邪馬台国論争 韓と韓国④

 

 

【 序 】

魏志倭人伝で、帯方郡から倭への行程で最初に出てくるのが「韓国」で、過去記事でこの韓国を現在の「台湾」に措定しています。

從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

この台湾と韓国という2つの名前と、「イエスの磔刑」を関連付けて以下で考えてみたいと思います。

 

撮影 西宮戎神社 画像と記事は関係ありません

 

【 倭の奴国とイエスの磔刑 】

過去記事で志賀島から出土した「『奴国王』の金印」を、「金印=イエスの象徴)を奴国の王委ねる」と読んで、この金印は磔刑後に蘇生を果たしたイエス・キリストが洛陽に逃れ、建武中元2年(西暦57年)に漢の光武帝からその身柄を倭の奴国王に委ねられた証しだと措定しました。

 

奴国王」の「委」は「倭」の略字だという説があり(むしろこちらが通説)これだとこの金印は別の意味を持ってきます。つまり「『漢委奴国王』の金印」は、次の2通りの読み方が出来ることになります。

  • 奴国王⇒漢奴国王:漢のの奴の国王
  • 奴国王:漢は(金印=イエスの象徴)を奴国の王にねる

 

撮影 西宮戎神社 画像と記事は関係ありません

 

【 台湾+韓国 】

以上を念頭に台湾と韓国をローマ字化して繋げてみます。

以上から台湾と韓国を繋げたとき、それは志賀島から出土した金印(建武中元2年に倭の奴国が後漢の光武帝から賜った印綬のことだとされる)の象徴となり得るように思えます。

残る問題は”Ti”が「王」の象徴となり得るか?否か?と言うことになります。ここは別記事で書きたいなと思っています。