪い人はそうそういないのではないかと、もっと信じていいのではないかと思っています。
そうでないとしたら、自作自演ニュースや、残虐な殺人事件の映画やドラマなどがありふれ洗脳されてしまって
いるのだと思います。

私たちが目をむけるのは、国やそれをとりまく官僚、行政、癒着する企業など金や権威に目がくらむ人たちではないかと
思います。(もっとうまく表現したいのですがこれで精一杯です)

ケイジさんは、普通の大学生だったのに、なぜ精神医療に関わり始めたころから、食事も一人できなくなり、オムツもしなくては
ならなくなったのでしょうか。周りの精神医療従事者は疑問に思わないのでしょうか??
二つ目の記事にケイジさんが精神医療に関わった経緯をもう一度貼り付けました。


↓以下、フリーライターかこさんの記事を転載致します。
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ケイジさんの事件……千葉地検、動かず


 すでに「暴行場面」のビデオをこのブログでもアップしたが(暴行であるのは明らか)、その行為を被告側は「患者が暴れたため」「顔面を軽く抑えただけ」と主張している。


 それに関して、前エントリで弁護士と思われる「通行人さん」から以下のようなコメントをいただいたので、改めて紹介します。


「(あのビデオは)、確かに有力な証拠ではあります。しかしながら、証拠をどのように評価するかは担当になった裁判官の自由心証に任されている。これを自由心証主義といいます。現実の訴訟では、有力証拠があるだけでは不十分です。有力証拠の「証拠力」(証拠としての価値のことです)を高めるべく、それに沿うような主張をしていくことが必要です。これは、実は難しい作業でして、ここに患者側代理人となった弁護士の腕、力量が試されます。


被告となった病院側は、当該証拠の「証拠力」を減殺すべく、ありとあらゆる主張、反論を出してきます。例えばですが、例えば、看護士の行為は患者が暴れたから、やむを得ずとった行動である(=過失はない)とかね。たとえ、非常識きわまりない主張であっても、それが説得力あるものになると、結果はどうなるか分からない。それが医療訴訟に限らず、民事訴訟の怖いところです。


日本の医療訴訟においては、裁判所が病院・医師の裁量権を過大に広く評価する傾向が強いのです。医師の裁量が広いとなると、医師の過失は認定されにくくなります。逆に、裁量の範囲外となれば、過失が認定されやすくなる。しかも、病院のスタッフにより、


1)どのような行為により、2)どのような人体的・精神的傷害を負わされ、3)行為と傷害の因果関係はどうで、4)病院・医師の故意・過失……これら全ての立証責任を原告の患者側が負わなければならないのです。


これはもう大変な負担なのです。もともと、医療訴訟を「扱える」弁護士は少ない上に(「扱います」と事務所のホームページに掲げていても、実際は能力的に出来ない弁護士がごまんといる)、特に精神科の医療訴訟は勝訴率が他診療科と比較すると非常に低いわけです。従って、有力証拠があろうとも絶対に油断できません。難しいですよ。私個人は、患者側の立証責任の負担のハードルが高すぎると思います。ですから、実は、日本の裁判所も、今日の精神医療腐敗を助長している側面がある。これは事実だと感じます。」

 

 

 ケイジさんの裁判は、いままさにこうしたところにある。

 精神医療裁判が難しい裁判になるというのは、もうこのブログの読者なら知っていると思うが、としたら、原告側(弁護士)としては徹底した調査のうえの論理と立証、それを踏まえた意見書の提出など、十分な(十分すぎると言うことがないほど十分な)準備をする必要があるはずである。
 ビデオという「有力な証拠」があってもなお、念には念の準備をしておかなければ、この弁護士さんが言われるように、先方の主張次第、裁判官の心証次第で、事実はいくらでも捻じ曲げられるのだ。その点、大きな危惧を抱かざるを得ない状況になりつつある。

 


 そして、さらに問題なのは、刑事事件としての推移なのだ。

 ご家族は昨年7月の末、千葉中央警察署に告訴状を提出し、それが受理された。

 事件発生は2012年1月だから、それから2年半以上ものあいだ、警察は動かなかった。つまり、事実上放置してきたわけだが、昨年、刑事課長が交代したのを期にようやく告訴状受理となったのだ。


 これで犯人逮捕も近いと思われたのだが、なんとなんと、その後、千葉地検、検察官がいっこうに動こうとしないのである。事件発生からすでに3年以上が経過しているにもかかわらず、いまだ起訴に至っていない。

 なぜか?
 


