バスが白兎海岸にさしかかったころ、そのベテランのガイドさんは、神話「因幡の白兎」を語り始めたのでした。
車窓からは、神話の舞台といわれる淤岐之島(おきのしま) の島影や、あおく光る日本海が見えます。
私は、幼いころに見た大きな袋を背負った神様が、ウサギと話をしている絵本の挿絵などをぼんやり思い出しながら、ガイドさんの流ちょうなお話を聞いたのでした。
そして、ウサギを助けた大国主命が、その後、八上姫(やがみひめ)と結ばれるも、意地悪な兄神たちに執拗に命を狙われるあたりでは、「あぁ、そんな続きもあったのか」と、私は、いつしかじっと聞き入ってしまいました。
気が付くと、それまでざわついていた車内は、しんと静まって、ほかの乗客の方々も聞き入ってしまったようでした。
語り終わったガイドさんは、
「ま、これはおとぎ話で本当ではありませんけどね。」と、落ちをつけた後、童謡「因幡の白兎」を、歌ってくださいました。
大きな袋を 肩にかけ
大黒様が 来かかると
ここに因幡の 白うさぎ
皮をむかれて 赤裸
大黒様は あわれがり
きれいな水に 身を洗い
がまの穂綿に くるまれと
よくよく教えて やりました
大黒様の いうとおり
きれいな水に 身を洗い
がまの穂綿に くるまれば
うさぎはもとの 白うさぎ
これもまた懐かしい童謡の調べに聞きほれたところで、ちょうどバスは、白兎神社に到着。
境内には、ウサギ族の長が見守る中で、大国主命が八上姫に求婚する像がありました。
「大黒じめ」と呼ばれる出雲様式のしめ縄ですね。
大国主に教えられたとおりに、ウサギはここの池の水で傷ついた身を洗ったのだそうです。
神社からは舞台となった海がのぞめます。
白い波がしらを立てる白兎海岸を一望しながら、私は、いつのころからとも知れずに、語り継がれ歌い続けられたこの物語が、本当に根も葉もないファンタジーなんだろうかと思ったのでした。
つい先ほどまで皆がじっと聞き入っていたあの物語には、単なるなつかしさ以上に、例えば、心の奥底のとおいとおい記憶の表面を掻き立てるような何ものかがあるような感じがしたのでした。
旅から帰って、少し調べて見ました。
ありました。ありました。
白兎神社のHPには、「先代宮司の考察」として、
次のようなことが書かれてあります
白兎というのは、実は野に住む兎でなく、神話時代にこの地方を治め信望の高かった一族のことを言ったもので、白兎と呼ばれたのは、兎の如くおだやかであったからだと言われています。
その一族が航海を業としており、沿海をおびやかしていた「わに」と呼ばれていた賊と淤岐之島付近で戦ったのです。
最後の一戦で負傷して苦しんでいる白兎の一族が、大穴牟遅命(大国主命)に助けられ、後に大穴牟遅命と協力して「わに」を討伐してこの地方を治め、大穴牟遅命には八上比売を嫁とらせたというのであります。
そのこともあって、縁故の深い此の山に宮居を定めるに至り、後世までも白兎神として崇敬される様になったものであろう。
ということは、
神代といわれる時代、この地方には、ウサギ族という海運をなりわいとする部族がいて、それが、ワニ族といわれる同じく海運に携わる部族と、何かが原因で衝突をし、戦いとなった。その結果ウサギ族が身ぐるみはがされるような壊滅的な状態になり、それを、大国主命が助け、土地の豪族の姫八上姫を結ばれた。
そんなドラマチックな歴史が、この一見メルヘンチックな物語に隠されているということでしょうか?
神話や伝承には、史実として残しにくいことを、一見荒唐無稽な物語として語り伝えている側面があると言います。この神話にもやはり隠された一面があるのでしょうか?
民俗学者の谷川健一さんは、このことを次のように表現しています。
古代の世界は黙示にみちている。それが文字として記録されようと、伝承として民間に保持されようと、ものとして地中に残ろうと、これらのものの意味は、現代人が日常的な慣習として理解するのものではない。(中略)古代の記録はそれをそのまま事実として受け取ってはいけないと同時に伝承世界の表現であってもなにがしかの事実を隠している。事実と詩の双方にゆれうごく世界が古代世界である。(「青銅の神の足跡」終章より)
「因幡の白兎」に隠された黙示とは、なんなのでしょう?
もしかするとそこには、私たちが持っている古代世界のイメージを一変させるなにものがあるのかもしれません。