今だから思うこと | BREATHbyBREATH(ひと息ひと息)クリパルヨガとフェニックス ライジングヨガセラピー

BREATHbyBREATH(ひと息ひと息)クリパルヨガとフェニックス ライジングヨガセラピー

東京都小平市在住のクリパルヨガティーチャー。
クリパルヨガ、ママヨガ、チェアヨガ、フェニックスライジングヨガセラピープラティクショナー。
BREATHbyBREATHは私がヨガティーチャーを始めた時から大切にして来た思い。



昨日は広島に原爆が落とされもう一度戦争や平和について考える日であるけど、我が家では亡くなった姑の誕生日でもある。
なので、もう一度姑について考えてみたい。

{33358697-D3D7-4C45-8C82-7C61EB21013C}


結婚して最初の姑の誕生日。お祝いをしようとした。
その時に
「私の誕生日は祝う日ではないからしなくていい。今までもそうして来たし、これからも」
そう言われた。

多くの日本人が亡くなり今も苦しむそんな日にお祝いはできない。姑は終戦の頃は記憶もあったろうし、当然のことだと思う。

でも、若く自己中の私は「はい。わかりました。」と言っていながら、『別にいいじゃん!私達の気持ちなんだからそれは受け取りなよ』そんな風に思っていたと思う。

姑は優しい人だった。
それを素直を受け取れていないのは私だった。

姑と新宿で待ち合わせて食事をしたり買い物をしたことも何度かあった。
「何か服とか欲しいものない?」
そう言ってくれる姑に、いい子ぶって
「私のものじゃ無くて○○さん(夫)の物を」そう言ったのは私だ。
そこには、『良い嫁を演じなきゃ。これって良い嫁よね?』
そんな思いがあった。計算しっぱなし。

細かい会話は覚えて無いけど、きっと始終私は良い嫁です。って会話をしていたと思う。
「○○ちゃんはしっかりしてるわね」そう言われたいばっかりに。

夫の実家に泊まりに行った時も、姑より遅く寝て姑より早く起きる。そんなことをしていた。
今思うとバカだなぁと思う。

あの頃の私は何故そんなに良い嫁に拘っていたのだろう?

そして、その良い嫁像はどこから来たのだろう?

私が結婚した頃は、テレビで視聴者のお悩み相談番組があった。そこでは姑が嫁の愚痴や悪口を言っている。
テレビドラマでも、嫁姑の諍いを深刻にドラマした物面白おかしくドラマにした物があった。

そんな所から私は姑の望む良い嫁像を学び演じて居たんだと思う。

何故そんなことをしたのか?
結婚するまで、長女として社会人としてしっかり者として過ごして来た私が次の新しい環境で認められたいと言う承認欲求からだ。

私が演じていた良い嫁は私が描いた良い嫁像で決して姑が望んだものではない。私がきっと姑もこう言う嫁を望んでて○○ちゃんは良い嫁だと思っているだろうと思っていた。
夫の実家に行っても何も手伝わない寝坊もすると話していた友達を信じられない!と非難したこともあった。
でも、そんな友達を羨ましく思う自分の存在もあった。

今の私は姑は人として大切な幾つかのことを私に教えてくれていた。
私がもっと素直をなって姑と変な擦り込みの[姑は嫁が嫌い嫁姑は仲の悪いもの]と言う思い込みを無くしていたら、きっと沢山の教えを得られたと思う。
老いては子に従えくらいに思っていた。
あの頃の傲慢な私。

気がつくのに沢山の時間がかかってしまった。
叶うことならばヨガを学び、PRYTの学びを終えて受け入れることを学んだ(学んだと言うか気がついた)今の私でゆっくりと話しをしてみたい。
相変わらず、私は構えてしまうかもしれないけれど、姑の話しを聞くことはできると思う。聴いている振りでは無くて傾聴することがきっと無理をしないでできるから。
良い嫁としてでは無く、人として話せるようになっていると思うから。