癒着のトライアングル


 じつは、日本精神科病院協会は、日本精神科病院政治連盟の名義で毎年いわゆる厚生族議員に多額の献金をしている(精神科病院協会は自民党の有力スポンサーということである)。
 一方、日本精神科病院協会は、毎年国から多額の補助金をもらっている。

 政治資金規正法にひっかからない抜け穴を通りながら、何百万円かのお金が献金され、それが精神科病院に補助金として還元されている。まさに「癒着」の構図である。


資金力、政治力……精神科病院業界の力は絶大なのだ。


さらに、精神科病院といえば、警察、法務省、そして、刑事裁判所と深く結びついている。つまり、協力関係にあるということだ。


ケイジさんの事件の舞台となった石郷岡病院(石郷岡純氏=日本精神神経学会評議員、日本総合病院精神医学会評議員等々の重鎮でもある=が理事長を務める病院)は、精神科病院の中でも(政治家にとっては)重要なポジションにある病院といえるだろう。

 


となると、この事件、検察としても手を出しにくいのではないか? できれば起訴したくない。
 精神科病院の権力を恐れているからである。


もちろん、なぜ起訴しないのかと尋ねれば、忙しい、手が回らないという回答が返ってくるだろうが、本音は、石郷岡病院=強大な政治力を誇る精神科病院団体を敵に回したくない、だからやらない(起訴しない)……これが真相ではないか。


 精神病院協会は、族議員を使って、容易に圧力をかけてくる。例えば、衆議院議員の萩生田光一氏は、東京精神科病院協会の顧問だ。http://www.toseikyo.or.jp/org-n1.html


 圧力などお手のものだろう。

 


 私をはじめ多くの国民は、裁判に携わる人間、裁判官、そして起訴、不起訴を決定する検察官は「公正無私」な立場に立っていると考えている。そうでなければ、裁判そのものへの信頼、法治国家の根幹が崩れてしまう。

 しかし、どうも千葉地検のこうした動きを見ていると、そんな裁判制度の「性善説」などもう夢物語なのかもしれないという気分にさせられる。「正義」が果たされることなど期待できない。警察、検察といえども、国民の生命・財産を守る公益の代表者として存在しているわけではないのかもしれない、と。


精神科病院内で起こった死亡事例で、これまで「証拠」がないため事件化されないまま処理されていった事例がどれほどあったことだろう。本来なら「傷害致死事件」「殺人事件」でさえあったかもしれない事件に、捜査のメスが入らなかった。
 精神科病院というところはまさに「治外法権」であるかのようだ。


もし、ケイジさんの事件――確たる(と思える)「証拠」があるにもかかわらず起訴されないとしたら……。あのような理不尽な死を迎えねばならなかったケイジさんの無念、ご遺族の無念を思うと、この事件をこのままうやむやに終わらせていいはずがないのである。

 


精神科病院(精神医療)の暗部についてはこのブログでも触れてきた。
 しかし、そこにさらに、警察、検察の暗部まで加わってくるとしたら、精神医療裁判はこれまで以上に「絶望的」な展開になってくるにちがいない。


最初に紹介した「通行人さん」のご指摘通り、「日本の裁判所が、今日の精神医療腐敗を助長している側面がある」ということである。


このままでは、起訴もされず下手をすれば時効までのらりくらりされて不起訴という最悪のパターンもありうるとケイジさんのお姉さんは憂慮している。


ケイジさんの民事裁判は現在進行中である。そして刑事裁判においても、何とか千葉地検が動くよう、起訴に持ち込むよう、いまは祈るしかない。

と同時に、法曹の一翼を担っている検察までもが「癒着構造」に組み込まれているという事実は、覚えておいたほうがいい。

転載以上

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ケイジさん 監視カメラ映像


精神科看護師の暴行、監視カメラの映像


精神科看護師の暴行、監視カメラの映像  2




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↓過去記事一部抜粋 ③言わせてください!向精神薬は自殺、犯罪だけではありません。突然死も!!~言いたい放題~

↓以下フリーライターかこさんの記事を転載します。※勝手に掲載です。何かありましたら削除します。
ケイジさんは精神医療に関わった結果、今年36歳で亡くなってしまいました。無邪気な笑顔の写真があります。

