前にお伝えした「ケイジさんの事件」について、現在、民事裁判(準備書面段階)が行われているが(民法709条、715条あるいは415条を根拠に損害賠償請求訴訟を起こしている)、どうも進展がはかばかしくないようである。

 すでに「暴行場面」のビデオをこのブログでもアップしたが(暴行であるのは明らか)、その行為を被告側は「患者が暴れたため」「顔面を軽く抑えただけ」と主張している。

 それに関して、前エントリで弁護士と思われる「通行人さん」から以下のようなコメントをいただいたので、改めて紹介します。





「(あのビデオは)、確かに有力な証拠ではあります。しかしながら、証拠をどのように評価するかは担当になった裁判官の自由心証に任されている。これを自由心証主義といいます。現実の訴訟では、有力証拠があるだけでは不十分です。有力証拠の「証拠力」(証拠としての価値のことです)を高めるべく、それに沿うような主張をしていくことが必要です。これは、実は難しい作業でして、ここに患者側代理人となった弁護士の腕、力量が試されます。

被告となった病院側は、当該証拠の「証拠力」を減殺すべく、ありとあらゆる主張、反論を出してきます。例えばですが、例えば、看護士の行為は患者が暴れたから、やむを得ずとった行動である(=過失はない)とかね。たとえ、非常識きわまりない主張であっても、それが説得力あるものになると、結果はどうなるか分からない。それが医療訴訟に限らず、民事訴訟の怖いところです。

日本の医療訴訟においては、裁判所が病院・医師の裁量権を過大に広く評価する傾向が強いのです。医師の裁量が広いとなると、医師の過失は認定されにくくなります。逆に、裁量の範囲外となれば、過失が認定されやすくなる。しかも、病院のスタッフにより、

1)どのような行為により、2)どのような人体的・精神的傷害を負わされ、3)行為と傷害の因果関係はどうで、4)病院・医師の故意・過失……これら全ての立証責任を原告の患者側が負わなければならないのです。

これはもう大変な負担なのです。もともと、医療訴訟を「扱える」弁護士は少ない上に(「扱います」と事務所のホームページに掲げていても、実際は能力的に出来ない弁護士がごまんといる)、特に精神科の医療訴訟は勝訴率が他診療科と比較すると非常に低いわけです。従って、有力証拠があろうとも絶対に油断できません。難しいですよ。私個人は、患者側の立証責任の負担のハードルが高すぎると思います。ですから、実は、日本の裁判所も、今日の精神医療腐敗を助長している側面がある。これは事実だと感じます。」





 ケイジさんの裁判は、いままさにこうしたところにある。

 精神医療裁判が難しい裁判になるというのは、もうこのブログの読者なら知っていると思うが、としたら、原告側(弁護士)としては徹底した調査のうえの論理と立証、それを踏まえた意見書の提出など、十分な(十分すぎると言うことがないほど十分な)準備をする必要があるはずである。
 ビデオという「有力な証拠」があってもなお、念には念の準備をしておかなければ、この弁護士さんが言われるように、先方の主張次第、裁判官の心証次第で、事実はいくらでも捻じ曲げられるのだ。その点、大きな危惧を抱かざるを得ない状況になりつつある。




 そして、さらに問題なのは、刑事事件としての推移なのだ。

 ご家族は昨年7月の末、千葉中央警察署に告訴状を提出し、それが受理された。

 事件発生は2012年1月だから、それから2年半以上ものあいだ、警察は動かなかった。つまり、事実上放置してきたわけだが、昨年、刑事課長が交代したのを期にようやく告訴状受理となったのだ。

 これで犯人逮捕も近いと思われたのだが、なんとなんと、その後、千葉地検、検察官がいっこうに動こうとしないのである。事件発生からすでに3年以上が経過しているにもかかわらず、いまだ起訴に至っていない。

 なぜか?


 

 

癒着のトライアングル

 じつは、日本精神科病院協会は、日本精神科病院政治連盟の名義で毎年いわゆる厚生族議員に多額の献金をしている(精神科病院協会は自民党の有力スポンサーということである)。
 一方、日本精神科病院協会は、毎年国から多額の補助金をもらっている。

 政治資金規正法にひっかからない抜け穴を通りながら、何百万円かのお金が献金され、それが精神科病院に補助金として還元されている。まさに「癒着」の構図である。

資金力、政治力……精神科病院業界の力は絶大なのだ。

さらに、精神科病院といえば、警察、法務省、そして、刑事裁判所と深く結びついている。つまり、協力関係にあるということだ。

ケイジさんの事件の舞台となった石郷岡病院(石郷岡純氏=日本精神神経学会評議員、日本総合病院精神医学会評議員等々の重鎮でもある=が理事長を務める病院)は、精神科病院の中でも(政治家にとっては)重要なポジションにある病院といえるだろう。


となると、この事件、検察としても手を出しにくいのではないか? できれば起訴したくない。
 精神科病院の権力を恐れているからである。

もちろん、なぜ起訴しないのかと尋ねれば、忙しい、手が回らないという回答が返ってくるだろうが、本音は、石郷岡病院=強大な政治力を誇る精神科病院団体を敵に回したくない、だからやらない(起訴しない)……これが真相ではないか。

 精神病院協会は、族議員を使って、容易に圧力をかけてくる。例えば、衆議院議員の萩生田光一氏は、東京精神科病院協会の顧問だ。http://www.toseikyo.or.jp/org-n1.html


 圧力などお手のものだろう。




 私をはじめ多くの国民は、裁判に携わる人間、裁判官、そして起訴、不起訴を決定する検察官は「公正無私」な立場に立っていると考えている。そうでなければ、裁判そのものへの信頼、法治国家の根幹が崩れてしまう。

 しかし、どうも千葉地検のこうした動きを見ていると、そんな裁判制度の「性善説」などもう夢物語なのかもしれないという気分にさせられる。「正義」が果たされることなど期待できない。警察、検察といえども、国民の生命・財産を守る公益の代表者として存在しているわけではないのかもしれない、と。



精神科病院内で起こった死亡事例で、これまで「証拠」がないため事件化されないまま処理されていった事例がどれほどあったことだろう。本来なら「傷害致死事件」「殺人事件」でさえあったかもしれない事件に、捜査のメスが入らなかった。
 精神科病院というところはまさに「治外法権」であるかのようだ。

もし、ケイジさんの事件――確たる(と思える)「証拠」があるにもかかわらず起訴されないとしたら……。あのような理不尽な死を迎えねばならなかったケイジさんの無念、ご遺族の無念を思うと、この事件をこのままうやむやに終わらせていいはずがないのである。


精神科病院(精神医療)の暗部についてはこのブログでも触れてきた。
 しかし、そこにさらに、警察、検察の暗部まで加わってくるとしたら、精神医療裁判はこれまで以上に「絶望的」な展開になってくるにちがいない。


最初に紹介した「通行人さん」のご指摘通り、「日本の裁判所が、今日の精神医療腐敗を助長している側面がある」ということである。

このままでは、起訴もされず下手をすれば時効までのらりくらりされて不起訴という最悪のパターンもありうるとケイジさんのお姉さんは憂慮している。

ケイジさんの民事裁判は現在進行中である。そして刑事裁判においても、何とか千葉地検が動くよう、起訴に持ち込むよう、いまは祈るしかない。

と同時に、法曹の一翼を担っている検察までもが「癒着構造」に組み込まれているという事実は、覚えておいたほうがいい。























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