邪馬台国論争 韓と韓国②

 

 

【 序 】

魏志倭人伝に帯方郡から倭への行程に関する次の記述があります。

從郡至倭 循海岸水行 韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

「狗邪韓國は韓国から南東(若しくは南南東、東南東)の方角にあり、かつ帯方郡から7千里余(434m×7000余里=3038km余)の位置にある」と記されていますので、決定的に重要なのは「韓国」が何処にあるのか?という事になると思います。

この記事の行程には2ルートが考えられ(朝鮮半島の西岸に沿って①南下するルート、②北上するルート)、過去記事で①のルートだと、「韓国を比定できず、ゆえに韓国、狗邪韓國はこのルート上には存在しない」と結論しました。以下では②のルート(朝鮮半島を北上し折り返して中国大陸半島東岸を南下していくルート)について考えてみます。

 

画像と記事は無関係です

 

【 朝鮮半島を北上するルート 】

魏志が記す韓国は沿岸を水行していくと通過するわけですから、中国大陸沿岸に浮かぶ島国である可能性が高いと考えられます。小島を除外し地図を調べるとこの条件に合致するのは、「台湾島」と「海南島」の2島だと考えられます。海南島を想定すると、帯方郡から約3038kmの狗邪韓國は、海南島のすぐ近く南西方向のベトナム沿岸にあったと言うことになり、魏志が記す「歴韓国 乍南乍東」の条件を満たし得ないように思えます。以下では魏志の時代の韓国を現在の台湾島に比定して考えてみます。

 

【 韓国を台湾島に比定する 】

現在の台湾島を魏志倭人伝が記す「韓国」に比定すると、魏志の「歴韓国 乍南乍東」は「歴台湾島 乍南乍東」と読み替えることが出来ます。台湾島の南南東の方角には現在のフィリピンを構成する島々が並んでいますので、「歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國」は「台湾島を経て、フィリピンの諸島を海岸沿いに南や東に進んでいくと狗邪韓國に至る」と読み替えることが出来ます。つまり現在の台湾島を魏志倭人伝が記す「韓国」に比定すると、狗邪韓國はフィリピンのどこかの島と言うことになります。これを帯方郡から7千余里(3038km余)を手がかりに探すと、「ルソン島以南にある島(例えばパラワン島、ミンダナオ島など)の中のどれか」が狗邪韓國である様に思えます

 

画像と記事は関係ありません

 

【 結論 】

全て推測になりますが、ここでの結論をまとめてみます。