その陽はまだ沈まない 精神医療の犯罪
http://s.ameblo.jp/momo-kako/entry-11890344230.html

読売新聞の「医療ルネサンス」(佐藤光展記者)で以前(2012年1月24日)『精神科病院 謎多いけが』というタイトルで取り上げられた被害である。

保護室内で、看護師による暴行を受け、頸椎骨折をして首から下が麻痺してしまった。暴行が起きたのは2012年1月1日午後4時頃のこと。
この件に関しては現在も裁判が続いている。
しかし、事件後、ケイジさん(被害男性・仮名)は頸椎骨折治療のため県内の大学病院(帝京大学附属ちば総合医療センター)に入院し、さらに療養型の地元の病院に転院後、残念ながら、今年の4月28日、亡くなられた。

死因は、「低栄養」と「肺炎」――お姉さんが医師から口頭で伝えられたのはこの二つだが、死亡診断書には、「呼吸不全」とあり、備考欄に「頚椎骨折」と書いてあった。享年36歳。

じつは私は、先日、ケイジさんのご家族(ご両親、お姉さん)に会いに千葉まで行ってきた。

昨年のいつ頃だったか、一度千葉地裁まで足を運び、裁判を傍聴しようと思ったが、裁判は非公開とのことで、叶わなかった。
その後、担当弁護士に依頼され、裁判を公開で行うよう(このような事件はぜひ裁判を公開にして、より広く世間一般の人に知ってもらうべきであると)裁判長あて「上申書」を提出したが、残念ながら、その後も非公開のままである。

じつは、ケイジさんのお姉さんは、ケイジさんの無念、家族の無念を晴らすため、この事件、裁判の経過について詳細なブログを立ち上げている。

弟のこと。~その陽はまだ沈まない~ http://gunter75.blog.fc2.com/

一人でも多くの人に、こうした精神科病院の実態、その闇で何が行われているのかを知ってもらいたい。
そして、私も私なりに、お姉さん、ご両親の思いを受けて、聞かせていただいた話から、この記事を書いてみたいと思う。


「石郷岡病院」における暴行事件

そもそも、密室である保護室で行われた暴行がなぜ明るみに出ることになったのか。

それは、保護室内に取り付けられた防犯カメラの映像があったからである。

私もその映像を見せてもらった。
部屋を真上から撮っている。横たわるケイジさん、おむつかえのために部屋に入ってくる准看護師(男性)2人。

おむつかえに手間取ったものの、ようやく終え、ズボンをはかせようとしている段階で、 一人の職員がケイジさんの胸から下に覆いかぶさり、膝で腹部を押さえつけた。
ケイジさんが苦しそうに手を動かすと、その職員が払いのける。ケイジさんはもがくように足をばたつかせ、その足がもう一方の職員に当たった。
すると職員は突然立ち上がり、まずケイジさんの頭部側面を足で蹴りつけ、次に頭頂部を蹴りつけた。
この時、監視カメラの映像は、ケイジさんの髪が乱れるのを捉えていた。
次にその職員は、ケイジさんの顔面を踏みつけた。

その後、もう一人の職員が、ケイジさんの背後に回りこみ、蹴った職員はケイジさんの股を無理やり開かせ、足首を足で踏みつけながらズボンをはかせたのだ。
その後、顔面を蹴りつけた職員は、もう一度ケイジさんの大腿部に蹴りを入れた。
おそらく蹴ったために出血したのだろう、職員はタオルでケイジさんの顔面を拭っている。

そして、映像は、仕事を終えた准看護師たちが部屋を出ていく場面を映すが――布団をかけてやるわけでもなく、やることをやり終えたらさっさと出て行くといった感じ。
そして、出口近くで、一人の准看護師が足元にあった枕を横たわるケイジさんの方へ投げつける。

映像は淡々とケイジさんの姿を映し続ける。
そして、10数時間後の1月2日。仰向けに横たわるケイジさんの下半身がまったく動いていない。
巻き戻してみると、もう数時間も同じ角度に両足を開いたまま、微動だにしていないのが見て取れる。
その間に職員は食事やおむつかえにケイジさんを見ているにもかかわらずだ。
そして、ケイジさんは1月3日になってから、帝京大学付属ちば総合医療センターに救急搬送された。そのとき、自発呼吸もない状態だった。

音声のない映像を見ながら、私は正直、胸がむかむかするのをこらえるのに必死だった。
これは「医療」「看護」とは程遠い、犯罪行為そのものである。

この事件を起こした病院の名は、千葉市にある「石郷岡病院」。
同じ名前の有名精神科医が、最近別の意味で有名になった大学病院の教授をやっているが、彼はこの病院の理事長でもある。

