自分の言葉で両親が離婚したと思い、喋ることができなくなった(喋らないことを選んだ)少女と本音を喋ることを辞めた少年が主人公の話し。
少女の方は幼い時の無邪気な発言が母親を傷付けその後両親が離婚。
少女は自分が喋ると周りが不幸になると思った。
自分が喋らないことに納得させる【呪い】と言う理由も見つけた。
自分のせいではなく【呪い】のせいで喋らない。
喋ると呪いのせいでお腹が痛くなる。
だけど、日々思いはある。
思いは募る。
苦しくなる。
母親と暮している。
幼い頃の母親の影響は絶対だ。
その関係性が大人になっても足枷になっている母娘はよくある。
一方、少年も母親に問われたことに正直に答えた。
しかし、その問いは父と母の諍いの原因でもあった。なので少年の答えは母を悲しませ、その後両親が離婚し家を出て行った。
その後、少年は本音を喋ることを辞めた。
それが、自分を守る術となったのだろう。
だから、
「みんなが○○って言っている」
「みんなが○○と思ってる」が
彼の口癖になった。
担任の先生に言われてた
「お前の本音はどうなんだ?みんなじゃなくて、お前の本音はどうなんだ!」
そのセリフが印象的だった。
自分の本音で喋ってそれが元で失敗したら、責任は全て自分にかかってくるけど、みんな○○って言ってたら責任は分散する。
主人公達は本音を口にしないと伝わらない。
変わらない。
わかってもらえない。
それに葛藤しながら気がついて思いを口にするようになる。
物語の終盤にも印象に残ったセリフがあった。
「私のせいじゃなくて 私のおかげ?私のせいじゃなくて?」
主人公達はずっと私のせいで…自分のせいで…とずっと自分を責めて来た。
でもそれが、おかげと思う人達がいる。おかげと思ってくれる人がいる。と気がついた事でどれだけ勇気を貰ったか。
誰にでもある事だと思う。
主人公は呪いで縛られていたのではなく自分が作った殻に自分で閉じこもっていたことに気がつく。
縛っているのは誰でもない、自分が作った思いだったり、ルール。最初はそのルールは自分を救ってくれるだろう。その時の自分を助けてくれる方法だと信じているのだから。
だけど、人は変わる。周り人も変わる。世の中も変わる。関係性も変わる。
そうなった時、そのルールは自分にとって完璧なものでは無くなる。
そう気が付く時がある。
だけど、長い間自分を守って来たと思ってるルールを止めるのは怖い。
止めたら今までの自分を否定してしまうような気がするから。
そんな時、
自分は本当は何を望んでいるのか?
自分はどうして行きたいのか?
自分はどうしたいのか?
それを知る術がわかるといいんだ。
喋らなくなると言う選択で無くても、誰もが同じような経験をしていると思う。
だから、こう言う映画ができるんだと思う。
だから、私はこう言う人に寄り添い歩む術を見つけることを助けるPRYT(フェニックス ライジング ヨガセラピー)のプラティクショナーの道を選んだんだ。