裁判の経過のなかで、病院側としてはこの行為をさまざま主張しているようだ。
最初は、ケイジさん自身による「自傷行為の結果」という説明だった。
しかし、ビデオの映像から、どうもそれが通用しないとなると、今度は、ケイジさんが暴れたため、やむを得ず足で「軽く」押さえつけたと主張を変えた。
しかし、ビデオを見れば一目瞭然。準看護師がどうにかしなければならないほどケイジさんは暴れていないし、「軽く」抑えたはずの足にはくっきりあざが残っていることもわかっている。
が、それでも石郷岡病院は断固として、この行為を暴行と認めようとしないのだ。

ビデオでは、暴行後、職員が部屋から出て行ったあと、ケイジさんが立ち上がる姿が映っている。
そのことで、病院側は頸椎骨折は准看護師の行為とは関係がないと主張しているのだが、搬送先の帝京大の整形外科医の意見では、「脊椎損傷の臨床場面では、腫脹が徐々に拡大するなどの結果、遅発性に症状が発現する事例は珍しいものではない」とのことである。





(赤い矢印の部分。第二頸椎がぱっくりと骨折しているのがわかる。)


どこにでもいるごく普通の大学生だった

そもそも、ケイジさんが精神医療に関わることになったのは、大学生のとき。
それまではごく普通の青年だった。
テニスサークルに所属し、合宿に行ったり、アルバイトをしたり、ギター(ベース)に夢中になったり……。

「お友だちがお葬式に来てくれて、初めてわかったのですが、ケイジは、家での様子とは違い、けっこう活動的で、仲間内でも中心的な存在だったみたいです」とお姉さんは言う。

学生時代は、通学の便のため、自宅を離れて一人暮らしをしていた。
大学1年の頃は、とても元気にやっているように見えた。

ところが、大学2年生の夏休み、帰省したときのことだ。ケイジさんは突然「学校をやめたい」ともらしたという。
ベースに夢中になっていて、学業よりバンド活動に力を入れたいから、とそんな理由を口にしていた。

そして、お正月休みに帰ってきたときには、なんとなく元気がないように見えた。

学年が変わり、アパートを引っ越してから様子が少しおかしくなった。
暗い声で電話がかかってくる。気になった両親がケイジさんのアパートを訪ねたところ、かなり痩せていた。
心配になり、両親は自宅にケイジさんを連れて帰った。

しかし、状態は改善せず、ケイジさんは休学届を出し自宅療養していたが、結局留年となってしまった。
そのことでケイジさんは自分を責めるような気持ちになったのかもしれない。
また、お姉さんが聞いた話では、交友関係での悩みを抱えているようだった。

それでも自宅に戻って少しずつ元気を取り戻していたケイジさん。
アルバイトができるまで回復したため、復学した。しかし、自宅から大学まで片道4時間かかる。
この長距離通学が再びケイジさんの精神的疲労を招き、結局、両親に相談することもなく、退学届を出してしまったのだ。その直後から、うつ状態になった。


うつの診断

2001年の9月(23歳のとき)、ケイジさんは近くの精神科病院を受診した。

そして、うつ病と診断され、抗うつ薬パキシル(10㎎、1日1錠)が処方されたのだ。

パキシルを服薬ししばらくした頃から、ケイジさんに変化が現れた。家族に対して暴言を吐いたり、些細なことでイラついて、特に妹と衝突することが多くなった。

そして、服薬2か月ほど経った11月30日。向かいの家が引っ越しをしていて、その音がうるさいと、ケイジさんは引っ越し作業をしていた男性をいきなり殴りつけてしまったのだ。ケガはたいしたことはなかったが、ケイジさんは自ら警察に出頭した。

自分は学校にも行かず、人を殴ってしまい、悪い人間だから、警察へ行かなければならない。自分を責めるような言葉をずっと口にしていた。父親が付き添ったが、殴られた男性は被害届を出さす、結局この件は示談でけりがついた。

警察からの帰り道、父親が「なぜこんなことをしたんだ」と尋ねると、ケイジさんは「淋しかったんだ」と答えたという。
父親としては、このようなことをしでかしたので、一応かかりつけの病院に行ったほうがいいと考え、ケイジさんたちは「市原鶴岡病院」(パキシルを処方した病院)に立ち寄った。

ところで、2001年といえば、SSRIが日本に入ってきたばかりの頃だ(パキシルは2000年日本発売)。
当時、SSRIは「まったく副作用もなく、極めて安全な薬」、「魔法の薬」としてもてはやされ、副作用であるアクチベーションシンドローム(賦活症候群)が騒がれることもなく、医師は競ってこの薬を処方していた、そんな時期である。

したがって、市原鶴岡病院の担当医も、ケイジさんの暴力、攻撃性の原因がパキシルの副作用である可能性を疑うことはなかったのだろう(今でも見抜けない医者がたくさんいるが)。



統合失調の診断

それだけでなく、この医師はケイジさんに「幻聴は聞こえるか?」と質問したという。
暴力ひとつで統合失調症を疑ったのだろうが、ケイジさんが「ぜんぜん」と答えると、首を傾げて「じゃあ、何だろう? うつ病かなぁ、不安神経症かなぁ」――かなりの時間考えている様子だった。

そして、しばらくすると意を決したかのように、「見知らぬ人に暴力を振るうのだから、統合失調症だね」と断言した。もちろん、ケイジさんのいる前で、である。

そして、何の薬か一切の説明もなく、「3日間出すので、様子を見て」と薬を処方した。後でわかったことだが、このとき出されたのは「リスパダール」(2㎎×2 朝夕)である。

しかし、1日目、リスパダールを初めて飲んだところで、すぐにケイジさんに異変が現れた。
首がガクンとうなだれて、意識が朦朧としてしまったのだ。病院へ電話を入れると、そのまま横にして寝かせてくださいとのこと。

2日目、やはり服用直後に、同様の状態になったため、再び病院に問い合わせると、そのとき対応した医師(副院長)は「水を飲めば、薬の毒が排除される」と言ったので、水をたくさん飲んだが、3日目も、服薬後はやはり同じ状態になった。

それでも、少し回復したところで、ケイジさんは父親と散歩に出た。
ところが、途中で突然からだがエビ反りになり、ひきつけを起こした。
チアノーゼもでている。あわてて救急車を呼び、地元の病院に運ばれたが(じつはこの病院は、頸椎骨折後のケイジさんが療養のため入院し、亡くなる病院である)、あまりに対応が悪いのですぐに転院を希望して、市原鶴岡病院へ入院することにした。

そこで出された薬によって出てきた副作用であるから、責任をとってほしいという思いもあった。



薬の副作用で入院、しかしーー

ところが、である。
12月初旬に入院をして、ケイジさんは、年末にはかなり回復してきたように見えた。
会話も普通、身の回りのこともきちんとできる。
差し入れた本も読んでいる――。
そろそろ退院できるかもしれないと家族が考えていた翌年の1月4日のことだ。

両親が病院に見舞いにいくと、ケイジさんは肢体拘束をされ、目の焦点も合わず、うつろな表情で、天井の一点を見つめているだけだった。会話もできない状態である。

病院に理由を聞くと、暴れて、壁に穴をあけた。自殺をしようとしたので、拘束したとのこと。
そして、壊れた壁の修理代金として30万円支払うように要求された。

病院側の説明も釈然としないまま、家族は目の前のケイジさんの変わりようにおろおろするばかり。
結局、言われるがまま、修理代を支払った。そして、「また自殺しようとするのを防ぐために拘束は必要だ」と言われれば、黙って従うしかなかった。

後でわかったことだが、この拘束のとき、ケイジさんに投与されていた薬は以下の通りである。
プロピタン 抗精神病薬
メレリル 抗精神病薬
ヒルナミン 抗精神病薬
ジプレキサ 抗精神病薬
ベゲタミンB 睡眠薬
セロクエル 抗精神病薬
ウィンタミン 抗精神病薬
レボトミン 抗精神病薬
ルーラン 抗精神病薬
グラマリール 抗パ剤
セルシン ベンゾ系抗不安薬
ベンザリン ベンゾ系睡眠薬
ユーロジン ベンゾ系睡眠薬
ダルメート ベンゾ睡眠薬
レンドルミン ベンゾ系抗不安薬
アキネトン 抗パ剤
セドリーナ 抗パ剤


こうした薬を入院中の5ヶ月間(拘束は約3週間続いた)とっかえひっかえ、抗精神病薬は常に2~3種類は投与され続けたのだ。

不安になった両親が医師に減薬を願い出ても、医師からは、「これが普通だ。嫌なら出て行ってください」と言われるだけだった。

そもそもケイジさんには薬剤過敏があった。
最初のリスパダール数ミリで、すでに首が前にうなだれる「ジストニア」の症状が出ていたのである。
医師はそれを完全に見逃して、薬の中止より、「水で排毒すればいい」などと適当な対応で服薬を続けさせた。

そして入院中、実際ケイジさんがどのような行為を行ったのか不明だが、病院側の説明によれば「暴力」と「自害行為」ということで、これだけの薬を、からだを縛り付けたまま投与し続けたのだ。

拘束は3週間続き、その頃には、ケイジさんの首は完全に曲がってしまっていた。

2月中ごろ、医師に「首が曲がってしまったが、薬のせいでしょうか」と家族が問うと、医師は「そうですね」と答えたという。(しかし、その後、医師は、薬の影響を否定する見解を述べ、さらにその後、家族が「医薬品副作用救済制度」を申告した際、医師としての意見欄には、「薬剤性パーキンソニズム」として、認めることになった。結局、救済制度は認められなかったのだが)。


ジストニアの治療

その後、ケイジさんは、ジストニアの治療のため、5月に千葉大医学部附属病院(整形外科)へ転院した。
市原鶴岡病院を退院するときには、ジストニアは、顎が胸につくほどになり、歩くのもかなりゆっくりしたペース。表情もさえなかった。

千葉大病院のジストニア治療では、ボトックス注射、そして、抗パ剤のアーテン(3錠)が処方された。
しかし、状態は芳しくない。

ケイジさんは突然バックで歩きだしたり、体がこちこちになったようなロボット歩きになってしまったり。結局、歩行不全、トイレに間に合わない(失禁)、見識障害、話にまとまりがない……そんな状態に陥った。
医師の見解は「統合失調症と判断するが、薬に敏感なため現在は適切な治療薬がない」とのことで、ケイジさんは11月、退院となった。

自宅療養を続けるなかで、「アーテンがいけないのではないか」と考えた家族が、自己判断でアーテンを断薬した。すると、徐々に、こちこちだった体の柔軟性が回復し、食事も一人でとれるようになり、見識障害も少なくなっていったのだ。

アーテン=抗パーキンソン病薬――抗精神病薬の副作用(錐体外路症状等)止めとしてセットのように、気軽に処方されるが、じつは、重い副作用がある薬である。

たとえばアーテンの添付文書には、副作用として以下のものが挙げられている。
悪性症候群、精神錯乱、幻覚、せん妄。さらに、興奮、神経過敏、気分高揚、多幸症、見当識障害、眠気、運動失調、眩暈、頭痛、倦怠感など、抗精神病薬に勝るとも劣らない。

ケイジさんもアーテンを中止したことで、いくつかの症状は消えた。
しかし、ジストニアの状態は相変わらずである。ケイジさんはときどき、「こんな首になって、もう僕は結婚もできなくないんだね。死んでしまいたい」そんなことを漏らすようになったという。

安定、そして状態悪化で電気ショック治療
精神科へは、同じ千葉大病院精神科に通院が続いた。
そこではセロクエルが処方されたが、少量処方(1錠)で、体調・精神状態は安定してきた。父親と定期的に散歩をし、休日には一緒に買い物にも出かけ、ケイジさんはCDを買ったりした。父親から見ても「首が元にもどれば、普通の青年」だった。

しかし、外を歩けば人が振り返り、あからさまな視線にさらされることもあった。
それでも、ケイジさんは、首にカラーを装着するジストニア改善策には頑として応じようとしなかった。

そして、この年の年末、ケイジさんは友人に年賀状を出した。
そうしたケイジさんの様子を知った医師は、「統合失調症ではないかもしれない」と言ったという。

医師のその言葉があったからか、その後、ケイジさんは薬を飲むのを嫌がるようになった。
通院も拒否したため、父親が病院に足を運び、経過報告をしていた。

結局、セロクエルを断薬。そして、3年間ほど、薬ゼロの時期があったが、少しずつ少しずつ状態が崩れてきて、徘徊、失禁、住んでいる社宅の管理室に入り浸る、そして暴力が出てくるようになってしまった。

2005年、千葉大病院に再入院。ここでもまた拘束が行われ、点滴での薬の投与が始まった。
しかし、一向に改善しない、それどころか、暴力が治まらない……。
医師が提案したのは、「電気ショック療法」である。「おとなしくなるから」というのが理由だった。
仕方なく承諾した。

2005年10月17日、第1回目の電気ショック治療。
その後、数日おきに実施され、6回、1クールを終了した。

その頃のことをお父さんが日記に付けていたので、引用する。
「(医師の見解として)返答の中には意味不明も散見されるが、以前と比較して会話がスムース。また、幻聴が少なくなったと本人が言っている。電気治療の効果は認められる。今後、拘束を解く予定である。明日、今後の治療について打ち合わせ」

ということで、担当医は電気ショック治療の継続を勧めてきた。
結局、11月21日に電気ショック治療の2クール目が開始され、6回で、第2クールが終了。
「担当医より電話にて、会話が以前より積極的になり、効果が認められるので、さらに電気ショック治療をお勧めしますとのこと。」

医師の強い勧めで、ケイジさンはその後、追加で一度だけ電気ショック治療を受けたが、家族からみて改善がほとんど見られないため、2回目以降、中断をお願いした。

そのとき、母親が拘束が長期にわたっているので改善を要求したが――、
「ケイジさんの現状では、看護師への予測不可能な暴力行為が考えられ、また看護師不足により拘束帯を使用しなければならない」という説明があった。

その後、千葉大病院でも、ケイジさんを持てあますようになった。手におえない、面倒見きれない……。ケイジさんは退院となり、薬の処方も行われなかった。

お姉さんが言う。
「結果的に、どんどんおかしくなりました。36時間、このテーブルの椅子に座り続けていたり、話もほとんど通じなくなっていました」
何を言っているのかわからない、認知機能も落ちてしまった。ついには、自力での排泄も困難になった。

そして、2011年3月11日の東日本大震災が起き、そのことでケイジさんの状態はさらに悪化した。攻撃性が増し、家の中で暴れることもしばしばだった。

実際、家にお邪魔したとき、目に入ったのは、そうした暴行の痕である。冷蔵庫の扉は歪み、食器棚の脇の板には殴った拳の痕がいくつも残っていた。

そして、ケイジさんの攻撃性はついに父親に及んだ。
顔の骨が陥没するほどのケガだった。
結局、警察に相談をして、ケイジさんは措置入院となった。
警察がやってきて、病院へ連れて行く際の、ケイジさんの抵抗はものすごかったという。
精神科病院でのこれまでの経験から、入院に対する恐怖心があったのか、それとも、その後自分に起きる運命がわかっていたのか……。



統合失調ではなく広汎性発達障害

石郷岡病院には2011年9月15日に入院となった。
最初は保護室で、次に閉鎖病棟の4人部屋、そしてまた保護室へと移動させられ、その間ケイジさんはほとんど拘束された状態だった。

飲まされていた薬は、ベンザリン(ベンゾ系睡眠薬)、バレリン(気分安定薬)、セルシン(ベンゾ系抗不安薬)、ピコスルファート(下剤)である。

これまでどこの病院で相談をしても統合失調症だと決めつけられてきたが、じつは、この石郷岡病院の担当医だけは、入院前もケイジさんの家族の話を熱心に聞いてくれて、ケイジさんを「統合失調症ではなく、広汎性発達障害」と診断見直しをしてくれた医師だった。

さらに「統合失調症ではないのに統合失調症の薬を投与されると統合失調症のような症状が出る」と認めてもいた。

しかし、職員による暴行が、翌年の1月1日に起きてしまった。


頸椎骨折、そして病院側の不誠実な対応……。

さらにケイジさんが不幸だったのは、搬送された帝京大学附属ちば総合医療センターで頸椎骨折の治療のあと、療養のために入院した病院の対応のひどさである。

そこではケイジさんの精神的な状態は回復傾向にあった。
会話も成立していたし、新聞記事などを読み、その内容も理解し、記憶していて、父親とそれらを話題にすることもあった。

しかし、病院の「介護」の仕方は、たとえば、誤嚥性肺炎が心配だからと、誤嚥性肺炎になったこともないのに勝手に「胃ろう」にしてしまう。

さらに、食事の貧しさ。1日の摂取カロリーが900~1200キロカロリー(前の帝京大学付属ちば総合医療センターでは若いからということで、倍の2400キロカロリー以上だった)。

結果、ケイジさんはどんどん痩せていった。
入院していた2年間で、体重は15キロ減少。身長180センチ弱なのに、体重は33キロほどになってしまった。

死亡原因として、最初にお姉さんが医師から口頭で伝えられたのは「低栄養」である。
つまり栄養失調。療養型病院の対応のひどさもまた、かなりの問題を含んでいる。

お姉さんが「弟は3度殺された」とブログで表現しているが、まさにそのとおりだ。

1度目は、抗精神病薬の多剤大量処方によって。
2度目は、石郷岡病院での傷害事件。
そして3度目は、この病院で栄養失調にさせられたこと……。

なんという「医療」なのかと思う。



統合失調診断の怖さ

そもそもケイジさんの場合、始まりは「パキシル」である。
因果関係の立証は難しいが、おそらくその副作用である「賦活作用」によって、攻撃性が増し、他者への暴力となってしまった。
それが統合失調症診断の決め手というわけだ。

そして、リスパダールの服用で、即ジストニアの症状が出てきた。
これだけを見ても、ケイジさんに薬剤過敏があると、「医師なら」気づいてしかるべきである。

にもかかわらず、薬を入れ続け、副作用で不穏になると、さらに、これでもかと抗精神病薬を投与し続けた。統合失調症という診断だからできる処方。

のちにケイジさんは「広汎性発達障害」と言われたが、発達障害の人には薬剤過敏の人が多く、最初のリスパダール投与後の反応を見ても、その可能性は否定できない。

また、その劇的な副作用の出方から、肝臓の薬物代謝酵素(CYP)が関わっていることも考えられる。

原因はともかく、あのリスパダール投与の時点で後戻りができていれば……。あるいは、入院後、拘束しての過剰投与が回避できていれば……。

言っても詮無いことだが、そう思わずにはいられない。
そうすれば、きっとケイジさんの人生はその後も、たとえ躓くことがあったとしても、続いていったのは間違いないと思えるから。

すべては「医療」という名で行われた行為である。
しかし、ケイジさんが辿った道は、すべてその「医療」に裏切られ続けた果ての、暴行事件による死亡である。

どこにでもいるような学生だった。
彼にどんな落ち度があったというのか。

しかし、それは裏を返せば、どんな人でも、精神医療に関わることで、ケイジさんの辿ったのと同じ道に迷い込む可能性を秘めているということだ。

薬剤過敏も知らぬ精神医療。
発達障害の過剰診断ばかりに血道をあげて、真の意味で「人間を診る」ための根本にある「発達特性」に目を向けることなく、あまりに安易に統合失調症診断を下してしまう。

結果、伝統の多剤大量処方によって、その人の人生をメチャクチャにし、さらに電気ショックによって、人間としての尊厳を踏みにじり、それだけでもまだ足りないとでもいうように、そういう「医療」の被害者を、差別的な心でもって、実際の暴力で傷つけ、そして殺してしまう。

お父さんがぽつりと言った。
「36年間生きてきて、その3分の1は、精神科に関わる人生だった……。小さい頃は私とよくキャッチボールをしました。そう、あの子は、運動神経がよかったんですよ」








(テニスサークルの合宿。どこにでもいる健康で、活動的な青年だった)


精神科病院の狂気

それにしても、石郷岡病院の准看護師たちは保護室に監視カメラがあることは当然知っていたはずである。
にもかかわらず、あのような暴行をはたらくというのは、いったいどういうことなのだろう。

どうせわかりっこないというという思いがあったのか、それとも精神科病院で起きたことは、何とでも言い訳がたつと(これまでもそうだったので)高をくくっていたのだろうか。

映像を見ていて胸クソが悪くなるのは、職員が患者を物のように扱っているからだ。
そして、相手がちょっとでも「反応」を見せたりすると、それに対してこてんぱんに「仕返し」せずにはいられない、人間的にレベルの低い姿を見せつけられるからだ。

統合失調症として治療を受け、その副作用でジストニアになり、首が曲がってしまった患者に対して、彼らはどんな感情を抱いていたのだろう。

日々の「看護」のなかで、彼らは何を思い、職務をどう受け止めていたのだろう。

しかし、残念ながら、こうした事件は日本全国、あちこちで起こっていることだろう。
監視カメラのない保護室という密室でなら、やりたい放題。
そして、それらの事実をもみ消すことも、言い繕いも、いくらでも可能である。
カメラの映像がある石郷岡病院でさえ、自傷行為と最初は主張していたくらいなのだ。

病院側は最近和解を申し入れているようだが、ぜひ裁判ですべてが明るみに出ることを期待する。
そして、こうした事件は、ケイジさんだけに起こった「特別」な不幸ではなく、長い歳月、日本の精神科病院というところが内包し続けている「狂気」の一部に過ぎないということを、多くの人に知ってほしいのだ。

転載以上